2017年10月15日

【日記】一回休みとか、あとがきとか。

 考えてみれば、この「いまさら日記」で、「深夜のお茶会いまさら」関係の告知をしてもよいのだよな。

 というわけで、だいたい月の中頃、15日あたりに更新していた小説の方、新作の連載は一回お休みして、単行本未収録短編「PAPA STILL SMOKEN'」を掲載させていただいた。
「妻のみぞ知る」も書き進めているのだが、やはりある程度、目処がついてから載せる方が気が楽ではあるので――。

 今月は予想以上に風邪が長引き寝込んでしまったのが計算外であった。
 ブログの方は平気な顔で毎日更新しているように見えるが、これはストックがあるからで、実は中十日くらい途絶していたのである。
 風邪の記事も書いているので、そのうちお読みいただけたとき「あぁ、こんなにタイムラグがあるんだな」と、お笑いいただければ。

 今月お休みをいただいたからと言って、来月、新作を載せられるかどうかはわからない。お祈りください。

 その昔、「あとがき作家」という冠がつけられる作家さんたちがいらっしゃった。読者が本編よりもあとがきの方に期待してしまう作家さんのことである(と、言いきってしまうと語弊があるかも?)。
 まあ、わからないでもない。昔はネットなどはなく、作家の人となりを知るためには「あとがき」を読むことがファースト・セレクションであったのだ。
 作風より書いた作家の人柄が作品の評価になる、というのは、ある意味、ひとりの人間としての作家さんは幸せかもしれない。

 が、わたしはこの「あとがき」が苦手であった。書けば売り上げが上がりますよ、と編集者に言われても、書く気が起きない。だいたい書いたすべての「あとがき」が、編集者に言われて渋々筆を執っている。
 わたしは作品に全力投球してしまうタイプなので、書き終わったときは余力が残っていないのである。ヒーローインタビューで爽やかに応える野球選手というより、はぁはぁ息をつきながら「っすねー」と応えるのが精一杯の関取という感じ。そんな状態で「あとがき」を書いても書いても、読者に楽しんでいただけるだけのものはできないだろうという気持ち。

 もうひとつ、語りたいことは明示的でも暗喩的なものであっても、すべて作品中で語っておけ、という自分的美学があったのである。マクガフィンなどを作家自身が語ってしまうのはつまらない。そこはわかるひとだけがわかってニヤリとしてくれればいい、みたいな。
 たとえば、一作目で人工妊娠中絶した娘が、二作目では脇役として出てきてタンポポコーヒー(カフェインレス)を飲んでいる。これで特に語らずとも「ああ、前回の心の傷を乗り越えて、また赤ちゃんを授かることができたんだな。産む決意をしたんだな」と、わかる人にわかればよし、などというちょっとした茶目っ気である。

 現代は「あとがき」などなくとも、ツイッターでその作家の人となりがわかってしまう時代であるから、こういう「あとがき作家」の冠もなくなってしまったのかもしれない。
 逆にどうだろう、皆様、ツイッターなどで「人柄を知らなかった方が良かった」という作家さんはいらっしゃいませんか、ね?

 そんなこんなで、モノカキとしてほとんど「自己開示」をしてこなかったわたしだが、ここ一年ばかりは、このブログであることないこと毎日書いていて、「ファンです」とおっしゃってくださる方々の期待を削いでいないかが心配である。

「♪好きとか嫌いとか、最初に言い出したのは、誰なのかしら?(作詞:SANOPPI/2番をつくらなくちゃネ!実行委員会/作曲:メタルユーキ「もっと!モット!ときめき」より引用)

 人生の折り返し点を過ぎて、今思うのは、「あとがき」をもっともっと書かなかったのは、サービス精神に欠けていたなぁ、ということである。わたしは間違っていた。
 自分が好かれるか、嫌われるかなどは、わたしの責任ではないのである。わたしはここにいて、わたしとして現存している。これはどうしようもない。あることがきっかけで、そのことを思い知ったのだが、そのことはいつか書こうかどうか、まだ迷っているところだ。

 こんなわたしの書く物を「好きだ」。わたし自身を「好きだ」とおっしゃってくださる方々には「ありがとう」。「嫌いだ」と言う方々には「そうですか」。そう返すことにして、この稿、筆を置く。

 ほらね「あとがき」みたいなものを書くと支離滅裂になってしまう。だから嫌なんですよ(笑)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記