2017年11月24日

【昭和の遺伝子】昼休み

 自分の「昼休み」に郵便局へ配達物をお願いしに行き、ああそう言えば、と思い出したことがある。

 昔の郵便局には「昼休み」があった。
 うろ覚えだが、午前11時45分くらいから、午後12時30分くらいは、窓口がカーテンを引いて「お休み」してしまうのである。

 郵便局だけでなく、たしか銀行も同じ時間は「昼休み」を取っていたと思う。金融だけでなく、役所などもおなじく「昼休み」を取っていたような記憶があるが、なにぶん、当時わたしは小学生だったので、そのあたりのことはよく覚えていない。小学生が平日昼間、役所に行く用事などはなかった。
 郵便局くらいは小学生でも使ったので、一番覚えているのは、「平日昼間、郵便局は昼休みを取っていた」ということ。
 そうだ、思い出した。小学生の頃の冬休み、もらったお年玉をいそいそと貯金に行ったところ、この「昼休み」にひっかかって呆然とした覚えがあるのだ。そのときに、「郵便局には昼休みがある」ということが強く印象づけられたのであった。

 ただ窓口が閉まってしまうだけで、内部では仕事をしていたのかもしれないが、お客からしてみれば「利用できない」という点では同じこと。窓口にはカーテンが引かれ、紙に書かれた「昼休み中」の札がかけられてしまう。
 第一、当時の郵便局は、「利用者」を「お客」だとは思っていなかった。なにしろ郵便局も「お役所」のひとつだったのである。

 この「昼休み」がいつなくなったのかは定かではない。今、検索してみたが、「そういえば昔、郵便局に昼休みってありましたね」という書きこみはあっても、いつからなくなったのかはわからないという感じだ。

 わたしの感覚では、平成になった頃には確実に「昼休み」はなくなっていた。昭和後期、バブルの頃に廃止されたような気がするのだが、根拠はない。
 札束が宙を舞うバブルの金融狂乱の頃には、昼休みを取る余裕もなくなっていたのだろうか。

「昼休み」というと、わたしは食の細い子だったもので、小学生時代、「給食を残す子はダメ」という指導の下、他の子が遊んでいる昼休み中、ずーっと給食の盆を睨んでいたことを思い出す。もう満腹で、残りのパン一枚を食べることができない。それでも先生は許してくれず、食べきるか、時間切れまで残される。給食係には嫌がられるし、アレは本当に苦痛だった。
「味音痴」はともかく、わたしの「食べるのが嫌い」は、ひょっとしたら生来のものではなく、あの頃の給食教育によって培われたものかもしれない。
 給食の思い出は、また機会を見つけて、別の記事で書こう。

 今この二十一世紀に、郵便局を始めとして銀行やお役所が「昼休み」を取り始めたら大変なことになるだろう。たいていの人は職場のお昼休みに抜け出して郵便局や銀行へ行くものだからだ。きっとツイッターや掲示板で怒号が飛び交うに違いない。
 そんな時間に堂々と休んでいた昔の郵便局は、なんというか「おカミ」であったなぁ、と思う。

 今は郵便局だけでなく、窓口がある会社が、昼休みにそこを閉めているということはまずない。
 それだけ社会が成熟したのか、それとも、日本全体がせわしくなったのか。便利になったのは良いことだが。
 昭和の日本はのんびりとしていた。時間の流れが遅かった。それが必ずしもいいとは思わないが、たまにあの空気感を思い出すと、懐かしく、ホッとした気分になるのも確かである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子