2017年10月04日

【回想録】美味い!

 今でこそ「味音痴」を自覚して、おなかに入ってしまえばみな同じ、カロリーなんて甘い物で取れれば良い、と開き直っているわたしだが、それでも昔は「美味い!」と思っていたものがあった。
 そういう思い出は、みな総じて、子どもの頃の記憶である。青年期を過ぎて、初老と呼ばれる歳も過ぎ、人生半分終わってしまうと「美味い!」というところまではいかない「美味しいな」程度である。

 わたしの通っていた中学校は、中学にしては珍しく、「購買部」がある学校であった。そこで昼になると、弁当を持ってこなかった生徒用にパンを販売するのである。
 あるとき、そこに「チョコバースナック」という菓子パンが並ぶようになった。これが「美味い!」。わたしだけでなく、クラス全員が魅了されるほど美味かった。

「俺の人生でこんな美味いもの食べたことないよ」「まさしく革命的な味」「何本でも食べていたい」「チョコバースナックのプールで泳ぎたい」「人はパンのみにて生きるにあらず。チョコバースナックがあればよし」と、数々の名言が生まれた。

 今思えば、コッペパンに甘いチョコクリームをはさんだだけの、珍しくもない菓子パンである。しかしみな、人生経験十四やそこらの少年である。本当に、これまでの人生で一番美味い、と、みな、思ったのだ。

 たかが中学のクラスに市場経済の原理が働き、「チョコバースナック」を買い占めそれを転売する者、品薄となった「チョコバースナック」をなにかの使役の対価とする者が現れた。
 購買部に席が近いというだけで、昼休みに飛んでいって「チョコバースナック」を買い占められるブルジョアジーと、そこから高い対価や使役で「チョコバースナック」を買うプロレタリアートが生まれたのである。

 当然、プロレタリアートの不満は爆発し、あわや内戦か、と思われたところで、この騒動はいきなり終わった。しかもプロレタリアートの勝利で。
 なんとなれば――みんな「美味くなくなってしまった」のである(笑)。要するに、飽きたのだ。

 ブームが始まって、去るまで、一週間程度だったと思う。購買部には売れ残った「チョコバースナック」がだぶつき、やがて、仕入れすらしなくなってしまった。しかもそのことに、誰も気づかなかったくらい、ひっそりと姿を消していったのである。

 今、あのとき「人生で一番美味い」と思った「チョコバースナック」をもう一度食べてみたい、と思っても、それはかなわぬ願いだろう。

 子どもの頃は人生経験が浅いから、「生まれて初めて食べた」というものが、自然、多くなる。それだけに「美味い!」と感じるものが多いのだろうと思う。
「味音痴」なわたしでも、初めて食べた牛丼、初めて食べた鰻丼の美味さは、そのときの情景まで、よく覚えているくらいだ。

 今は何を食べても「美味い!」と感じることがない。美味いと評判のラーメン屋に行っても「まあそこそこかな」「おいしいね」程度である。「チョコバースナック」のように、それこそ、毎日通いつめたい、毎食食べたい、というようなお店や料理には巡りあえない。

 こういう話を細君にしたら、味にうるさい細君にしても、やはり同じ傾向(「美味い!」ものに巡り会えなくなった)があるらしい。
 歳を取ってからも、「自分の人生で今までこんなに美味いものを味わったことがない」と思えるものが食べられる人は、幸せなのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録