2017年12月11日

【日記】生理(ぢ?)

 お食事中の方は、いったん他のページへ移動なさることをお勧め。今回はそういう話である。

 さて、年に一回は、大の方をすると、便器が真っ赤に染まるようになってしまった。
 どす黒くはなく鮮血なので、内臓の病気ではないと思う。だいたい春先か秋口に、これは訪れる。
 そのたびに、わたしは細君に報告するのであった。

 わたし「生理がきちゃった」
 細君「ぢ≠ナしょ、ぢ=Bヒサヤ大黒堂のぢ=B病院行ってきなさい!」
 わたし「やだよ。病院行ったら病気になっちゃうじゃない」
 細君「病気だから病院行くんでしょ」
 わたし「いや、生理は病気じゃないから」
 細君「生理じゃないから! ぢ≠ナしょ」

 このような押し問答が、そのたびに繰り返される。しかし、あくまで生理であってぢ≠ナはないから、病院にはいかない。

 2ちゃんで「女の子集まれー」というスレがたったとき、「生理ってっらぃょね(>_<) ゎヵるゎヵる」と書いたら「オッサン乙」とレスされた。むきー。あたし、生理を経験してるもん。一年に一回だけど。せ・い・り・だ・も・ん。

 しかしあれは、ギョッとするものだ。大きさを確かめようと(ぉぃ)便器を振り返ると、中が真っ赤になっている。その度に楳図かずお先生のホラーマンガのように「ギャーッ」とのけぞってしまう。


(楳図かずお「楳図かずおの呪い」より「悪夢の数式」から引用。いやまた記事にぴったりのコマがあったもので……)

 最初に鮮血が出たときは、それこそ、悪い病気なのではないかと恐々としていろいろ調べたものだった。これが最初にも書いたとおり、どす黒かったりクリムゾンレッドだったりすると腸からの出血の可能性があるらしい。
 わたしの場合、毎回、色鮮やかなライトマゼンタなのでそういう心配はなさそうだ。

 一番当てはまるのは、細君の主張通りぢ≠セが、その自覚はない。これでお尻が痛ければ病院も考えるが、痛くないのである。マジでマジで。
 となると消去法から、やはり生理以外考えられない。

 細君「あなたは男でしょ、生理があるわけないでしょ!」
 わたし「わかんないじゃん。マリア様だって処女懐胎したじゃん。神さまは何だってできるもん。もしかしたら、俺、再来のイエス様を身ごもるかもしれない」

 指導司祭が聞いたらブッ倒れそうな不遜なことを言っている。

 細君「いいから病院行ってきなさい」
 わたし「生理で病院行く人いないから!」
 細君「だったら生理不順で病院行ってきなさい!」
 わたし「男が生理になるわけないだろ!」

 ぢ≠カゃん(笑)。

 幸い今のところ、小の方で生理になったことはない。
 そちらが生理になったら、ちょっと「生理になった」などとはしゃいではいられないかもしれない。

 本当にぢ≠ナ悩んでいらっしゃる方、生理痛で苦しんでいらっしゃる方には、本記事、おふざけでごめんなさい。

 せ・い・り・だ・も・ん!(まだ言うか!)
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年12月10日

【日記】ボケて!

 どうも最近、「以前にも書いたが」「前にも言ったとおり」「このブログでも以前触れたが」のような枕言葉が多くなってきているような気がするのじゃ。

 これはのう、つまり、わしはちょっと、ボケてきているのじゃ。以前書いたことを覚えていないんじゃのう。
 なにしろ、毎日毎日、だいたい原稿用紙三枚程度はなにか書こうとしているもんじゃからの。以前書いたことなんぞ覚えちゃおらんのじゃよ。ふぁっふぁっふぁ。いや、笑いごとじゃないんじゃが。

 この前なんぞ、ググって出てきたページを読んで「わしと同じ意見を持っておるなこの若造、感心じゃわい」と思ったら、わしが以前に書いたページじゃった。ぶっふぁっふぁふぁ……。いや、笑いごとじゃないんじゃが、な。

 年をとるとくどくなるというが、それは違うんじゃ。前にも言ったことを忘れちまうんじゃのう。だから何度も同じ話を繰り返してしまうんじゃ。
 繰り返しているうちに「あー、これは前にも話したな」と気づいていることも多いものじゃ。だから若い人は「その話は前にも聞いたよ」と言わず、フンフンと聞き流してくれるのが一番じゃ。やらかしているのを一番気づいてショックを受けているのは、他ならぬわしらのほうじゃからのう。

 あとはあれじゃな。前、言ったことと、今、話していることで、矛盾が生じていることもあるな。こりゃあしょうがない。人間じゃからな。前に思っていたことと、今、感じていたこととで違うことなんて珍しくないじゃろう?
 おまえさんだって、中二の頃は「くっ、こらえろ、おれの左腕」とかやっていたじゃろうが? こら、逃げるな。わしはそういうことはよく覚えとるんじゃ。ひっひっひ。

 あとはあれじゃな、あのバッハだって、自分の旧作をひっぱりだして新しいバリエーションにして新しい曲にしたりしているんじゃ。バッハならぬわしのような凡人が、自分が以前書いたテーマと似たようなテーマで、さらに似たようなことを書いてしまうのはいたしかたないと思わんか? 思うじゃろ。思え。よーし。いい子じゃ。左腕のことは忘れてやる。眼帯のことは覚えておるがな。ひっひひひ。

 実を言うとなぁ、けっこうボツ原稿というのもあるのじゃよ。ボツというか、書いてはいたが掲載しなかった、という記事じゃな。理由はまあ、そのとき気乗りしなかったというものが多いんじゃが。
 あとでポメラやPCのブログ原稿ディレクトリを見て「あれ、こんな記事書いてたんだ」と思うこともあってな。それが決して悪い原稿じゃないんじゃなぁ。
 じゃが、自分が書いていたことを忘れているもんじゃから、なんだか得したような気もしつつ、他人の書いたものを読んでいるような気分になって、不思議なもんなんじゃ。

 ん、なにが言いたいかわからなくなってきたって? 話がくどいって? だーかーらぁ。わしはおまえさんと話ができるこのブログを、まだまだ続けるつもりじゃから、「あっ、この話は前にも似たようなものを読んだぞ」と思っても、そこはやさーしく、「おじいちゃん。またこの話してる」と流してくれればいいってことじゃ。

 そういえば、以前、おぬしとはこんな約束もしていたの。

 ★!

 なに、忘れた!? なんじゃ。おぬしも若いのに忘れっぽいんじゃな。スマホ版ではできんが、PC版なら検索窓でブログ内検索ができるからやってみんしゃい。

 なんにせよ、もうすぐ毎日更新して一年と半じゃ。よくもったのう。これからもできれば、おぬしとこうして、ブログで話していきたいのう。よろしく、じゃ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年12月09日

【日記】俺のヨメ

 もともと、「嫁」という言葉は、息子の妻を指していう言葉だった。旧約聖書で言えば、イスラエル民族の始祖アブラハムの息子イサクの妻ラケルが、アブラハムにとっての「俺の嫁」である。

 がしかし、現代ではもう、男性が自分の配偶者を指して「俺のヨメ」というのが普通になっているので、ここはカタカナの「ヨメ」で、俺のヨメ、細君の話を進めたい。

 振り返ってみると、細君は、現代から見ればとても若い頃に、わたしの妻になってくれたのであった。
 今のわたしに、もし細君と同い年で結婚しようという知り合いのお嬢さんがいたとしたら「え、ちょっと大丈夫? 早いんじゃない?」と心配するくらいの若さである。

 なにしろわたしは、細君の女子校時代の制服姿を知っている。プロポーズしたのも婚約したのもハイティーンの頃だった。
 それでも、友人たちから「犯罪!」と言われなかったのだから、わたしの年回りも相応に(今の時代から見れば)若かったのだと言える。

 現代日本の問題の根は、少子高齢化ではなく「非婚化」にあるのだな、と、この頃、つくづく考えるようになった。
 それは最近、昔からの友人に「あなたたちは早い結婚だったね」と言われ、あれっ、そうだったかな? とふりかえり、上記のように、今の自分ですら「(今の時代から見たら)早い結婚だったなあ」と思ってしまったからである。

 銀婚式を迎える程度には結婚生活というものを経験してきた者として、多少なりとも、若い人にアドバイスできることは、ひとつである。

「相手がいるなら、結婚は、一年でも二年でも早いほうがいい」

 男でも女でも同じである。
 高校生の間にカップルになったのなら、大学生の間に相思相愛になったのなら、二十歳そこそこで結婚に踏み切ったっていい。一人前になってから、稼げるようになってから、そんなことを考えず、社会人になるまえに結婚した方がいい。わたしは学生結婚大賛成である。

 社会人になって、結婚について、メリット、デメリットを計算するようになったら、結婚で一番大切な勢い≠ェそがれていく。そうなった時点で、結婚できない可能性が非常に高くなる。それこそ、一生ダメかもしれない、と脅かしておく。

 それは、結婚というものが、本来、メリット、デメリットを計算してするものではないからだ。

 学歴だの、年収だの、年齢だの、容姿だの、そういったものを度外視して「この人と一緒にいたい」という衝動がわかない相手とは、結婚できないのである。

 結婚というものは、広い海洋で、ぽっかりと体を浮かばせるような感覚に似ている。泳ごう泳ごうともがいているうちは、いつかは疲れて沈んでいってしまう。そういったものを放棄して、仰向けになり、ぽーんと体を海洋線に投げ出してしまえば、人間、自然に浮かぶようにできているのである。
「婚活」というものは「スイミングスクール」のようなものだ。いくら早く泳ぐ練習をしたところで、この「浮かぶ」感覚は習得することができない。

 広い海洋で、男女二人が(最近は男女に限らないが)、手をつないで、ぽかーんと浮かんでいるのが結婚である。競泳をしていれば、いつかはどちらかが、そして両方が沈むのである。

 若くしてわたしの妻になってくれた細君には、感謝しかない。よくもまあ、こんなわたしと一生をともにするという決意を、あの若さでしてくれたと思う。
 できた夫でないことは承知している。できた夫ではないが、わたし以上に細君を愛している男性はいないとも断言する。

 わたしが筆を断っていた時期があったことを、古い読者の方はご存じだろうと思う。そんなわたしがもう一度、ネットやブログで文章を書くようになったきっかけのひとつは、当時、別ペンネームで雑記を書いていたわたしに、細君が「あなたはやっぱり、書く人なのよ」と言ってくれたことだった。

 以前のウェブサイトでは「めおとまんざい」というコーナーをつくっており、そこで夫婦のかけあいを紹介していた。

 昨春、ブログを書き始めるにあたって、「俺のヨメ」のことをどう書こうか、と、一瞬思い悩み、「細君」と書くことにきめた。敬愛する文豪、夏目漱石に倣って、である。
 文豪にはなれなかったが、よい人生を送れていると思う。なにより、細君がともにいてくれるから。

 わたしがノロケ話を臆面もなく書くのは、少しでも多くの若い方に「結婚て世間で言うほど悪くないな」と思ってほしいからである。メリット、デメリットを越えて、愛している人が一緒にいてくれるということの良さを伝えたいのである。

「寒くなったねえ」「ほんとだねぇ」
 こんなつまらない会話ですら、夫婦の間で交わされれば暖かい記憶になっていく。
 そんな結婚の良さを伝えたい。

 さぁ、あなたも「俺のヨメがさ」と、ノロケたくなりませんか?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年12月08日

【日記】ペンダント

 なにしろ洒落っ気というものが全然ないもので、装飾品の類いを身につけるという習慣がずっとなかった。
 なにぶん昭和の男なので、ピアスとか、ブレスレットとか、男なのにカチューシャ≠ニかとは縁がなく過ごしてきたのである。
 ペンダントも「ただうざいだけ」だと思っていたので、身につけたことはなかった。

 結婚指輪だけは、細君が学生時代からずっとつけている。これは、細君に「女よけ」としてつけられていたのだ(ノロケ)。

 こんなわたしだが、カトリックの洗礼を受けてからは、やっぱりクリスチャンならペンダントくらいするかね、と思い、シルバーのネックレスをするようになった。
 というのも、カトリックには「不思議のメダイ」というものがあり、これを身につけていると、聖母マリアがお守りくださるという信心があるのである。

 この「メダイ」のカトリック文化は、「不思議のメダイ」だけではなく、いろいろな聖人のものが出ている。旅の無事を祈る「聖クリストフォロス」とか、以前にも書いた「聖ベネディクト」のメダイが有名だ。
 だいたいのカトリック信者が、自分の洗礼名、堅信名の聖人のおメダイを、司祭の祝福を受けて持っているものではないだろうか。

 ここで一般の方や、カトリックの「そういうこと」を偶像崇拝だと批判する一部プロテスタントの方のために言っておくと、「メダイそのものに超自然的な力などまったくない」。
 たとえば、「時計」を想像してみていただきたい。「時計」がなくても時間は存在し、流れ続けている。しかし、今の時間を知りたかったら、「時計」を見るのが普通ではないだろうか。この「時計」にあたるものが、カトリックの「十字架」や「メダイ」なのである。自分の信仰を振り返り、思い起こし、神さまへの思いを確認するためにあるものなのである。「時計」があるから「時間」が存在するのではないように。

 というわけで、カトリックの十字架やメダイを「偶像崇拝」だというプロテスタントの方は、これから一切、時計なしの生活を送っていただきたい。神さまに祈れば時間なんてわかるでしょ? 時計を見るのは偶像崇拝と同じである。

 同じように、カトリックの信仰のない人がメダイを身につけても、なんのご利益もない。ただのアクセサリーである。
 ただ「ご利益があるかも」という素朴な思いを否定するのも気が引けるので、そういう方はぜひともカトリック教会へいらして、ミサの一回でも与られてみたらいかがだろうか。その上で、なにか感じるところがあったのなら、「まだ洗礼を受けてはいませんが、神さまの存在を感じたいので」とでも言えば、司祭もメダイに祝福をくださるだろう、くださるんじゃないかな? いや、司祭によってはダメという方もいらっしゃるので、ちょっと断言はできない。

 話をもとに戻して、そんなわけで、わたしも不思議のメダイと十字架をペアにしてペンダントとして、ネックレスをつけるようになったのである。これ見よがしにではなく、下着の内側に。

 もともとペンダントやブレスレットなどは装飾品ではなく、急所を守るために身につけるものだった、とも聞く。この平和な時代には、あまりそういった役に立つことは少ないかな、とも思っていた。
 しかし、その考えが180度変わった出来事があった。

 311である。

 あの日、日常生活がいきなり地震と津波によって分断されるという経験を経て、人間、いつ突然、生前の姿を失って死んでしまうかもしれない、ということを思い知らされたのだ。

 いつ死ぬともわからない船乗りは、打ち上げられた死体が自分であることを遺族が判別できるよう、刺青をするのだという。
 さすがに刺青まではできないが、もし突然、わたしが肉体を判別できないほどの死を迎えたとき、せめてペンダントがあれば、死体が見つかったとき、遺族にわかってもらえるかもしれない、と思うようになったのだ。

 こんな平和な時代でも、天変地異は防ぐことができない。それを悟って以来、ネックレスの鎖も少し太いものにし、ペンダントヘッドの十字架も、わたしのものだとすぐにわかる大きめのものにした。面倒だと思わず、風呂に入るとき以外は必ず身につけている。

 もちろん、これが役に立つことなく、家族に看取られながら神さまのもとへいける未来が一番だが、自分に関しては、そういう未来を想像できないのだよなぁ……。と、逆フラグを立ててみたり。

 ちなみに、墓石に刻んで欲しい墓碑銘は決めてある。「主は与え、主は奪う(ヨブ1:21)」である。
 この聖句の後にはこう続く。「主の御名は誉めたたえられよ」と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年12月07日

【回想録】8ミリビデオの思い出

 といっても、もうこの「8ミリビデオ」、多くの方が「そんなのあったっけ?」という感じなのではないだろうか。
 むしろ、「8ミリフィルム」の方が「あったねぇそんなの」という懐かし話で盛り上がりそうである。

「8ミリビデオ」というのは、まだベータとVHSが競っていた時代、それでももうベータはジリ貧かな、というころに作られたハンディカム――小型可搬型動画撮影機――用の規格である。

 8ミリビデオ登場前は、ソニー率いるベータ陣営は「ベータカム」というベータのカセットがそのまま入るムービーを、ビクター率いるVHS陣営はCカセットという、VHSのカセットに入れ子で入れられる規格を使ったムービーカムを出していた。
 CカセットはCカセットで大した発明だったと思うが、なにぶんVHS大のアタッチメントに入れなければいけないという枷があったため、撮影時間が20分しかないという制限があった。3倍モードはあったのかな? 自分が持っていなかったのでよくわからない。

 そんなCカセットに対抗し、さらに凌駕するために作られたのが、「8ミリビデオ」規格であった。なにが8ミリかというと、ビデオテープの幅が8ミリだったのである。カセット本体の大きさも掌に軽く乗るくらい。撮影時間もCカセットとは違い120分の撮影ができた。
 ハンディカムへのローディング方法はUマチックで、それこそカセットだけが小さい「小型のベータ」という感じであった。

 このあたり、Wikipediaなどを確認せず、自分の記憶だけで書いている。回想録ということで記憶の変質はご容赦。

 ソニーの初代機は見送れ、というジンクス通り、最初の数台は様子を見ていたが、そのうち、PROの冠を関する、納得いくスペックの機種が出たところで購入。
 充電器とバッテリー二個、それに、そういった周辺機器が入れられるキャリングバッグも購入。これが大きかった。本体はハンディなのに、キャリングバッグは小さなスーツケースくらいあった。
「本体はハンディ」と書いたが、これも一応「片手でなんとかホールドできるサイズ」である。いわゆるパスポートサイズ≠ェ出る前の機種だったもので、決して今の方が想像できるような「小型」の機種ではなかった。

 しかしその前に出ていたベータカムなどが、機器のお尻を肩に乗せなければ持てないほど大きかったことに比べれば、当時は確かに「ハンディカム」だったのである。

 わたしが8ミリビデオを導入した理由はひとつだけ。取材で使いたかったからである。小説に出てくる舞台の景色や、そこでちょっとした小物を撮っておくと、ここで数行のテンポを取りたい、というときに、後からテープを見返して使うことができる。
 当時はまだデジタルカメラはなく(マビカはあったかも。しかし実用ではなかった)、安価かつ大量に映像を取れるのは銀塩写真ではなくムービーという逆転現象があったのだ。

 しかし、取材に持っていくには前述のとおり周辺機器を詰めたキャリングケースが大きく重く、どうにも閉口するものだった。何度か取材旅行に持ち出したのだが、バッテリーも保たないし、撮影するときにはいちいち取り出さなければいけないしで、「これは取材には使えないなぁ」という結論を出さざるをえなかった。

 人間のタイプは「動画型」と「静止画型」のふたつにわけることができるかもしれない。だとすると、わたしは明らかに「静止画型」なのである。記憶なども静止画をパラパラとめくっていくように思い出す。
 もうひとつ、取材に使えないと思ったのは、たとえば小説の資料のために景色をとっておきたくても(当時のカメラの性能ゆえに)、画角が狭いのである。景色全体を取るためには横パン、縦チルトをしなければいけない。自然、時間がかかるし、同行者がいる場合は気を遣わせてしまう。
 ワイドコンバージョンレンズを買ってもみたが、それでやっと銀塩の50mm画角くらいである。
 そして解像度も悪く、ブレなくきちんと撮影するためには三脚を立てなければいけなかった。これだと、取材がメインのはずが、撮影メインになってしまう。
 わたしは別に映像作品を撮りたいわけではないのだ。結局、最初の一年ばかりは無理をして持ち出していたが、次第に面倒になり、持っていっても駅のコインロッカーに入れておいたままだったりと、取材には使わなくなってしまった。

 それでも、以前にも書いたが、わたしの住む地方都市を襲った中規模地震を生で撮影したり、近所の火事を撮影して、それが地方局の夕方のニュースで採用されたりもした。高速道路でクルマがひっくり返って燃えているシーンを撮ったこともある。
 振り返って思い出してみると、この愛用8ミリビデオで、わりと「カメラがとらえた決定的瞬間」を撮っていたのだなぁ、と感慨深い。


(原作:武論尊/漫画:原哲夫「北斗の拳」少年ジャンプ掲載より引用。当時、友人H君宅で8ミリビデオで記録したもの)


(原作:武論尊/漫画:原哲夫「北斗の拳」少年ジャンプ掲載より引用。あれ? ケンシロウの指が……)

 わたしの父は8ミリフィルムの頃からの映像作家であったので、最後にはこのカメラも父にあげてしまった。その頃は、父自身もすでに自分の8ミリビデオを持ち編集機器もそろえ、そちらへ完全にシフトしていた。

 やがて時代はDVになり、8ミリビデオは市場から完全に消えてしまった。
 8ミリビデオは、相応のデッキを使うとDATとしても使えるという利点もあった。しかしこの機能も知る人ぞ知るメリットで終わってしまった。

 最初にも書いたが「8ミリビデオ? そんなのあったっけ?」という方も、もう珍しくないのではないだろうか。
 8ミリビデオは、アナログビデオ最後の時代の徒花であったなぁ、と思う。

 今はなにか事件があると、誰でもがスマホの動画をネットにあげ、テレビ局の側が「使わせてください」と言ってくる時代である。
 8ミリビデオカメラ機材の詰まったあの大きなキャリングケースを持ち運んでいた時代が良いとは全く思わないが、昭和の香りの残る懐かしさを感じつつ、筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録