2017年10月11日

【日記】目的指向型

 たいていの人間は、なにかの節目、たとえば新年を迎えたとか、新学期になったとか、月が変わったときに「目標」を立てて、それにむかって頑張るものだ、そうすべきだ――と、これまでの人生四分の三くらいまでは思っていたが、どうやら、必ずしもそうではないらしい。

 わたしの細君が、そういうタイプではないのである。「今年は○○を目標に」「○○までに××しよう」という目標を一切立てないタイプ。目的指向型ではなく、今を大事に楽しむプロセス重視型なのだ。

 逆にわたしは、かなり目的指向型のタイプであった。むしろ目標を立てないと実績が上がらない。目標に向かって邁進し、今のつらさは歯を食いしばって耐える。目的を完遂したら、次の目標を見つけて、今度はそれを目指し、また目をひんむいて頑張る。そんな生き方。

 若い頃、このタイプの違いで、細君とケンカしたことがある。事務所に大型のプリンタを導入したのだが、当時はネット通販などというものはなく、雑誌の広告を見て通信販売を頼むか、実店舗へ行って買うしかなかった。
 その大型プリンタを売っている店は、ちょっと誌面の広告でも「怪しい」感じがしたので(失礼。でも実際、取り込み詐欺目的みたいな会社がなかったとは言えない時代であった)、実店舗へ行って様子を見て購入し、事務所へ送ってもらおう、という話になった。
 その店舗は東京にある。二人で電車に乗って店舗へ行き、実店舗があり品も並んでいて信用できそうだ、と判断して、当時珍しい大型プリンタを購入。今のプリンタが10台以上買えるお値段である。慎重になるのもご理解いただきたい。事務所に宅急便で届けてもらうようにして、きちんと領収書ももらい、手続きは終了。
 ふー、買った買った、と店を出て――

 わたし「さ、帰ろうか」
 細君「え、せっかくここまできたんだから、どっかに寄っていこうよ」
 わたし「もう目的は果たしたんだからいいじゃない。帰ろ」
 細君「まだ時間も早いし、もったいないよお」

 二人ともまだ若かった。わたしは緊張が解けて疲れており、早く帰りたかったというのもある。駅に向かう道の真ん中で口ゲンカである。
 結局その日、どこかに寄ってから帰ったのか、直帰したのかは、もう記憶にないが、細君は「目的指向型」ではないなぁ、と強くわたしの心に刻み込まれた事件であった。

 以降、「目的指向型」のわたしと「プロセス重視型」の細君は、そのことで何度かぶつかりあうこととなる。
 よく離婚する夫婦が「価値観が違ったから」というが、そういう点では、わたしと細君もこのことに対する価値観はまったく正反対であった。
「価値観が違う」ことが離婚の正当な理由に本来なりえないのは、こんなところにも現れている。今までの結婚生活を振り返って、正直わたしは、二人の価値観が違っていたからこそ続けてこられたと思っているのだ。

 ひとつには、わたし自身の問題――「目標」を決めてそこに突っ走るという性格は、決して良い面ばかりではなかったということである。
 一度「目標」を決めたらそれを達成するために、脇目も振らず多少の怪我や故障にも目をつぶってひた走る。周囲の景色など見ている余裕はない。そんな生き方。昔のわたしは、そういう生き方しかできなかった。走れなくなっても前を向いてヨロヨロ歩く。いよいよ脚がダメになっても這ってでも進む。当然、身も心もボロボロだ。

 それが、いろいろな挫折や、自分や愛息の病気を通し、努力ではどうしようもないことがあるということを、嫌と言うほど人生に教えられて、「目的指向型」では、決して「本当の幸せ」はつかめない、ということを、やっと悟ったのである。

 ひとつの目標を達成すると、次の目標を立て、歯をくいしばって頑張る。目標が達成されたときは、束の間の脳内ドーパミン嵐で幸福感を感じるが、それは麻薬のようなものですぐ失せる。そうしたら次の目標を立て、また、しゃにむに頑張るしかない。
 だから、いつまでも満足することがない。いつまでも「本当の幸せ」を得られることなどできない。

 そんな悪循環に気づき、こんな生き方はもうやめよう。「幸せな人生を目指す」のではなく、「今幸せな人生を歩んでいることを知ろう」と、決意したのがいつかは覚えていない。漠然と、ぼんやりと、いつしか思っていたのである。いいことだと思っている。「決意」してしまったら、今度はそれを「目標」にしてしまうだろうから。

 とはいえ、「今を見つめて」「今起きていることを十二分に楽しむ」生き方は、わたしのような、生来、目的指向型のタイプにはとても難しい。ともすれば、すぐにまた以前のように「目標」を立てて頑張ろうとしている自分に気づき、「いかんいかん」と首を横に振ったりする。

 そんなわたしにとって、細君は北極星のような存在だ。わたしの人生の船がコントロールを失って、どこへ行ったらいいかわからなくなったとき、ふと見上げれば北極星がある。それを見つけるだけでホッとできる、そんな頼もしい光である。

 このブログも、とりあえず「毎日更新」しているが、それ自体が目的だとは思っていない。書くことが楽しめなくなったら、いつか途切れ途切れになって、休ませてもらうかもしれないし、また楽しさが戻ってきたら再開するかもしれない(「深夜のお茶会いまさら」のように)。

 そんなゆるーい感じで、これから残りの人生を送っていければ、と思っている。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記