2017年11月18日

【日記】タイピン

「若者の○○離れ」というのは、いささか聞き飽きたフレーズになりつつあるが、たいていは「お金がないから」という嘆きで終わってしまうことも多い。

 しかし、「ネクタイピン離れ」はお金の問題ではないと思う。
 それは選べば、ネクタイもタイピンも高いモノは上限ないだろうが、普通は手の届く範囲でできる、男の数少ないお洒落だからだ。それを捨ててしまうなんて、もったいない。

 ネクタイ自体が、クールビズの成果が定着して、一年を通してする人が少なくなった、というところはあるのかもしれない。ビジネスの場でも、半袖開衿シャツの中年男は珍しくなくなった。他人事ながら、腹の出ている中年男はネクタイをすることでそれが誤魔化せるのになぁ、と思ったりもする。腹の出ていない若者ならなおさら、ネクタイから離れてしまうのももっともなのかもしれない。

 しかしタイピンは、ネクタイをするのなら必須のアイテムと思っていた。ネクタイをするのにタイピンなし、というのは、わたしの感覚ではあり得ないのである。寝ぼけてタイピンを忘れて外出した日には、むしろネクタイを取ってしまうくらいだ。

 批判ばかりは良くない。ひょっとしたら、ネクタイをしてタイピンなしのメリットもあるのかもと、試しにタイピンなしで行動してみたことあったが、すぐに音を上げた。食事のときなどに、ネクタイがテーブルに乗ってしまいそうになる。歩いているとき、ブラブラして目障りだ。
 タイピンなしでネクタイをしている若者は、この「ブラブラ問題」をどうクリアしているのだろう。

 わたしがタイピンを初めて使ったのは、高校一年のときだった。今となっては珍しくないが、わたしが通っていた高校は、当時は県内に数校しかなかった、ネクタイにブレザーが制服の学校だったのである。聞いた話だが、制服を改造するのを阻止するため、という噂であった。中学の後輩の女の子が、「制服が可愛いから目指したい」と言ってくれる程度には評判の制服であった。
 その高校では、校章入りのネクタイピンをするのが正装であったため、それ以降、ネクタイにタイピンの組み合わせは当然と思って生きてきたのである。
 そんなわけで、わたしにとってネクタイとタイピンは切り離せないアイテムなのだ。

 バブルの頃は、剣先の細いネクタイが流行で、シックなものを好んでつけ、タイピンも細くてシンプルなものを選んでいた。
 婚約者時代の後の細君からタイピンをプレゼントされたこともあり、嬉しく、デートのたびにつけていたものだった。が、これはトラック運転手にケンカを売られたとき、壊れてしまった。わたしにもそんな、若い頃があったのである。

 今の定番は、クリスチャンであることをほのめかす「イクソス」や「シャローム」のタイピンである。



 男子のタイピンは、女子のイヤリング程度のお洒落になると思っている。女性ほど「お洒落」ができない男に生まれてしまったのは仕方ないからこそ、この数少ない洒落っ気を「面倒だから」で捨ててしまうのは、ほんと、もったいないですよ、若者男子の皆様。

 以前にも書いたが、法人を作ったとき、法人会の先輩に「小さい会社の社長ほど、近所の買い物程度の外出でも、ネクタイを締め、ひげを剃って出かけなさい」と言われたのだった。
 それは正しいと思いつつ、最近、教会へ行くのにも「クールビズだから」とネクタイ着用をサボってしまっていたのを反省。
 そろそろ涼しい季節、ネクタイを締めて出かけるとしよう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記