2017年10月06日

【回想録】記憶の不思議

 ポメラDM200のファイル一覧を開いていて、あれっ? と思ってしまった。一ヶ月以上前に書いた記事が一本、アップした覚えもなく残っていたのだ。
 同日に書いた記事はすでにアップしてあったので、メインPCへの転送忘れである。なんだかとても得した気分ではあるが、同時に、自分が健忘症になったような気がしてちとアレだ。

 人生50年以上生きていると、記憶に関して、不思議な思い出がいくつかある。

 ひとつめは中学のとき。
 わたしが通っていた学校は電車通学だった。その日は雨。いつも通り、駅で上り下りのメンツと分かれて帰宅した。わたしは下り組である。
 翌日、学校へ行くと、上り組のひとりが話しかけてきた。「昨日、○○デパートの本屋にいたけど、電車乗り換えてこっち来たの?」
 ええっ? と仰天。わたしは普通に下り駅のターミナルで下り、バスで帰宅していたからである。もちろん上り電車に乗り換え○○デパートの本屋になど行ってはいない。
 が、友人は譲らない。もうひとり、上り組を呼んで「昨日、恭介見かけたよな」と言う。そのもうひとりも「うん。いたいた」と言い出すのだから、こちらはたまったものではない。
「誰かの見間違いだろうそれ」
「いやあれは恭介だったよ。同じ傘持ってたし」
「話しかけた?」
「だっておまえの方から会釈してきたじゃん」
「知らねぇよ!」
 友人二人は「あれは恭介だった」と譲らない。
 結局、真実はうやむやになってしまったが、なんだか、自分の記憶の方が間違っているような気がしてしまった出来事であった。

 ふたつめは成人してから。友人とドライブ中、信号待ちをしていると、彼が言う。「この前、この電気屋の前でおまえがやらかしたUターンすごかったよな」
「は?」
「信号黄色ギリギリでタイヤ鳴らしてドリフトみたいにUターンしたじゃん」
「してねぇよそんなこと。俺はいつも安全運転してるだろ」
「いーや、やった。やったじゃん。おまえすげぇって思ったんだもん」
「褒めてんのかけなしてんのか知らねーけど、俺、やってないから」
「やったじゃん」彼は嘆息して首を横にふり「恐かったからよく覚えてるんだよ、俺」
 彼はその後も、その電気屋の交差点を通るたびに、わたしがその十字路でドリフト並のUターンをした、と何度も言いはるのであった。
 しかしこれに関して、わたしには本当に覚えがない。免許は取り立てだったし、そんな危ない運転をするはずがなかった。
 この事件に関しては、彼とわたし以外に証言者がいなかったので、「やった」「やらない」の繰り返し。この件については、彼の完全な記憶違いだと思う。

 みっつめは結婚してから。
 細君が実家の知り合いから、自衛隊の巡洋艦を見学乗船できるというハガキをもらってきたのである。
 ウッキウキしながら、当時、買ったばかりのデジカメDC-1を持ち、当日の朝、家を出て港へ向かうために、駐車場に止めたクルマに乗った。
 そこで細君が、自分のカバンを確かめて、「あれ? ない」というのである。招待状代わりのハガキがなくなってしまっているという。
 わたしは忘れ物に慎重なタチなので、家の玄関を出るとき、細君に「ハガキは持った?」と聞き、その場で、細君のカバンの中にあることを確認していた。
 となると、玄関から駐車場、クルマに乗るまでの短い道中に落としてしまったというのだろうか? 二人でクルマを下り、道を探してみたが見当たらない。その間にも、時間は刻々と過ぎていく。
 仕方ない。現地に行って、名前を言って事情を話せば乗せてくれるかもしれない、と、クルマを港へ飛ばし、集合場所へ。

 埠頭には――だーれもいなかった……。

「狐につままれた」という慣用句があるが、そのときのわたしと細君は、まさしくそんな感じ。
 見学者を乗せて巡洋艦が沖へ出て行った後だとしても、わたしたちのような見学者のクルマが残っていていいはずである。なのに、そんな感じのクルマもない。

 上屋と記された施設には鍵がかかっていて、インターホンの類いもなく、誰に事情を聞くこともかなわなかった。
 人っ子ひとりいない埠頭で、これは二人して夢でも見ているのではないか? と、証拠にDC-1で数枚写真を撮っておいた。


(商業船は見かけるのだが……)


(それらしき人影もない)


(ぐるっと周囲を回っている細君。おかしいなぁ……)

 この写真が残っているので、今、思い出しても、現実だったことは確かである。
 細君と二人、あのハガキは狐が葉っぱを化かして作った招待状だったの? そんな気持ちで、頭からハテナマークをたくさん出しながら帰路についたのであった。
 自宅駐車場についてから、もう一度周囲を探してみたが、ハガキはみつからなかった。

 この事件は、今でも二人で「不思議だったね」という思い出となって記憶の隅に残っている。

 今思うと、DC-1でハガキを撮影しておけば良かったのだが、当時のデジカメは解像度も悪く、文書をメモとして撮影しておく、という考えがなかったのであった。

 ひとつめ、ふたつめは、他人の「記憶違い」で済むが(あるいはドッペルゲンガーの仕業か!?)、みっつめの巡洋艦見学未遂事件は、わたしと細君の二人がまさしくそのまま体験した出来事であるので「記憶違い」と思えないところが不気味だし不思議である。

 ひょっとしたら、なにか大きな力によって、わたしと細君をその巡洋艦に乗せないよう、時間改変が行われたのではないか、と、0.001パーセントくらいは本気で疑っているのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録