2017年11月20日

【日記】ぼうはん!

 最近は外出中の空いた時間に集中してモノ書きしたいときは、スタバなどのお洒落なカフェではなく、ネットカフェに入ってしまうということは以前にも記した。
 コストパフォーマンスを考えると、三時間から六時間くらいならネットカフェを使う方が、お洒落カフェやファミレスを利用するよりいいという計算の上である。

 お洒落カフェやファミレスで、オーダーを何度か取りながらも居られる時間は九十分程度だと感じている。それ以上になると、店側に迷惑をかけているのでは、という自責の念が沸いてしまって落ち着かない。
 その点ネットカフェは「時間貸し」なので、時間内はこのいたたまれない気分にならないのが良い。もしウッカリ延長してしまっても、その分、代金を払えば良いのだから明朗だ。

 反面、ネットカフェの不安は防犯面である。
 この「防犯」はネットカフェのPC使用にあたっての防犯ではなく、もっと物理的な「置き引き」のこと。
 フリードリンクやアイスクリームを取りに行ったり、トイレに入ったりしているちょっとした隙に、ブースにひょいと入られて荷物を盗まれてしまう可能性はゼロではない。

 ちなみに、PC的な防犯面の解決策は簡単である。「ネットカフェのPCは使わない」でOK。
 わたしはフリースポットのWiFiも使わない。それは徹底している。たとえばスタバのフリーWiFiはWEPすらかけていない。これはちょっと信じられない。最近のスマホは裏で通信していることが多く、どんなデータがやりとりされているかわからない。パケットスニファリングされたら、個人情報ダダ漏れである。
 VPNを使えばいいわけだが、そこまでするのなら、手持ちのスマホの通信会社で直に通信する方が素直で良い。

 今まで十数回、ネットカフェに入って、マンガも読まず集中して書き物をしてきたのだが、幸い、置き引きにあったことはない。
 しかし振り返ってみて、これは僥倖なのだと考えを改めた。いくら半個室とは言え、ブースの扉を開けてカバンをひょいっと盗んでいくくらい、三十秒もかからずできることである。
 財布や免許証などの本当に大事な物は、常に肌身離さず身につけているので、それらが盗まれる心配はほぼないが、カバンとポメラDM200を置いたままブースを離れることはたびたびあった。考えれば危ないことをしていたものである。

 そこで思案し、防犯のためのグッズを購入してみた。



 錠前式セキュリティワイヤー(サンワサプライのSL-57)と、三桁ロック式巻き取りセキュリティワイヤー(iBUFFALOのBSQ04A)の二本である。

 この記事もいきつけのネットカフェで書いているので、さっそく、試してみた。
 まず、錠前式セキュリティワイヤーを、愛用のカナナ3Wayバッグの中央金具に通して抜けないようにする。



 ワイヤーのもう一方の先は、ブースの適当な場所に固定し(今回は引き出し型キーボード台にぐるりと巻いた)、錠前でロック。



 これで、ワイヤーを切られなければ、カバン本体を置き引きされることはなくなった。しかし、肝心のカバンの中身を盗まれてしまっては意味がないので――



 カナナバッグの主収納コンテナにも錠前を掛ける。
 しかしこのファスナーにつける錠前、「ポテチ開け」という方法でけっこう開口できてしまうのは、知る人ぞ知る知識だったりする。


(これがポテチ開け。カバンの中身によっては、もっと広く開けられてしまう。恐ろしや)

 そこで、この錠前の可動性を低くするために、もうひとつの三桁ロック式のセキュリティワイヤーを錠前に通し、ぐるりとブースの家具に短く固定。これで、ポテチ開けも多少はやりにくくなる、はず。



 運用してみて、難点がある。
 ひとつは、ちょっとしたドリンクのお代わりに立つときも、いちいちポメラDM200をカバンにしまわなければいけない。そのたびに錠前を開けてしまってまた掛けて――をしなければならないのは、考えていたより面倒だ。
 もうひとつ、チャック式バッグは「ポテチ開け」以外にも「ボールペン開け」という方法で簡単に開いてしまうということ。そこまでされたら、もうどうしようもない。

 うーん。ここで行き詰まってしまった。出来心の置き引き犯なら、おそらくこの対策で心理的にやめるだろう。しかし、常習犯は防げそうにない。

 沈思黙考しばらく。結論はこうだ――



 カバン本体から必要な物を出したら、それをネットカフェ設営の無料ロッカーに入れてしまった。
 ポメラDM200はエコバッグに入れて、フリードリンクのおかわりのときにも持っていく。ブースには盗まれても金にならないメガネを置いておくくらいにしておこう。

 せっかく防犯グッズを買ったのに、なぁんだ、意味なかったじゃん――という気持ちもあるのだが、万が一の盗難にあってガックリくるより、このストレートな方法で身を守る方が良いと悟ったのであった。
 結局、答えは最初から、身近にあったのである。

 とはいえセキュリティチェーンは他の場所で使う機会も多そうだから、カバンに常備することにした。
 こうしてまた、カバンがちょっと重くなってしまうのだった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年11月19日

【日記】五十肩と「あしあと」

 認めなければならないようだな。自分の、老いゆえの痛みというものを。

 というわけで、「【回想録】側弯症」の記事冒頭でも書いていたのだが、左腕が痛くて自由に動かなくなってしまった。最初は「なんだか痛くて可動域が狭くなったな」程度で済んでいたのだが、今は衣服の脱ぎ着も、風呂で背中を洗うこともできない。
 幸い、キーボードに向かう程度の可動域や作業では痛みはないが、いよいよ重いものは持てなくなってきた。

 しばらく我慢すれば急性期も去り慢性期が来る。その慢性期にストレッチをさぼると肩の可動域が狭くなってしまう、ということをネットで知ったが、今、自分が急性期なのか慢性期なのかもよくわからない。
 細君が、とりあえずの対症療法として、背中を掻くための伸縮可能孫の手≠買ってきてくれた。
 様子を見続けるか、病院へ行ってみるかは、ここ二、三日の進展具合に賭けることにしよう。

「肩」といえば思い出すのは、クリスチャンの間で知られた「Footprint」という詩である。カナダのマーガレット・フィッシュバック・パワーズという女性が1964年に書いたもの、というのが定説だ。原文の英文は「Christian Footprint」で検索すればすぐに読めると思うので、ここではわたしの拙い意訳でご紹介したい。

 あしあと

 ある夜、わたしは夢を見た。
 わたしは主とともになぎさを歩いていた。
 暗い空を裂くように、わたしの人生の場面場面が輝いていった。
 わたしは気づいた。その場面ごとの砂上に、ふた組の足跡が残っていることを。
 ひとつはわたしのもの。もうひとつは主のもの。
 最後の場面が映し出されたとき、わたしは砂上の足跡を振り返ってみた。
 そこにあったのは、ひと組の足跡だけ。
 それは、わたしの人生で、一番つらいときだったというのに。
 わたしは主に問いかけずにはいられなかった。
「主よ、わたしがあなたについていくと決めたとき、あなたはいつも、ともに歩いてくださるとおっしゃいました。でも、わたしが一番つらいとき、足跡はひと組しか残っていません。わかりません、主よ、なぜ。わたしがあなたを一番必要としているときに、わたしをひとり、残しておかれたのですか?」
 主はささやかれた。
「わたしの大切な子よ、あなたを大事に思っているよ。あなたを決してひとりぼっちになどしない。あなたが試練に打ちのめされているとき、一組の足跡しかなかったのは――わたしがあなたを背負っていたからなのだよ」


 この詩はずっと「書き人知らず」であったが、こんな逸話とともに作者が再発見されたと聞いている。

 この詩を書いて25年後、マーガレットと夫ポール、そして娘の三人は事故に遭ってしまった。ICUで集中治療中のポールのもとに看護婦がやってきて、上記の「Footprint」を読み、祈った。この詩は作者不詳である、と言って。
 ポールは答えた。「わたしは知っています。作者を知っていますよ。それは、わたしの妻です」
 その後、三人は無事危機を乗り越えることができたという。

 上記の逸話は「あしあと 多くの人を感動させた詩の背後にある物語(太平洋放送協会刊)」に記されているそうだが、わたしは残念ながら同書を読むことができていない。なので、ネットでわかる最大公約数的な情報を、叙情もなにもない文章で記してみた。
 バージョンによっては、ICUにいるのが妻マーガレットで、ポールは付き添っていてこの詩を聞いた、となっているものもある。これもネット伝聞で変質していっているようである。

 この原作者の発見話は、もちろん感動的で奇跡的だが、しかしあえて言えば、Footprintという素晴らしい詩に加えて必要な情報だろうか。多くの人を励まし、今でも力づけているFootprintは、それそのまま口伝えしていかれるものでいい、とも思う。

 アイルランドの音楽グループ「セルティック・ウーマン」の曲に、「You raise me up」という歌がある。フィギュアスケートなどでも使われたそうなので、ご存知の方は多いだろう。
 その歌詞に、こんな一節がある。

You raise me up to walk on stormy seas;
I am strong when I am on your shoulders;
(Celtic Woman「You Raise me up」より引用)


 一行目で、イエスが湖上を歩いたシーン、二行目で、Footprintを連想しないクリスチャンはいない。
 この曲を「素晴らしい信仰告白の曲」と紹介したシスターに、日本人の女性が「恋の歌です。勝手に宗教ソングにしないで」と噛みついていたことがあったが、残念、それは日本人的発想。キリスト教文化圏においては誰でもわかる、これはあからさまに信仰告白の曲なのである。
 この曲を恋の歌と言い張るのは、与作が木こりではないというくらい無理がある。そんなたとえができるくらい自明なのだ。

 ところで、わたしの肩が今、こんなに重いのは、神さま、わたしがあなたに背負われているのではなく、まさかあなたがわたしにおんぶしているのではないでしょうね!?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年11月18日

【日記】タイピン

「若者の○○離れ」というのは、いささか聞き飽きたフレーズになりつつあるが、たいていは「お金がないから」という嘆きで終わってしまうことも多い。

 しかし、「ネクタイピン離れ」はお金の問題ではないと思う。
 それは選べば、ネクタイもタイピンも高いモノは上限ないだろうが、普通は手の届く範囲でできる、男の数少ないお洒落だからだ。それを捨ててしまうなんて、もったいない。

 ネクタイ自体が、クールビズの成果が定着して、一年を通してする人が少なくなった、というところはあるのかもしれない。ビジネスの場でも、半袖開衿シャツの中年男は珍しくなくなった。他人事ながら、腹の出ている中年男はネクタイをすることでそれが誤魔化せるのになぁ、と思ったりもする。腹の出ていない若者ならなおさら、ネクタイから離れてしまうのももっともなのかもしれない。

 しかしタイピンは、ネクタイをするのなら必須のアイテムと思っていた。ネクタイをするのにタイピンなし、というのは、わたしの感覚ではあり得ないのである。寝ぼけてタイピンを忘れて外出した日には、むしろネクタイを取ってしまうくらいだ。

 批判ばかりは良くない。ひょっとしたら、ネクタイをしてタイピンなしのメリットもあるのかもと、試しにタイピンなしで行動してみたことあったが、すぐに音を上げた。食事のときなどに、ネクタイがテーブルに乗ってしまいそうになる。歩いているとき、ブラブラして目障りだ。
 タイピンなしでネクタイをしている若者は、この「ブラブラ問題」をどうクリアしているのだろう。

 わたしがタイピンを初めて使ったのは、高校一年のときだった。今となっては珍しくないが、わたしが通っていた高校は、当時は県内に数校しかなかった、ネクタイにブレザーが制服の学校だったのである。聞いた話だが、制服を改造するのを阻止するため、という噂であった。中学の後輩の女の子が、「制服が可愛いから目指したい」と言ってくれる程度には評判の制服であった。
 その高校では、校章入りのネクタイピンをするのが正装であったため、それ以降、ネクタイにタイピンの組み合わせは当然と思って生きてきたのである。
 そんなわけで、わたしにとってネクタイとタイピンは切り離せないアイテムなのだ。

 バブルの頃は、剣先の細いネクタイが流行で、シックなものを好んでつけ、タイピンも細くてシンプルなものを選んでいた。
 婚約者時代の後の細君からタイピンをプレゼントされたこともあり、嬉しく、デートのたびにつけていたものだった。が、これはトラック運転手にケンカを売られたとき、壊れてしまった。わたしにもそんな、若い頃があったのである。

 今の定番は、クリスチャンであることをほのめかす「イクソス」や「シャローム」のタイピンである。



 男子のタイピンは、女子のイヤリング程度のお洒落になると思っている。女性ほど「お洒落」ができない男に生まれてしまったのは仕方ないからこそ、この数少ない洒落っ気を「面倒だから」で捨ててしまうのは、ほんと、もったいないですよ、若者男子の皆様。

 以前にも書いたが、法人を作ったとき、法人会の先輩に「小さい会社の社長ほど、近所の買い物程度の外出でも、ネクタイを締め、ひげを剃って出かけなさい」と言われたのだった。
 それは正しいと思いつつ、最近、教会へ行くのにも「クールビズだから」とネクタイ着用をサボってしまっていたのを反省。
 そろそろ涼しい季節、ネクタイを締めて出かけるとしよう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年11月17日

【日記】思考点……、思考線――。

 ワープロ時代になる前、「……」と「――」は原稿用紙に手書きだったので、間違いようがなかった。これは原稿用紙ふた枡単位を使って書くもので、ひと枡やさん枡で使うことは(商業誌では)ほぼほぼない。もしあったとしたら、そこの校正者はいい加減である(ただしマンガを除く)。

「……」は、ネット時代の今は「三点リーダ(ふた枡)」と言われることが多いが、本来「思考点」と呼ぶ。
「――」は、ダッシュと言うこともあるが、上記に倣って「思考線」と呼ぶ。
「・」は「ナカグロ」であり「・・・・・・」という表記を思考点の代わりに使うのはトーシロである。同様に「−」はマイナス記号であり「−−」と使うのはトーシロである。

「々」は「繰り返し記号」と呼んでもいいが、古い活字屋は「ノマ」という。ほら、「ノ」と「マ」の字が組み合わさっているでしょう? だから「ノマ」。

 ちなみに「〓」は「ゲタ」だ。これは活字がないとき代用で使われた。適当な活字を上下ひっくり返すとこの記号になったのが由来。

 わたしはワープロを黎明期から使ってきた旧いユーザーだが、新しいワープロ、FEP、IMEを使い始めると最初に単語登録するのが、この「……」「――」「々」「〓」である。
「ゝ」「ゞ」「ヽ」「ヾ」「〃」などはそうそう使う機会はないが、わたしは「……」と「――」をわりと使うモノカキなので、この二つが変換で、即、出てこないと思考が途切れてしまうからである。思考点、思考線だけに。

「……」は初期は「シコテン」、今は「シテ」。「――」は「シコセン」、今は「シセ」で登録している。

 思考点の使い方だが、これは行間を読んでほしいとき、ちょっとした無言の時間経過を表したいとき、言葉に詰まった様子を表現したいときなどに用いる。
 非常に例外的に、思考点を「…………」と、よん枡で使うときがある。これは本当に例外中の例外。言外の意思を読み取ってほしい、という書き手の感情を強く表すときに使った。わたしは今までのモノカキ人生で一回しか使ったことがない。業界いち、校正が厳しいという新潮社で用いたが、校正チェックが入り、ここだけはよん枡でやってほしい、と著者要望を入れたと思う。

 思考線は、思考点ほど迷いはないが、続けてなにかを言いたいところをグッと抑えた台詞や、地の文では括弧がわり――(←これと→)――こんなふうに使う。
 思考線を一番うまく使われた作家は小松左京先生ではないかな、と思っている。

 そうそう、「!?」は「疑問感嘆符」。その名のとおり、驚きつつ疑問を呈したいときに使う。おそらくわたしがこの記号をマンガから持ち込んだモノカキ第一世代ではないかなぁ。昭和中期までは、こんなマンガチックな記号を使う作家は見かけなかった。それでも――

「そうなの!」
「そうなの?」
「そうなの!?」

 どうだろう、みっつとも表現したい感情が違うことが、今のマンガ当然の世代のみなさんにはおわかりいただけるのではないだろうか。
「?!」という表記もあるが、個人的には「!?」の方がシックリくるのでそちらを愛用している。

 もうひとつ。「!」「?」「!!」「!?」の後はひとマスあけることが規則である! こんなふうに!! ね。ただし、台詞の閉じ括弧直前のそれは例外となる。「へぇー!」だ。
「そりゃないよ!。ベイベー」と、読点句点を入れる使い方は間違いだ。
「そうなんだ! 勉強になります」と、こうなる。

 思考点、思考線とも、使いすぎると雑な印象を受けるが、逆にまったく使わないとドシロートっぽくなる。使っていても、ナカグロやマイナス記号で流用していたりすると点が辛くなる。
 スポーツに「正しいフォーム」があるように、モノカキも「……」や「――」を用いるのが正しい表記法なのだ。ナカグロやマイナス記号で代用していたり、三点リーダをひと枡で使ったりしていると、中身を読まずとも「ああこの人は文章を書き慣れてないな」と判断されかねない。これから文章を書こうという若い方は注意されたい。

 逆に、匿名掲示板の書き込みで「……」を用いると、プロっぽいニオイが漂ってしまうので、わたしはわざと「、、、」などと読点を代用して使っていた。

 ほかにトーシロとプロの文章を見分ける点として「禁則」があったのだが、これはワープロ、PC時代になってからはエディタやワープロソフト、ブラウザのレンダリングの問題になってしまった。
 昔のワープロはひどかった。印刷で禁則はできても、画面上ではできなかったり、読点と句点しか処理できなかったりしたものだった。

 これは以前、レビューでも書いたが、文章書き集中デバイスとして宣伝されているポメラDM200でも、この禁則が不完全で残念である。また、縦書きの「回転」がいまいちなことにも触れた。
 ファームアップで直せるところであるから、「文章書き集中デバイス」として宣伝するのなら、このあたりも手を入れてほしいところだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年11月16日

【日記】エッセルスーパーカップ・スイートポテト味

 月曜日にスーパーへ買い物へ行ったとき、定番のエッセルスーパーカップの棚を見て、「おや、新製品が入っているなぁ」と気づいたのだった。
 それがこれ――



 第一印象は「イモかぁ……。イモくさいなぁ」ということで、実は月曜日にはスルーして「クッキーバニラ味」の方を買い溜めしてしまったのだった。

 ところが帰宅してネットでニュースを眺めていると、なんとこの「スイートポテト味」、期間限定発売品だというではないですか。
 こりゃあ失敗した。甘い物好きを自称するわたし、期間限定品となると、これは押さえておかねばなるまいよ。

 というわけで、夜があけてすぐにスーパーへ買いに行きましたよ。
 依然として、同じスーパーでは「エッセルスーパーカップ・苺ショートケーキ」を販売していない。
 しかしこちらの「スイートポテト味」は他の定番エッセルと同じお値段だからか棚に潤沢にある。なので、まだあまり、期間限定発売品としてのありがたみは感じない。

 カップの上部には――



 ふーむ、サツマイモのほのかな色でもついているのかな、かな?
 と思いつつ開けてみると――



 色はバニラとそう変わりないですな……。
 では一口、いってみましょう。



 うん! これは――まさしく「スイートポテト」である。スイートポテトをそのままアイスにした感じ。たまに入っているサツマイモの粒も自己主張することなく楽しめる。
 これはあれだ、もっともっと寒い日に、石油ストーブであったまりながら、はたまたコタツに潜りながら食べるとバッチリ相性があいそうだ。

 食後の余韻も「スイートポテト」。アイスなのに、ほんわか心が温まる。

 わたしは基本的にデフォルトタイプなので「バニラ」好きなのだが、この「スイートポテト味」が、バニラと並んでいたら、これから、どちらを買うか迷いそうだ。

 期間限定品といいつつ、いつまでの限定品なのか明らかになっていないのがちょっとアレだが、もし店頭で見つけたら、冒険にはならないという意味でも安心して購入できる一品。一度、ご試食いかがだろうか。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記