2017年11月06日

【日記】クラブ[・↑↑]

 その昔は、標準語を学びたかったら、NHKのニュースを聞いて真似をしなさい、と言われたものだった。


(弓月光「エリート狂走曲」2巻より引用。色っぽいけどJSです)

 しかし、それも最近は怪しくなっているように思う。
 わたしがこのところ、NHKのアナウンサーの言葉を聞いていて、たまらなく怖気が立つのは「クラブ」の発音である。

 わたしの世代は、「クラブ」の発音を[・↓↓]としていた。それがいつの頃からか、NHKでクラブ[・↑↑]と語尾を上げて言うようになっているのである。
 わたしだって「クラブ活動」とつなげて言うときはクラブ[・↑↑]と言う。しかし「クラブ」の単語ひとつならば[・↓↓]だ。

 最近の若い方の単語の発音が、語尾上がりになっていることは知っている。たとえば昔は「カレシ」「カノジョ」は[・↓↓]だったが、今はどちらも[・↑↑]だ。
 若い人が日常会話でこういうイントネーションで話すのは構わない。言葉は変わっていくものだから。しかしNHKは言葉の最後の砦として、こういう、以前とは変わったイントネーションを使うことに慎重になるべきではないか。

 アナウンサーも、プロデューサーも、ディレクターも、わたしの世代から変わってしまった、ということだろうか……。

 ここから先は、まとまりのない私見と妄想である。
 若い方の単語の「語尾上がり」は、自信のなさの裏返し、ではないだろうか。
 ふつう、「語尾上がり」は疑問型で使われる。

 細君「どこに出かけてた?」
 わたし「こうえん[・・・・]だよ」
 細君「こうえん?[・↑↑↑]」
 わたし「うん、こうえん[・・・・]」

 こんな感じ。同じ「公園」という単語でも、語尾上がりになると疑問型になる。
 一時期流行った、自分を指して言うときの台詞の定番として、付加疑問文を使う、というものがある。

 わたし「ほら、俺って、ノマドな人じゃないですか?」

 これ。こう言われると、相手は否定形で受けにくい。同時に言う方は、自分のことなのに他人事のように表せ、ワンクッション置けるという利点もある。

 若い方が単語を平板、あるいは語尾上がりに発言するのは、自分の意見を他人事のように装い、同時に反論を抑えようとする無意識があるのではないか、と思索を巡らしているところだ。

 わたしは、いわゆる「ら抜き」言葉を、そう悪いことだとは思っていない。「見られる」と「見れる」は意味が違うと思うからである。前者は可能と受動の両方の意味があり、後者は可能の意味に限定される。むしろ「ら抜き」言葉を使う人の方が、言語能力もコミュニケーション能力も優れているのではないか、と思うところもある。

 単語の平板化、語尾上がり化も、決して悪い面ばかりではないはず。言葉は社会によりそって変わっていくものだから。きっと、今の若い人たちの文化が、それを必要としているのである。

 しかし重ねて言うが、NHKがクラブ[・↑↑]というのは、まだ抵抗がある。民放ではないのだから、流行り言葉におもねるのはどうか。それとも、もうクラブ[・↑↑]は標準語として市民権を得ているのだろうか。

 細君も、NHKでクラブ[・↑↑]は気持ち悪いと言っている。
 みなさんはいかがだろう?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記