2017年11月09日

【日記】ラテラン教会の献堂

 今日、11月9日は、カトリックの祝日で「ラテラン教会の献堂」である。
「ラテラン教会」はローマにある「ヨハネ教会」のことであり、ローマ教区のカテドラルつまり司教座聖堂である。
 要するに、すべてのカトリック教会の母教会なのである。



 歴史をふりかえると、四世紀にコンスタンティヌス大帝によるキリスト教公認とともにローマ貴族ラテラニ家が寄贈した邸宅の宮殿に建てられた聖堂で、西暦324年11月9日、教皇シルヴェステル一世によって献堂された。
 もっとも、11月9日をカトリックの祝日とし祝うようになったのは十六世紀後半のこととなっている。

「ヨハネ教会」と一口に言うと、ガチカトは「洗礼者ヨハネと使徒ヨハネのどっちなんだよ」とモニョる気分になるが、実はラテラン教会はこの両方の聖人のために建てられた聖堂なのであった。

 全教会の母教会――とは言うものの、もちろんそれに、プロテスタント教会は入っていない。
 なんとも申しわけないが、カトリックはそのあたり、鷹揚に見えて慇懃無礼かもしれない。ロシア正教会、聖公会、十歩譲ってルーテル教会。それ以外のプロテスタント教会のことを、バチカンの上の方は教会的共同体≠セと考えているフシがある。

 教会というのは、つまるところ「イエス・キリストファンクラブ」である。バチカンの意識として、カトリック教会、ロシア正教会は「イエス公認&公式ファンクラブ」。聖公会、ルーテルあたりはまだ「公式ファンクラブ」。そしてそれ以外は単なる「ファンの集い」という感覚があるのである。
 いやはやなんとも熱心なプロテスタントの方には申しわけないし、宗教改革500周年の年だというのになんとも失礼なことを書いているかもしれないが、実際、カトリックの上のさらに上の方の意識には、そういうところはあるんだよ、ということで。

 それが如実に現れているのが、ミサのたびに配られる「聖書と典礼」の使徒書のタイトルである。



 この微妙な違い、おわかりいただけるだろうか?
 内容は同じ「新共同訳聖書」を使っているのだが、聖書側では「コリントの信徒への手紙」となっているのに、ミサ典礼では「コリントの教会への手紙」となっているのである。

 おそらく、プロテスタントの信徒の方は、カトリック側がこういう書き方をしているとは知らなかったろうと思う(なにしろ、お互い日曜日は自分の教派のミサ、礼拝に行っているわけで)。

 カトリックとしては、「教会以外に救いなし」という考えが今でもやはり残っているので、個人の集合体(ファンの集い)である「信徒への手紙」ではなく、使徒継承(公認公式ファンクラブ)である「教会への手紙」と考えているのである。
 もちろん、他にも理由はあるのかもしれないが(以前、司祭にこの質問をしたのだが、うまくはぐらかされてしまった)、カトリックの信仰というものは、教会抜きでは成立しないということがよくわかるひとつの例だと思う。

 上記のお話はカトリック側から見た一方的なものの見方で、実はプロテスタント側にも都合があって、新共同訳聖書では「信徒への手紙」となっているのかもしれない。ヨハネ黙示録では「どこそこの教会にあてた手紙」と明記してあったりするので、そこのあたりの翻訳事情・各教派のスタンスはよくわからないといった感じだ。

 話を一番最初に戻して「ラテラン教会の献堂」である。
 典礼暦は基本的に毎年移動するが、11月9日固定のこの日がくると、カトリック信徒は「ああ、秋も深まったなぁ」と感じ、もうすぐ訪れる典礼暦の最後の日「王であるキリスト」に思いを馳せ、新暦となる「待降節第一主日」を待ち望むようになる。

 今年も、よい一年で締められますように――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記