2017年10月10日

【昭和の遺伝子】インスタントラーメンの思い出

 おそらくわたしは、同世代の男性と比べて、インスタントラーメンやカップラーメンを多く食べている方だろう。

 ……と書いて、首をかしげた。いや、そんなことはないかもしれない。今は食べても週に一回くらいだし、細君が料理上手料理好きなので、夕飯をカップラーメンで済ませてしまった、などということは、結婚後、十回もなかったはず。

 そう考えると、同世代の男性の平均と同じくらいか、それ以下かな? という程度かもしれない。
 少なくとも、藤子不二雄先生のラーメン大好き小池さんや――


(藤子・F・不二雄「藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎」1巻より引用)

 ラーメン大好き小泉さんより食べていないのは確かである。


(鳴見なる「ラーメン大好き小泉さん」1巻より引用)

 みなさんは、初カップラーメンの記憶を思い出せるだろうか? わたしは鮮烈に思い出せる。最初に食べたのは日清の「カップヌードル」だった。
 なんとなれば、母が「発泡スチロールのカップから有害物質が出るかもしれない」と言って。カップから麺その他を丼にあけ、そこにお湯を注いで作ったものを食べたからである。
 今にして思えば、莫迦莫迦しい心配に過ぎないのだが、当時はインスタント食品に偏見も多く、小さな子どもに食べさせるものとして、母が心配するのも無理はなかったのかもしれない。
 味はとても「ジャンキー」で、子どものわたしはとても気に入った。 カップラーメン、インスタントラーメンとのつきあいはその日から始まったのであった。

 カップラーメン丼あけメイクは、母も面倒だと思ったのか、それ一回だけだった。食の細いわたしが食べてくれるのなら、それはそれで良いと割り切ってくれたのかもしれない。

 わたしは本当に食が細かった。
 小学生の頃は給食だったのだが、主食のパンもおかずも規定の量を食べられず、最後までいつも残されていた。それが苦痛で、さらに食べるのが嫌になるという悪循環。
 土曜は弁当の日だったが、母が愛情を込めて作ってくれた弁当でも食べきることはできず、結局、弁当箱一杯に「牛乳寒天」を作ってもらい、それなら食べきることができたのであった。
 ちなみに、こういうタチであるから、当然と言えば当然のように成長も悪く、身長はクラスで一番低かった。

 こんなわたしでも、「成長期」というものはやってくるのである。遅れてやってきたそいつは、わたしに「食欲」というものがあることを教えてくれた。高校生の頃だ。
 この頃は、早弁こそしなかったが、弁当は全部食べられるようになったし、なにより、家に帰ってから夕食までに腹が減っていて、よくインスタントラーメンを作って食べたのである。

 わたしが料理できないダンスィであったことは前にも書いたが、さすがにインスタントラーメンくらいは作れる。ただし、具なしの素ラーメンだが。
 良く作ったのは「サッポロ一番塩ラーメン」と「カレーうどん」。「塩ラーメン」は今でも伝統の味だが「カレーうどん」の方はスーパーでも見かけなくなってしまった。

 カップの方は、これも伝統の日清の「どん兵衛」が好きだ。同社のカップヌードルも好きだが、これは最近、麺量に比して値段が高く、コスパが悪いのではないか? と思っている。が、たまに無性に食べたくなる。ノーマルのカップヌードルとチリトマが好きだ。

 カップ焼きそばもまたいい。わたしはとても初期のカップ焼きそばを食べたことがある。メーカーは忘れたが、カップヌードルと同じ円柱型で、捨て湯をする穴を「箸でブスッと開けてください」という斬新なものであった。そしてこれは――まずかった(笑)。
 当時のメーカーはカップライスなども試行錯誤していたが、それらも食べられた代物ではなかったと記憶している。

 その後出てきたペヤングなどはとても美味で、これもまた好きに。ごく最近起きたG混入事件はもちろんよろしくないことだが、その後、工場が新しくなり、また食べられるようになったのは良いことだ。

 カップラーメン、インスタントラーメンは、製品寿命が短いものも多い。一時は「つけ麺」ブームがあり、専用の器までつくられる人気だったのだが、すぐに飽きられてしまった。
 お湯なしで作れる「アルキメンデス」とかもあったはず。これは正月、友人皆で砂浜へくりだし、初日の出を見ながら食べた思い出があり、よく覚えている。

 深夜に食べるラーメンと言えば「チキンラーメン」である。



 作家になりたての頃、一人、午前三時のキッチンで丼にこいつを入れて卵を落とし、お湯を注して銀紙で蓋をし、書斎へ持っていく。
 銀紙の蓋を開けても、卵は商品写真のようにうまく固まってはいない。まあ、そういうもんだ、と思いながら食べるのが常であった。

 コクヨのケ-35N原稿用紙にボールぺんてる。広辞苑と岩波の国語辞典。深夜ラジオを聞きながら食べるチキンラーメン。そのうち夜も明けて窓から朝日が入ってくると、そろそろ寝るか、と、床につく昼夜逆転生活。そんな若い日々を、懐かしく思い出す。

 今でもチキンラーメンは、体調が悪く食欲がないとき食べられる、唯一の食事である。健康な人にはちょっとわからないかもしれないが、あれは一種、流動食みたいなものなのだ。
 あのラストエンペラー溥儀も、最期の時に「チキンラーメンが食べたい」と言ったそうである。なんとなく、わかる気がする。

 わたしが最期の時、なにを食べたがるかはまだわからないが、それが高級料理でないだろうことだけは確かである。
 ひょっとしたら、丼に入れたカップヌードルをほしがる、かもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子