2017年11月30日

【日記】やっちまったよ過放電

 家電リモコンやガジェットなどで使っている乾電池の多くをエネループに変えた話は以前にもしたと思う。
 エネループはサンヨーの素晴らしい発明だが、同社がパナソニックに買われてからはPanasonicのロゴの方が大きくなってしまった。ここはサンヨー開発陣への敬意を表して、大きなエネループロゴを継承してほしかったところだ。

 それはともかく――
 エネループは二本組、四本組で売られているが、これらはそれぞれ、「組」で使うことが前提となっている。いくら充電可能回数が多いエネループとはいえ劣化はしていく、その劣化具合が同じものを、足並みを揃えて使っていくのが常道だからである。
 劣化具合が違うエネループを組で使ってはいけない。それをしてしまうと、劣化が進んでいないエネループにも悪影響を及ぼしてしまう。

 最近の家電品、電子ガジェットの類は単四であることが多く、単三はあまり使い出がなくなった。
 わたしは単三エネループ四本×四組をローテーションして使っていた。風呂場用CDプレイヤー、カメラのストロボ、廊下用の人感センサーライト、そして予備用である。
 ひとつの機器のバッテリがあがったら、予備の四本を入れて、あがったエネループは充電して予備用に回しておく。
 予備用の電池はストロボのおともとしても持っていき、撮影時のストロボの電池切れのときは交換して使う。
 これで数年、うまく回っていたのであった。

 なお、ポメラDM100だけは専用の二本×二組で回している。どうもDM100はバッテリにセンシティブなガジェットらしいからである。

 ところが今回、やってしまったのである。
 廊下用の人感センサーライトに使っていた四本。風邪をひいて寝込んでいるときに、そのエネループがあがってしまった。それを承知で交換しないでいたのがまずかった。

 ひさびさに人感センサーライトの単三エネループ四本を取り出して、エネループチャージャーにセットすると、チャージャーが異常終了してしまう。
 えっ、と思って、最初はチャージャーの故障を疑った。チャージャーはチャージャーで、端子を常に清掃しておかないと、ちょっとの汚れでも異常終了することがあるセンシティブな機器である。
 がしかし、障害の切り分けをしても、チャージャーは大丈夫そうである。

 そこで、異常終了する四本組の単三エネループの電圧を一本一本テスターで測ってみると、なんとそのうちの一本が、マイナス側に針が振れてしまう。放電どころか、テスターの電池から(テスターも電池内蔵機器である)充電しようとしているのだ。

 あー、やっちまったよ過放電。

 これがストロボやCDプレイヤーだったら、過放電は起こらなかった。一定以下の電圧では機器自体が動かないからである。問題は人感センサーライトのような「電灯」は、エネループの最後のひとしずくまで使い切ってしまいかねないということだ。
 灯かなくなったな、と気づいた時点で、すぐに予備バッテリに交換しておけばよかったのだが、後の祭りである。

 これは四本を組で廃棄して、新しい四本組を購入しなければいけないかとガッカリしていたのだが、しばらくダメな一本を放置していたら、電圧が1ボルトまで復活してくれた。


(1ボルトまで復活してくれた。最初はマイナス側に振れていたのである)。

 ひょっとして……と一縷の望みをかけて、その一本だけをチャージャーで充電してみると、異常終了することなく最後までチャージを完遂。



 乾電池の電圧は1.5ボルト、という知識からすると低すぎるように思われるかもしれないが、実はエネループの電圧は1.2ボルトである。試しに、同じ組の他の三本と一緒に、廊下の人感センサーライトに入れてみると、パッと灯りをともしてくれた。よかった。

 とはいえ、一回、過放電をやらかした電池の組を、大事な撮影があるかもしれないストロボには回せない。これからはこの四本はローテーションに入れず、人感センサーライト単体で使うことにしようと決めた。

 もともと、エネループは電灯には向いていないことは承知している。それでも今回は、なにより、灯かなくなってから放置していたのがまずかったのである。

 エネループの公称充電可能回数は千回ということになっているが、経験則ではそれ以下になってしまうことが多いような気がする。もちろん原因はエネループ側ではなく、今回のように、わたしの使い方がラフだったり、最後まで使い切ろうとしてしまったり、チャージャーの端子清掃を怠ったりしているのがいけないのだろう。
 また、小物ガジェットなどでは待機電流で過放電にしてしまう機器がないとはいえない(わたしの場合、Bluetoothレシーバがそれだった)。

 今回のことはよい勉強になった。できればローテーションなどせず、その機器専用のエネループと決めて使った方がよいと考えを改めた。
 それだと、「自己放電が少ない」というエネループの利点のひとつを狭めてしまうことにもなるのが痛し痒しではあるが。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年11月29日

【日記】チャレンジ不二家スイーツバイキイング・2017秋の陣

 前回は春、復活祭後、イチゴの季節のチャレンジだった。
 今回は秋、栗の美味しい季節の挑戦である。さて、前回の記録を抜けるかどうか。細君もわたしも、朝食、昼食を抜いての「甘い物だけ晩ご飯」なチャレンジだ。
 もっとも、ビュッフェ通によると、こういう「朝・昼抜き」で夕食だけ食べ放題、というのは決して良い作戦ではなく、むしろあまりお腹に入らないという指摘もあったり。
 まあわたしはもとが小食(一日二食)だから、一日一食でも食べてしまうと、二食目はほとんど入らないという現実があったりもする。

 以前にも書いたが、不二家レストランは店舗によって「ケーキバイキング」と「スイーツバイキング」の別があり、「スイーツバイキング」のお店では、ショウ・ウィンドウに並ぶケーキ以外にも、注文でパフェやあんみつを取ることができる。その分、お値段ちょっと高めなわけだが。
 なお、制限時間はどちらとも60分、フリードリンクもつく。



 わたしたちが行く店は「スイーツバイキング」のみ店舗なので、選択の余地がない。

 さて一回目のサーブ。今回はハロウィンメニューもあったりして楽しい。まあ、最初の二回くらいは、お互い二個づつでいけるでしょう。
 飲み物は、いつもはブラックコーヒーで舌の甘みを取る作戦なのだが、今回は無糖アイスティーに変更してみた。この変更が効を奏せば良いのだが……。



 奥が細君側、手前がわたしの側。栗のモンブランとミルクレープ、美味しゅうございます。パクパク。ミルクレープは大好物。
 行ける、今回は行けそうな気がする。二つ食べてもまだ余裕ありまくり。



 ここで、舌の甘みを取るためにいつも注文しているポテト登場。うむ。しょっぱい。甘いケーキ二つのあとだから余計しょっぱく感じる。
 いつもこのサイドオーダーで悩むのである。本当は、もっとサッパリしたものがあればいいのだが、なかなか「コレ」というものがないのだよな。

 さて、二皿目行くか、と、快調に飛ばしていたつもりが、いきなり――本当にいきなり二人とも、満腹中枢のスイッチがガッチーンと入ってしまった。早い、早いよ!

 わたし「不二家のバイキングってさ、いつもこれだよね。リニアに満腹になっていくんじゃなくて、いきなりデジタルに満腹感がくるの」
 細君「というか、おなかいっぱいじゃないのに、食べられなくなっちゃうんだよね。悔しい−」

 次のサーブは、お互い一個づつにしよう、と相談。あぁ、なんと二個食べただけでこの失態、やはり不二家城の壁は高かった……情けなや。



 というわけで一個づつ。もう、ケーキごとの甘さの差がわからなくなってくる。味の違い? ふっ、もう砂糖の甘さしか感じませんよ。



 ふー。注文していたパフェ登場。アイスクリームの冷たさが舌に助かる。イチゴの酸味が強いのも大助かり。
 が、パフェを食べ終わった時点で、二人とももうダメ。ここで心が折れてしまった。まだ時間も30分以上余しているというのに、新しくショウ・ウィンドウにサーブに行こうという気力がわかない。
 あーと一個、あーと一個、というエールが脳内でこだまする。でないと前回の記録に及ばない。

 二人ともノロノロとポテトを食べ、無糖のアイスティをチビチビ。結局、飲み物をどうしようと誤差範囲の作戦でしたな。
 細君は白旗をあげたので、ここはわたしが行って、せめて前回のタイ記録と並ばなければ。よし、行け、行くんだ。



 この紫イモのモンブランで、今回の「チャレンジ不二家スイーツバイキイング・2017秋の陣」は終了……。
 記録だけは前回の個数となんとか並んだが、なんとも、前回より負けた♀エが否めない。

 帰りのクルマの中――

 わたし「不二家の帰り道ってさ、いつもこう、敗北感に満ちてるよね」
 細君「……だね。やっぱり主食がないから、満腹じゃないけど食べられないっていうアンバランスさがあって」
 わたし「でもなぁ、明日になればきっと、また甘い物を食べたいっていう気分になっているんだろうと思うと」
 細君「悔しいねぇ……」

 実際、記録した写真を見ながらこの記事を書いていて、悔しい気分に浸っている。くっそうー、もう一個くらい、なにか食べておけば良かった! ミルクレープ……。もう一個……。プリンでも……。

 悔しい、悔しい、ひたすら悔しい(笑)。でも食べているときはどうしようもなかったのも確か。
 冬の陣、来年の春の陣があるかどうかは、この「どうしようもなかった」感をいつ忘れるかにかかっている。

 それにしてもあれだな、不二家城を落とすには、もう少し作戦を練ったほうがいいのかも知れない。軽食くらいとってから闘いに臨んだ方が良いのだろうか。
 うーん、わたし程度の人間が「甘いもの好き」を名乗っては恥ずかしい、としょんぼりしてしまう秋の陣の結果であった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年11月28日

【回想録】科学と学習の思い出

「♪まだかなまだかなー、学研の、おばちゃんまだかなー」というCMソングは、どのくらいの世代にまでわかるのだろう。最近はこのCMもとんと見なくなった(というか、テレビ自体を見なくなったわたしに、こんなことを言う資格もないわけだが)。

 実はわたしは、このCMより「前の」世代。Before Madakanaである。しかもおそらく、BM20年〜BM30年。わたしが「学研のおばちゃん」を楽しみにしていた頃に、テレビCMなどはやっていなかったと思う。

 ここから先はググることなく、自分の記憶のみで語ってみたい。ので、大間違いがあるかもしれないが、それは記憶の変質である。

「学研の科学と学習」というのは、学習研究社が小学生向けに発行していた雑誌である。「科学と学習」とひとくくりにして言われることが多かったが、実際には「二年生の科学」「二年生の学習」というように、二冊が毎月発行されていた。
 店頭販売はしていなかったように思う。毎月決まった日に、「学研のおばさん」が学校にやってきて、授業後、靴箱のフロアで皆に販売するのである。
 なにか、毎月払いの封筒のようなものがあって、それにおうちの人にお金を入れてもらって、学研のおばさんに渡して交換する、というプロトコルだったような、おぼろげな記憶がある。このあたりの【記憶/コア】はダンプしても0x00が続くくらい怪しいが……。

 わたしの通っていた小学校では「科学」、「学習」の両方を取る子が大半だったが、興味のありようによって、あるいはその子の家の方針で、「科学」だけ、あるいは「学習」だけ、という子もいたように思う。

 実は、両誌とも、誌面はほとんど覚えていない。「学習」の方に、当時流行していた「刑事コロンボ」のマンガが載っていたと思う。
「科学」の方は、やはり当時話題だったBCL関係のマンガ(それもミステリー仕立て)が掲載されていたことを思い出す。

 いや、なんということか。この記事を書き出してから、一所懸命に記憶をたどっているのだが、本当に、これくらいしか誌面の記憶がまったく蘇ってこない。まいったな……。

 そんな記憶にも残らない雑誌のなにが良くて、毎月取っていたのかと言えば、もちろん、知っている人は知っている、雑誌についてくる「付録」が欲しかったのである。
 学校で「科学と学習」をもらってから、我慢できず、放課後の教室で組み立ててしまう生徒が、必ず一人はいたものだ。

「学習」の方は、算数の教材が多かったように思う。思い出せるのは、円筒形の九九演算器だ。「ダヴィンチ・コード」に出てくるクリプテックス≠フような格好をしたもので、軸をクルクル回すとひとケタの掛け算ができる。そんな仕組みではなかったかなぁ。
「科学」はもちろん、理科系教材である。楽しかった記憶が残っているのは「スプリンクラー」。ご家庭の蛇口につないで、プシュッ、プシュッと水を蒔く。あとはゲルマニウムラジオや顕微鏡もあった。わたしは動くモノが好きだったので、鉱石標本のときはガッカリしてしまった。
 しかし両誌とも、限られた予算の中で、毎月良く種々いろいろの付録教材を作っていたものだと思う。
 とはいえやはり、子ども相手のオモチャであるので、すぐ壊れた。数日も遊べば、もう使えなくなる代物である。わたしは壊れたモノは思い入れなくすぐ捨ててしまうタチなので、小学校卒業時に残っている「付録」はひとつもなかった。

 記憶を頼りに書くと、これくらいしか思い出がない。
 ええい、ググってしまえ。

「科学と学習」は戦後1947年に創刊された。当時の学研はまだ創業したばかりで雑誌取り次ぎ業者が扱ってくれず、学校で売る、という形にしたのだそうだ。
 その「学校で売る」スタイルも、1971年に「特定の出版社の製品を学校で販売するというのはいかがか」というクレームが入り、以降、家庭への訪問販売を行うようになったのだという。
 この頃、例の「♪まだかなまだかなー」のCMが流れたのである。わたしは学校で受け取っていた世代だから、知らないわけだ。
 そして2010年、売り上げの低迷から、両誌ともひっそりと、休刊という名の廃刊となる。

 と、ちょっと検索すればこれだけの情報がわかる時代に、知識だけの蘊蓄を語っても仕方ない。

「科学と学習」が休刊した2010年あたりは、だいたいどの家でもインターネット常時接続が普通になってきた頃である。ネットの隆盛が両誌を駆逐した原因になっているとは思えないが、「科学と学習」の付録のようなオモチャでは、本物のガジェットを使いこなせる今の子どもたちを満足させられない時代になったのかもしれない。

 ただ今でも、「今日、学校へ行けば『科学と学習』が手に入る、今回の付録はなんだろう、楽しいモノだといいな」というワクワク、ウキウキした気分を、昨日のことのように思い出せるのだ。
 あの毎月のチープなウキウキ感を知らない今の子どもは、ちょっと可哀想かもしれない、とも思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年11月27日

【日記】KP41の季節

 またこの季節がやってきた。
 朝、寝室からwolでメインマシンの電源を入れ、VNCでメールチェックその他。特に問題ないようなので、またちょっと二度寝してして、起きてみると――。



 あーああ、ブルーバックで落ちてるぅ。
 調べるまでもなく、KP41である。

 KP41とは、その筋の人間ならば良く知っている、Windows使用中に突然電源が落ち、再起動するとイベントログに「ソース:Kernel-Power」、「イベントID:41」というエラーが記録されているというもの。
 原因は本当にさまざま。多くの場合、電源関係の揺れが問題になっているようで、電源交換で直るとことしばしばだが、それでもダメなケースも多く、グラボからメモリから、USBでつなぐ周辺機器に障害が発生していたケース。はたまた、それこそ「コンセント周りを綺麗にしただけで直った」という場合もある。
 主にWindows7以降から発生するようになったのは、Windows7以降でかなりハードウェアの相性が厳しくなったからと言われている。

 原因が多岐にわたっているもので、直す方法もいろいろだ。Windowsの設定を見直したりBIOSでメモリの昇圧を試みたりして直ったという方もいる。
 が、経験則から言って、ソフトウェア側をどうこうしてもKP41は直らない、というのがわたしの考えである。

 で、わたしのマシン。これはもともと、尊敬する司祭が使っていたPCだったのだが、KP41病にかかり、結局、その場では原因を切り分けることができず、新マシンを導入することで解決してしまったのだ。
 直せば使えるな、という感触があったので、適価で引き取りますよ、と申し出たのだが、鷹揚な神父さまは「いろいろやってくださったのだから差し上げますよ」ということで、タダでいただいてしまったのである。

 で、引き取ったマシン。まずは電源交換を試みた。これで頻発していたKP41はなくなった。
 やっぱり電源だったのだなぁ、と納得して、HDDをSSDに換装などし快適に使っていたのだが、これが寒い季節になってきたら、またKP41が起こってしまったのである。

 今回のKP41は、けっこう特色があった。起きるときはコールドブート後。KP41が発生せずしばらく使えていた場合は、そのまま落ちることなく使えてしまう。つまりマシンが暖まると発生しなくなるのだ。
 そこで、起動直後はCDからmemtest86+を回すようにしてみた。すると出るわ出るわ真っ赤なエラー。



 ひどいときには、memtest86+自体が止まってしまう。
 そして、memtest86+が一周、無事に回った後に起動したWindowsならば、KP41を起こすことなく普通に使えてしまうのである。
 要するに、寒いときには暖気が必要なマシンになってしまったのであった。
「【日記】この時期のマシントラブル」の記事で、「二月から三月にかけてはKP41で良く落ちる」と書いているが、それが今年は11月の後半から起こり始めた。このところ寒かったとはいえ、ちょっとまだ早いんじゃないの!? という気持ちだ。

 なんにしろ、memtest86+で赤エラーが出るのは気持ち悪いので、メモリを抜いて無水エタノールで清掃し、スロットを入れ替えて指し直してやると、この赤エラーは出なくなる。



 それでも怖いので、寒い時期のコールドブートは、かならずmemtest86+を一度完走させてからWindowsを起動するようにしている。
 細君は「新しいマシンに買い換えたら?」と言ってくれるが、せっかく尊敬する司祭からいただいた祝福されたPCなので、Windows10導入までは使ってやりたいのである。
(というか、環境移行がもう面倒くさくて、正直、今はその気力がない)

 カトリックにはなんと「インターネットとプログラマの守護聖人」もいる。それが聖イシドールス。
 というわけで、聖イシドールス様、今年の冬もわたしのマシンが無事乗り越えられますよう、主イエスにとりなしてください。
 ほんと、お願いいたします。とほ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年11月26日

【日記】王であるキリスト

 今日、11月26日は、教会暦で「王であるキリスト」という祝日である。この日は移動祝日であり、毎年同じ日ではないが、だいたい、十一月下旬の日曜日となる。
 この日から始まる年間第34週の後、一週間後の日曜日(12月3日)は「待降節第一主日」となる。
 教会暦の一年は、「待降節第一主日」から始まり、本日「王であるキリスト」(の週)で終わる。
 典礼暦は「A年」「B年」「C年」と、ミサ中で主に読まれる福音書によって三年周期になっており、来暦はマルコ福音書を読む「B年」である。

 要するに、「王であるキリスト」は、キリスト信者にとっての「大晦日」のようなものである。今年も一年、いろいろあったなあ、と思いを馳せる一日だ。

 それにしても、「王であるキリスト」とは、なんと素晴らしい呼び方であろうか。
 わたしはこの日を迎え、教会でキリスト磔刑像を見上げるたびに、これが本物の「王」というものなのだ、という思いを新たにする。

 普通、シューキョーの教祖というものは、華麗な服で身を飾り、数々の宝石を指につけ、重そうな冠をかぶり、高そうなマントを羽織って、豪華な椅子に座って、信徒を睥睨しているものだ。

 ところがわれわれキリスト信者が「王」とあがめるキリスト・イエスは、裸同然のサルマタ一丁で茨の冠をかぶせられ、豪華な椅子どころか木で作られた十字架を自分で運び、それに張りつけられ、人々から侮蔑と罵りを受けつつ、衆目の中、惨めな死を迎えたのだ。

 あなたは、イエス・キリストがサルマタ一丁で死んでいったことを知っていますか(知っていた/今知った)。

 ここが凡百の新興宗教と、二千年の歴史を誇るカトリックの違いであろうとも思う。


(去年の「王であるキリスト」の聖書と典礼より。左右の人物も主イエスのサルマタを拝んでおられます!?)

 もちろん、イエス・キリストが「王であるキリスト」となったのは、その後の「復活」ありきなのだが、やはりその前に、サルマタ一丁での惨めな磔刑死あればこそなのだ。

 プロテスタント教会の礼拝堂では、いろいろな理由から、十字架から磔刑死したキリスト像を外し十字架だけにしてしまっているが、これでは一番肝心な、サルマタ一丁で惨めに死んでいった我々の王を取り払ってしまったようなものだと思う。

 教会に入り、祭壇中央に飾られた十字架を見あげる。そこには、華麗でもない、美しくもない。むしろ醜悪な、サルマタ一丁で首をうなだれ、惨めに死を迎えた二千年前の男の像がある。その男こそが、確かに、まごうことなき、我々の王である。
 そのことを忘れたキリスト信者の心からは、すでにイエスがいないのだと思う。

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。(マタイによる福音書 7:21)


 カトリック教会の聖堂でも、最近は十字架上のイエスを「復活のイエス」にして、両手を広げ、今まさに祝福を信徒に与えようとする姿のそれにしているものもある。
 正直言うと、わたしはこの「十字架上の復活のイエス」はいまいち――それどころか、いまに、いまさんだと思っている。

 十字架上のイエスに栄光は似合わない。惨めで、憎まれ、罵られ、裏切られ、軽んじられ、無視され、奪われ、疑われ、蔑まれ、侮られ、ひとり、詩編をつぶやきながら、苦痛に顔をゆがめ、死んでいく。

 この男がわたしの信じる宗教の教祖であることを、わたしは、誇りに思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記