2017年11月23日

【昭和の遺伝子】黒い煙に街は栄え

 この記事で、わたしの小・中出身校がある程度わかってしまうかもしれないが、別に隠す必要もないので、それはそれでかまわない。第一、今まで書いてきた「いまさら日記」をチェックしていれば、だいたいどこなのかわかる人にはわかっていたはず。

 さて、わたしの小学校の校歌には、こんな一文があったのである。

♪黒い煙に街は栄え、希望は広がる。


 いやちょっと、現代からすると仰天、の歌詞ではないだろうか。
 わたしが育った地方都市には、その地域の多くの人間が勤める巨大な会社があり、それが「黒い煙」をモクモクと出す業種だったのであった。

 やっと「公害」とか「光化学スモッグ」とかが社会問題として認知されはじめた頃である。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなどを社会の時間に習い、特にイタイイタイ病などは当時のクラス皆を恐怖のどん底に陥れたのだが、それでも体育館に集まって学期始めと終わり、卒業式で歌うのは「♪黒い煙に街は栄え、希望は広がる」なのであった。しかもこのあとに――

♪みーんなみーんな健やかに、楽しく歌って過ごそうよ。


 と続くのだからなんとも、である。
 校歌が制定されたのは、わたしが入学するよりかなり前。きっと当時は、煙突からモクモクと出る黒煙に、人々が豊かな生来、輝かしい未来を感じていたのだろう。
 歌詞を作った人の責任ではないとは思うが、高度成長期の日本のイケイケ路線がどのような雰囲気だったかが、わかるのではないか?

 二十一世紀の今、発展途上国の公害を日本人は嗤ったり、眉をひそめたりするが、日本だって、こういう歴史をたどってきていたのである。

 わたしの住んでいた街は、上記に書いた大企業の城下町だったので、黒い煙に街が覆われ、洗濯物が煤で汚れても、文句を言うものは少なかった。なにしろほとんどの住民が、その大企業の従業員だったし、あるいはその従業員にモノを売る商売をしていたのだから。

 ただそれでも、時代が進むとその大企業と関係のない住民も少なからず住むようになり、大企業相手に訴訟なども起こされるようになった。
 テレビで訴訟のニュースとともに、我が街の様子が映し出されたりもした。子ども心としては「あっ、知ってるところがテレビに映ってる」と、よくわからないまま大はしゃぎであった。

 バブル崩壊後、第二次産業の衰退もあり、その大企業もCI、同業他社との併合などをして時代を乗り越え、以前ほどの隆盛を誇らなくなっている。以前は埋め立て地に広い土地を持ち、正門は警備員が何人も歩哨している状態だったが、今はだいぶその土地も整理して、ショッピングセンターなどに移り変わった。
 ショッピングセンターのスタバを出ると目の前に、塀一枚隔ててその会社の工場が見える状態である。昔の関係者だったら、この開放的な現状にびっくりするのではないだろうか。

 わたしの出身校の校歌が、卒業後、違うものに変えられたのかどうかは知らない。しかし今の時代でも「♪黒い煙に街は栄え、希望は広がる」と歌っているとは思えない。
 ひょっとしたら平成前に新しいものに変えられて、この歌詞は「昭和の遺伝子」になっているのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子