2017年10月07日

【回想録】近眼の女の子(※裸眼に限る)

 昭和の頃、特定の彼女がいなかったわたしは(はっきりモテないダンスィ≠ニ書かないのは見栄である)、畏友H君と出かけては、映画ばかり観ていた。
 あまりわたしとばかりでかけるものだから、H君のお母さまがご心配なさって「今日も恭介君とデート?」とお訊ねになられたそうだ。

 お母さまがご心配なさるようなことはない健全なおつきあいを重ねていたわたしとH君であったが、もしわたしが女子であったら、きっとH君の未来もまたちょっと違っていたかもしれず(笑)。H君は頭も良く優しく頼りになり、わたしが女子だったら、惚れない理由がなかったからだ。
 そんなH君もわたしも、今の時代から見たらけっこう早い歳で別の相手を見つけて(ぉぃ)結婚したのだから、世の中うまくできている。

 そんな(モテない)二人が映画を観て、その後サテン(喫茶店のこと)で感想など述べあっていると、たいてい最後は「好みの女の子」の話になるのであった。

 H君の好みのタイプがどんな子であったのか、今となってはよく覚えていない。数年後、彼のフィアンセを紹介されたとき「おぅ、H君にピッタリだ」と思った覚えがあるので、きっと彼のタイプは今の奥さまどおりだったのだろう。
 ただひとつ、今でもよく覚えている彼の「タイプ」の女の子がある。それが「近眼の女の子(※裸眼に限る)」であった。

「近眼の女の子っていいよなー」
「え、近眼?」
 ちなみに、わたしも近眼であったが、ドキッ♥とした、などということはない(笑)。
「近眼でさ、だけど無理してメガネ掛けてないの。そんな子って、すごくいいじゃない」
「メガネかけちゃダメなんだ」
「うん。ダメ。コンタクトもダメ」


(西川魯介「屈折リーベ」より引用)

 当時メガネっ娘属性≠ネどの俗語はなかった。なにしろ昭和である。

「なんで?」とわたしはメガネを取り(その日はコンタクト未装用)、目をすがめて見せ「こーんな目つきの悪い子がいいんだ?」
「いやそれは……。そうじゃなくてさ。OK。しばらくそのままでいてくれればわかる。ところでさっき観た炎の少女チャーリー≠セけど、邦題つけた奴ひどいよな?」
「原題はファイヤスターター≠セっけ。ほらパンフ」と、裸眼であることを忘れて、彼の前にパンフを置き、一緒に読む。「最近のスティーブン・キング原作の映画って邦題恵まれてないよね」
「クジョーとか?」
「苦情もんだな、って、あれは原題通りだって」
 メガネを外したままのわたしは、よくH君もパンフも見えないので、身を乗り出して話す形になる。
「……恭介、それだよ」
「なに?」
「近いんだよ」H君は苦笑し「距離感が!」

 あっ、そうか! とわたしもわかった。近眼の人間が裸眼でいると、自然、相手をよく見ようとするので、いつもより相手のパーソナルスペースに侵入することになる。

 そして――
「H君……」
「恭介……」

 いや、ならないならない! BL展開にはならないから!!(断言)

 しかし彼のその嗜好、なるほどわかるー! と思ったのであった。こちらのパーソナルスペースに、無意識かつ無邪気に侵入してくる異性には、誰だってドキッとする。
 今で言う「壁ドン」の逆パターンである。女子の方からの精神的「壁ドン」なのである。コレ。

 というわけで、まだ彼氏のいない妙齢女子で、近眼の方は、しばらく学校やオフィスで(必要時以外は)メガネを外して生活してみたらいかがだろうか。
 知らぬ間にモテモテになっているかもしれませんよ。

 ところで、実際にH君の心を籠絡した奥さまが近眼かどうかは、聞き忘れてしまった。
 わたしの方はと言えば、細君はとても目がいい。健康診断で「今年は2.0が出なかった。1.5だった悔しいー」とスネるくらいである。一番上のランドルト環すら見えないわたしにすれば、そんなものは誤差範囲だ。

 そんな細君にイタズラで、わたしの「ほむらメガネ(赤い上ナイロールフレーム)」をかけさせてみたら、これがかなり可愛らしい。惚れ直した。
 ふっふふ。あと数年もすれば、細君も近用メガネをかけなければいけなくなるハズ。今からその日をちょっと楽しみにしているのである。

 追記:細君から壁ドンされて「今の健康診断のキカイだと、最高が1.5だからそれ以上測れないの! 本当は2.0あると思うから。訂正しといて!」と、抗議を受けた。ドキッ♥
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年10月06日

【回想録】記憶の不思議

 ポメラDM200のファイル一覧を開いていて、あれっ? と思ってしまった。一ヶ月以上前に書いた記事が一本、アップした覚えもなく残っていたのだ。
 同日に書いた記事はすでにアップしてあったので、メインPCへの転送忘れである。なんだかとても得した気分ではあるが、同時に、自分が健忘症になったような気がしてちとアレだ。

 人生50年以上生きていると、記憶に関して、不思議な思い出がいくつかある。

 ひとつめは中学のとき。
 わたしが通っていた学校は電車通学だった。その日は雨。いつも通り、駅で上り下りのメンツと分かれて帰宅した。わたしは下り組である。
 翌日、学校へ行くと、上り組のひとりが話しかけてきた。「昨日、○○デパートの本屋にいたけど、電車乗り換えてこっち来たの?」
 ええっ? と仰天。わたしは普通に下り駅のターミナルで下り、バスで帰宅していたからである。もちろん上り電車に乗り換え○○デパートの本屋になど行ってはいない。
 が、友人は譲らない。もうひとり、上り組を呼んで「昨日、恭介見かけたよな」と言う。そのもうひとりも「うん。いたいた」と言い出すのだから、こちらはたまったものではない。
「誰かの見間違いだろうそれ」
「いやあれは恭介だったよ。同じ傘持ってたし」
「話しかけた?」
「だっておまえの方から会釈してきたじゃん」
「知らねぇよ!」
 友人二人は「あれは恭介だった」と譲らない。
 結局、真実はうやむやになってしまったが、なんだか、自分の記憶の方が間違っているような気がしてしまった出来事であった。

 ふたつめは成人してから。友人とドライブ中、信号待ちをしていると、彼が言う。「この前、この電気屋の前でおまえがやらかしたUターンすごかったよな」
「は?」
「信号黄色ギリギリでタイヤ鳴らしてドリフトみたいにUターンしたじゃん」
「してねぇよそんなこと。俺はいつも安全運転してるだろ」
「いーや、やった。やったじゃん。おまえすげぇって思ったんだもん」
「褒めてんのかけなしてんのか知らねーけど、俺、やってないから」
「やったじゃん」彼は嘆息して首を横にふり「恐かったからよく覚えてるんだよ、俺」
 彼はその後も、その電気屋の交差点を通るたびに、わたしがその十字路でドリフト並のUターンをした、と何度も言いはるのであった。
 しかしこれに関して、わたしには本当に覚えがない。免許は取り立てだったし、そんな危ない運転をするはずがなかった。
 この事件に関しては、彼とわたし以外に証言者がいなかったので、「やった」「やらない」の繰り返し。この件については、彼の完全な記憶違いだと思う。

 みっつめは結婚してから。
 細君が実家の知り合いから、自衛隊の巡洋艦を見学乗船できるというハガキをもらってきたのである。
 ウッキウキしながら、当時、買ったばかりのデジカメDC-1を持ち、当日の朝、家を出て港へ向かうために、駐車場に止めたクルマに乗った。
 そこで細君が、自分のカバンを確かめて、「あれ? ない」というのである。招待状代わりのハガキがなくなってしまっているという。
 わたしは忘れ物に慎重なタチなので、家の玄関を出るとき、細君に「ハガキは持った?」と聞き、その場で、細君のカバンの中にあることを確認していた。
 となると、玄関から駐車場、クルマに乗るまでの短い道中に落としてしまったというのだろうか? 二人でクルマを下り、道を探してみたが見当たらない。その間にも、時間は刻々と過ぎていく。
 仕方ない。現地に行って、名前を言って事情を話せば乗せてくれるかもしれない、と、クルマを港へ飛ばし、集合場所へ。

 埠頭には――だーれもいなかった……。

「狐につままれた」という慣用句があるが、そのときのわたしと細君は、まさしくそんな感じ。
 見学者を乗せて巡洋艦が沖へ出て行った後だとしても、わたしたちのような見学者のクルマが残っていていいはずである。なのに、そんな感じのクルマもない。

 上屋と記された施設には鍵がかかっていて、インターホンの類いもなく、誰に事情を聞くこともかなわなかった。
 人っ子ひとりいない埠頭で、これは二人して夢でも見ているのではないか? と、証拠にDC-1で数枚写真を撮っておいた。


(商業船は見かけるのだが……)


(それらしき人影もない)


(ぐるっと周囲を回っている細君。おかしいなぁ……)

 この写真が残っているので、今、思い出しても、現実だったことは確かである。
 細君と二人、あのハガキは狐が葉っぱを化かして作った招待状だったの? そんな気持ちで、頭からハテナマークをたくさん出しながら帰路についたのであった。
 自宅駐車場についてから、もう一度周囲を探してみたが、ハガキはみつからなかった。

 この事件は、今でも二人で「不思議だったね」という思い出となって記憶の隅に残っている。

 今思うと、DC-1でハガキを撮影しておけば良かったのだが、当時のデジカメは解像度も悪く、文書をメモとして撮影しておく、という考えがなかったのであった。

 ひとつめ、ふたつめは、他人の「記憶違い」で済むが(あるいはドッペルゲンガーの仕業か!?)、みっつめの巡洋艦見学未遂事件は、わたしと細君の二人がまさしくそのまま体験した出来事であるので「記憶違い」と思えないところが不気味だし不思議である。

 ひょっとしたら、なにか大きな力によって、わたしと細君をその巡洋艦に乗せないよう、時間改変が行われたのではないか、と、0.001パーセントくらいは本気で疑っているのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年10月05日

【日記】ライターズブロック

 なんだか、仮面ライダーの攻撃を防御する必殺技のような単語だが、オンドゥル語ではない。
 文章を書くライターが、ワープロに向かっても、なにも書けない状態をさす言葉として、ここ十数年くらいで使われるようになった言葉である。
 対になる言葉として、何かを書いていないと落ち着かないという「ハイパーグラフィア」というものがあるが、こちらは前述「ライターズブロック」よりは一般的な言葉にならなかったようだ。



 わたしがこの言葉を知ったのはアリス・W・フラハティ著/吉田利子訳の「書きたがる脳――言語と創造性の科学」からであった。日本語訳初版は2006年だから11年前だ。
 それまでは、ライターがワープロを前にして、何も書けない状態は「スランプ」と言った。ちなみに、作家が原稿用紙を前にして何も書けない状態は「サボり」と言われた(笑)。

「サボり」から「スランプ」になり二十一世紀には「ライターズブロック」というきちんとした名称がついたのだから、「書けない状態」も大したものである。


(稲田浩司「ドラゴンクエスト―ダイの大冒険―」22巻より引用。この速さなら言える。「…今のはサボりではない…ライターズブロックだ…」)

 対する「ハイパーグラフィア」の方だが、こちらは脈絡なくとにかく書きまくる、描きまくる、といった病である。残念ながら、作品を多産できる作家というような良い意味には使われない。
 状態としては、たとえば長電話中、手持ちぶさたで手元のメモ帳にいろいろ書いてしまうような、そんな感じを連想すればいいのだろう。

 今は良い時代である。「ライターズブロックでして……」で通用してしまうのだから。
「サボり」と言われた時代には、それはいろんな言い訳を使ったものである。その中で編集者に通用したもの、しなかったものをいくつかピックアップしてみると――

●「暑くて」

 シンプルイズベスト!
 その夏は猛暑。打ち合わせに使っていた喫茶店の主人にこだわりがあり、冷房を入れない店だった。きっと編集者の頭もそれで茹だってしまったに違いない。「こんなに暑ければ仕方ないですよねぇ」で納得してくれた。おそらく冷房の効いた編集部に戻って、騙されたと思ったに違いない。

●「オウム事件で忙しくて」

 世間がオウムでいろいろ騒がしかった頃。別にわたしはオウム事件のルポライターでもなんでもなかったので「先生には関係ないでしょう?」と冷たく言われてショボン。

●「書いてる内容に合ういい曲が見つからなくて」

 これがよく通用したものだと思うが、わたしが常になにか音楽を聞きながらでないと書けないということを知っている編集者は妙に納得してくれて、その後、いくつかストーリーに合いそうな曲までリストアップしてくれた。

●「ノートPCが壊れまして」

 ノートPCが壊れたのは本当。HDDが飛んだのであった。バックアップは取ってあったが、まあまあ慌てたのも本当。しかし編集者は「そんなの理由になりませんよ」と許してくれなかった。
 ところがその後、社に戻ってから他の編集者に、PCに依存して書いている作家にとってPC故障は致命的ということを聞いたのか、「申し訳ありませんでした。大変なことだったんですね」と謝りのお電話が。こちらの方が恐縮してしまった。だってバックアップあったし、代替機もあったんだもん……ゴメンナサイ。

●「寝ないでがんばったんですが……」

 これは許してくれた。その編集者のポリシーに「人間、十分な睡眠をとらないといい仕事ができない」というものがあったらしい。「むしろちゃんと寝てください」と言われた。まっとうな人である。

●「細君の相手をしなくちゃいけなくて」

 結婚すれば、家と家とのおつきあいもありますわな。そういう意味で言ったのだが、「まぁ、いやらしい♥(フフッ」と一蹴された(笑)。

●「ほ、仏の顔も三度までと申します」

 二回までは許してくれた。
 今思うと「イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。(マタイによる福音書 18:22)』」と言えばよかったのだ。やキ天。

 そんなこんなで、モノカキが書けない状態が「ライターズブロック」ならぬ「スランプ」ならぬ「サボり」と見なされていた時代、いろいろ修羅場をくぐり抜けてきたわたしが、今こうして、毎日欠かさずブログを更新できているというのは奇跡に近いのである。
 神の憐れみに感謝!

 いや実はこの記事も「ライターズブロック」の状態で、とにかく書き始めたら、なんとかなっちゃったんですけど、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年10月04日

【回想録】美味い!

 今でこそ「味音痴」を自覚して、おなかに入ってしまえばみな同じ、カロリーなんて甘い物で取れれば良い、と開き直っているわたしだが、それでも昔は「美味い!」と思っていたものがあった。
 そういう思い出は、みな総じて、子どもの頃の記憶である。青年期を過ぎて、初老と呼ばれる歳も過ぎ、人生半分終わってしまうと「美味い!」というところまではいかない「美味しいな」程度である。

 わたしの通っていた中学校は、中学にしては珍しく、「購買部」がある学校であった。そこで昼になると、弁当を持ってこなかった生徒用にパンを販売するのである。
 あるとき、そこに「チョコバースナック」という菓子パンが並ぶようになった。これが「美味い!」。わたしだけでなく、クラス全員が魅了されるほど美味かった。

「俺の人生でこんな美味いもの食べたことないよ」「まさしく革命的な味」「何本でも食べていたい」「チョコバースナックのプールで泳ぎたい」「人はパンのみにて生きるにあらず。チョコバースナックがあればよし」と、数々の名言が生まれた。

 今思えば、コッペパンに甘いチョコクリームをはさんだだけの、珍しくもない菓子パンである。しかしみな、人生経験十四やそこらの少年である。本当に、これまでの人生で一番美味い、と、みな、思ったのだ。

 たかが中学のクラスに市場経済の原理が働き、「チョコバースナック」を買い占めそれを転売する者、品薄となった「チョコバースナック」をなにかの使役の対価とする者が現れた。
 購買部に席が近いというだけで、昼休みに飛んでいって「チョコバースナック」を買い占められるブルジョアジーと、そこから高い対価や使役で「チョコバースナック」を買うプロレタリアートが生まれたのである。

 当然、プロレタリアートの不満は爆発し、あわや内戦か、と思われたところで、この騒動はいきなり終わった。しかもプロレタリアートの勝利で。
 なんとなれば――みんな「美味くなくなってしまった」のである(笑)。要するに、飽きたのだ。

 ブームが始まって、去るまで、一週間程度だったと思う。購買部には売れ残った「チョコバースナック」がだぶつき、やがて、仕入れすらしなくなってしまった。しかもそのことに、誰も気づかなかったくらい、ひっそりと姿を消していったのである。

 今、あのとき「人生で一番美味い」と思った「チョコバースナック」をもう一度食べてみたい、と思っても、それはかなわぬ願いだろう。

 子どもの頃は人生経験が浅いから、「生まれて初めて食べた」というものが、自然、多くなる。それだけに「美味い!」と感じるものが多いのだろうと思う。
「味音痴」なわたしでも、初めて食べた牛丼、初めて食べた鰻丼の美味さは、そのときの情景まで、よく覚えているくらいだ。

 今は何を食べても「美味い!」と感じることがない。美味いと評判のラーメン屋に行っても「まあそこそこかな」「おいしいね」程度である。「チョコバースナック」のように、それこそ、毎日通いつめたい、毎食食べたい、というようなお店や料理には巡りあえない。

 こういう話を細君にしたら、味にうるさい細君にしても、やはり同じ傾向(「美味い!」ものに巡り会えなくなった)があるらしい。
 歳を取ってからも、「自分の人生で今までこんなに美味いものを味わったことがない」と思えるものが食べられる人は、幸せなのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年10月03日

【回想録】カーナビの思い出

 所要で夕方家を出て近くの公園脇を歩いていると、やけに若い人たちが路上にクルマを止め、一カ所に集まっている。服もまちまちで、みなスマホ画面を見つめており、仲間というわけでもなさそうだ。
 なんだろうと思って訊ねてみると、案の定「ポケモンGO」であった。わたしはやっていないのでよくわからないが、この公園にレアなポケモンが出た(?)のだという。

 ふうむ。楽しんで遊んでいる人々に特に文句はない。事故に気をつけて、よい午後を。

 ひと昔、いや、ふた昔前は、こうやって「電波で操られる人々」は、それなりにぁゃιぃ人扱いされたのだが、今や皆、本当に電波に操られて移動しているのだなぁ(笑)。

 というわけで、元祖電波で操られるのをよしとしたカーナビの思い出話を。
 わたしが最初にGPS(ナビ機能はまだなかった)に触れたのは、ソニーが出していた肩掛けタイプの「Digital Map Discman」であった。実は友人K氏からの借り物である。K氏はその肩掛けタイプのGPSを使って、自転車で「チャリナビ」を楽しんでいたのである。
 スマホの徒歩ナビが当然の時代に生きる若者には想像できないかもしれないが、当時のGPSは筐体も重く、バッテリーも持ちがいいとはお世辞にも言えなかった。だいたい、カーナビ自体がまだ珍しい時代である。そんな頃に「チャリナビ」を現実にしていたK氏は本当にすごい(ガジェット好きなK氏は、シャープのザウルスを使いニフティのチャットに乱入してくるような好事家であった)。


(これが「Digital Map Diskcan」)


(現在位置が出せるだけで、ナビ機能はない)

 この話を編集者にしたところ大変面白がり、GPSを誌面で紹介してみようかという流れになって、K氏からそのソニーのGPSを借りたのが、わたしの初ナビ(というかGPS体験)。

 軟弱者のわたしはチャリではなくクルマ使用で。助手席の細君にGPSオペレータをさせて移動してみた。車速パルスもとれずジャイロもないソニーのGPSは頼りなかったが、それなりに現在地が表示されるのがとても楽しく、一日、ドライブを楽しんだような記憶がある。

 ついで、畏友R氏がマイカーに後付けナビを設置。クラリオンAZZESTブランドのものだった。カーナビも実用域に入っているなぁと感じたわたしも、クルマを買い換えたとき、1DINに収まる液晶収納型のAZZESTをイエローハットで購入。

 お姉さん「工事費は○○円となります」
 わたし「あっ、いいです設置は自分でやります」
 お姉さん「そうですか。では本体のみお求めということで」

 わたしもまだ若く、クルマのダッシュボードを外していろいろやるのが苦にならない(むしろ楽しかった)歳だったのである。
 後に部品をイエローハットへ買いに行ったとき、お姉さんがわたしのことを覚えていて――

 お姉さん「カーナビはつきましたか?」
 わたし「バッチリです!」
 お姉さん「それはよかったー(笑顔)」

 などという会話を交わしたものだった。


(今はこんな面倒くさい作業、やりたくもない)

 さて、初期のナビは信頼性もまだ低く、現在位置を見失うこともたびたび。さすがに外国をポインタされたことはなかったが、海の中を走っていることや、バイパスを走っているのに高速を飛ばしている(しかも対向車線を逆走)していることなど珍しくなかった。

 このAZZESTナビにはログ機能があって、今までの速度やダッシュのベスト5くらいが記録されるようになっていたのだが、常に安全運転しているわたしの最高速度が300キロを越えていたのには笑ってしまった。海を走っていて、突然、本来の場所にポインタが戻ったときに、理論値を計算したものだから出したことになったらしい。
 使い続けていたら、いつの日か、ひょっとしたら光速を越えられたかもしれないが、何度か故障を修理し、最後にはクルマの買い換えとともに廃棄処分に。

 このAZZESTには、方言でもナビ案内できるという機能がついていた。たしか津軽弁ではなかったかなぁ。あとはクラリオンガール版も選べた。最初は面白がって使っていたが、やはりこういうのは飽きがくる。そのうち、機能があることさえ忘れてしまった。いまこうして書いていて、そういえばあったなぁ、と思い出している。

 数機種を乗り換えて、現在は、今はなきサンヨーのゴリラ2DINタイプのものを使っている。SSDでマップROMを入れる必要もない。ミニSDに入れたmp3の音楽が一日のドライブでも一曲もかぶらず再生できる。立体駐車場をくるくる回って外へ出ても、現在位置をロストするようなこともない。
 ソニーのショルダーGPSを楽しんでいた時代からすると、本当に便利になったものだ。

 初めてカーナビを入れたとき、それでも細君は地図をクルマから捨てることに反対したのだった。確かに当時のナビは、地図がなければまだ少し心許なかった。
 ナビがなかった頃は、出先で迷ってコンビニに駆け込み、地図帳を買ったこともあったなぁ、などと懐かしく思い出す。

 先に触れた雑誌記事では「あまりGPSに頼ると、電波に操られるぁゃιぃ人と言われるかもしれませんよ」とオチをつけたのだが、わたしも今やすっかり、電波に操られる人になってしまっているようだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録