2017年12月01日

【日記】「1968年」無数の問いの噴出の時代

 成田空港へ行く用事があったので、そのついでに、見られればと思っていた「国立歴史民族博物館」の企画展示『「1968年」無数の問いの噴出の時代』を拝見してきた。



 1968年という年は、わたしはまだ小さな子ども、細君は産まれてすらいなかった年である。

 この企画展示は二部構成となっており、一部は「ベ平連」、「住民運動」、「水俣病闘争」。二部は「全共闘」を中心とした、当時の資料の展示となっている。
 その多くは手書きでガリ版刷りの藁半紙で、そういった意味ではわたしも懐かしかった。

 展示全体を通して思うのは、わたしには、この企画を見てなにかを書けるだけのサムシングがまったくないなぁ、という情けない気持ちであった。
 自分自身の、政治的なことへの興味の薄さを思い知らされた気分である。

 ただ、わたしは小中学校が大学附属であったので、当時のゲバ文字看板や「××斗争に集結」といったビラは本当に懐かしかった。芝生に「全共闘」と書かれたヘルメットが転がっていたのを思い出す。



 看板を書いているお兄さんたちに「なに書いてるのー?」と怖い者知らずで話しかけて仲良くなり、菓子パンをもらって一緒に食べたりもした。

 そのお兄さんたちは飄々としていたが、同時に、とても「熱い」感じもしていた。その正体は、子どもにはわからなかったけれども。

 今日、ガラス越しに見てきた数々の彼らが残した資料からは、そういった「熱気」は、残念ながら伝わってこなかった。それらはすでに紙の資料となり、歴史の証言物となってしまっていた。

 ちょっと笑ったのが、展示してあった1971年4月26日号の「少年ジャンプ」。そこの巻頭カラーに「三里塚少年行動隊・躍動する若い力」という特集があったこと。
 当時の「市民運動」の雰囲気がわかるのではないだろうか。

 今の時代は、「市民運動」などというと、眉をひそめる人の方が多いように思う。そのターニングポイントはいつ頃なのだろう。
 2000年頃にはもう「プロ市民」なる言葉ができていて、「市民運動を生業にしている連中」として揶揄されていた。

 ちょっと話題を変えるが、その昔、男性はみな、「プロ野球ファン」であった。これはなぜかというと、とりあえず、どこかのプロ野球チームのファンになっていないと、世間話もできないから、であったのだ。

 それと同じことが、当時の市民運動や、大学紛争にもあったのではないか、と感じるところがある。

 今の時代に「LINE? 興味ないね」、「ツイッター? やらないなあ」などと言うとハブられる、あの感覚である。

「市民運動」は「プロ市民化」した人々の手にだけ残されたのではない。
 インターネットはすべてのものを暴力的に破壊し平坦化する。このネット時代には、「市民運動」も知らず知らずのうちにネットに拡散し汎化し、そして誰もが気づかずに「市民運動」に参加しているのだ。

「炎上」がそれである。
 あれも実は小規模な「市民運動」なのだ。
 オリンピックのエンブレムの盗作から、議員の不倫の露呈とか、問題発言で辞職とか、果ては声優のちく(ピー)の色まで、すべてが「市民運動」と化したのだ。

 その奥底に通奏低音のように流れているのは、個々人の「肥大化した自己承認欲求」であるようにも思えてならない。連合赤軍事件が、結局は(どんなに理屈をつけても)そうであったように。

『「1968年」無数の問いの噴出の時代』は、歴博で12月10日まで。
 ご覧になっている方々の年齢は、わたしより二世代は上であった。高い図録を数冊お求めの方も。きっと懐かしいのだろうなぁ。

 あと何十年かしたら、歴博で「インターネット常時接続時代・無数の炎上の記録」などという展示があるだろうか。
 そんな時代がきたら面白いと思いつつ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記