2017年12月15日

【回想録】電話局

 わたしが街へ行くために乗っているバスには「電話局前」という停留所名が残っている。
 バス停にも「電話局前」とはっきりと書かれている上、アナウンスでも「次は電話局前、電話局前」とお嬢さんの声が響く。
 しかし、この「電話局」はもう存在してない。もう20年も前から電話局としての役目を終えて、NTTの回線基幹基地の建物となっている。

 1990年代前半の頃からだろうか。携帯が爆発的ブームになるちょっと前あたり。NTTは各地の営業所を次々と閉めていったのだった。「電話≠フ相談は電話≠ナなんでもおうかがいいたします」という姿勢をあからさまにしていたように思う。
 また、回線基幹基地はテロ対象≠ニなるので、地図上の場所を明らかにしないのだ、という話も聞いた。しかし上述のように、バス停の名残に「電話局」という名前がついているのだから、この言い訳は噴飯物である。

 わたしは電話の仕組みは好きだが、電話で話すのは億劫なタチなため、この「電話≠フ相談は電話≠ナなんでもおうかがいいたします」という姿勢は苦手であった。なので、なにか用事があると、電話で相談ではなく、その電話局へ直接行って契約変更や回線増設の契約を行っていた。
 当時、まだ電話は自由化されておらず、今の若い人には信じられないことだろうが、壁にはモジュラージャックさえなかった。黒電話の電話線を伸ばすためですら、電電公社(NTTの前身)に工事のお願いをして、自宅まできてやってもらっていたのである。

 さて、当時、電話を新しく入れるためには、電話加入権≠買わなくてはならなかった。これは資産として計上されるため、一般には電話債権≠ニも言われた。一回線で八万円もした。
 よく、税金が払えない場合、税務署に差し押さえされる対象の一番が、この電話債権≠セとはよく言われたものである。
 つまり電話債権≠ヘ売り買いできるものだったのである。電話が不要になった者は業者に売って、新しく必要になった者はその業者から買う。そんなことが普通に行われていた。

 そんなわけで、新しく回線をいれるために、莫迦正直に電電公社へ行って電話加入権≠買うというのは、よほどのお人好しでもなければやらなかった。
 たいてい、電話局の近くに、この電話債権≠売っているお店があったからである。
 バス停に名残のある、わたしの街の「電話局」にも、はす向かいに電話売買します≠ニ看板をつけた業者が営業をしていた。

 書く仕事のために、自分専用の電話を入れなければならないと決意し、この業者のお店に入ってみて驚いた。

「えっ、ここはハンコ屋さん!?」

 なんとなれば、カウンターの内側に、クルクル回る三文判をたくさんつめこんだケースがドーンと置いてあったからである。

 おそるおそる「新しく電話を一本欲しいのですが」と伝えると、話はスムーズに進み、カウンターのお姉さんは、電話債権委譲の書類をポイポイポイと作成してくれた。そう、実際には買うのではなく、要らなくなった人からの債権委譲なのである。
 もちろんタダではない。お金はかかる。五万くらいだったかな? それでも、電電公社で新しく電話加入権≠買うよりは三万安い。

 カウンターで書類を作成していたお姉さんが言った「今日はハンコはお持ちですか?」
 えっ、と思った。今のわたしなら、カバンに必ず三文判を入れているが、当時はまだ十代、そういう知恵はなかった。
 時間はもう十六時をすぎていたと思う。近くの文房具店を探して買って戻ると電話局も閉まってしまうか、などと計算しつつ、あいにく持っていなくて――というわたしに、お姉さんはにっこり。そして、窓からの夕日で長い影を落としている後ろの三文判ケースをくるりとまわし、「結城」のハンコを探しだすと、それを書類にポン! なんと、売るためではなく、そういう用途のためにあらかじめ用意してあった三文判だったのである。

 あとは即金でお金をお支払い。「まだ間に合いますから、残りの手続きは電電公社の方へ行ってやってください」と言われ、はす向かいの電電公社へ。こちらもこういうことは日常なので、トントンと書類はコンピュータに入力され電話番号も決まり、あとは工事日を決定して、終わりである。

 こうして三十年以上も前に得た電話番号は、ひかり電話になった今でも現役で使っている。
 当時は電話というものは「一家に一台」であって、自分専用の電話を持てたことは本当に嬉しかった。

「電話局」が営業所として閉所し、はすむかいにあった、この電話債権売買業者も、自然、廃業となった。今は花壇が美しい普通の民家となっている。

 バスのアナウンスで「次は電話局前、電話局前」と聞くたびに、この電話債権業者に置いてあった三文判ケースが、夕日に長い影を落としていたことを思い出す。

 この当時はまだ電電公社。まだ電話の自由化はされていなかったことは記した。つまり机の上に乗せられた、わたしの初の「マイ電話」は黒電話≠ナある。
 留守番電話を入れて、締め切りの催促に劇的な効果を得られるようになった思い出話は、またの機会に――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録