2017年12月20日

【日記】不倫をしない技術

 このところ、世の中、政治家や芸能人の不倫話でかまびすしい。テレビを見ないわたしでも、ネット経由でいろいろな不倫話が耳に入ってくる。中には何度も不倫を繰り返している人がいるようで、なんとも、懲りない人たちだなぁ、と思う。

 おそらく、世の中、多くの人が勘違いをしていることがある。不倫をする人というのは「それだけ異性を惹きつける魅力や能力がある」という間違いだ。
 不倫をする人というのは、そういったなにか特別な才能・技能を持っているわけではない。逆に、普通の人が持っている才能・技能が欠如しているのである。だから、人倫にもとる行動をとれてしまうのである。

 たとえて言えば殺人。多くの普通の人間は、殺人の才能・技能があるわけではない。逆に、安易に人の体を傷つけてはいけないという崩しがたい倫理観があるから、ちょっと頭から湯気を立てるようなことがあっても、包丁でブスッとやらないのである。

 ブスッとやってしまった後で「憎かったからしょうがない」「たまたま憎かった人が目の前にいただけ」「殺人は文化だから」「今はそうでもないけど、あのときは本当に憎んでいた」「悪いのは憎まれるようなことをした方。わたしはむしろ騙された」などと言って許されるわけがない。

 どれだけ憎んでも、「殺人」だけはやってはいけないから、人は酒に酔って忘れたり、サンドバッグを叩いたり、バッティングセンターへでバットを振り回したり、それぞれ、なんらかの方法でストレスを逃がして「殺人」衝動を回避しているのである。

「不倫」をしてしまう人というのは「不倫衝動」を抑えきれない、ちょっと思考形態に問題がある方なのである。

 ただ、思考形態に問題があるからと言って、それ自身が悪いわけではない。神さまは悪い人にも善い人にも、天才にも莫迦にも等しく、朝日を恵んでくださる。人は皆等しく平等で尊い。
 そういった人たちは、教わってこなかった、あるいは学んでこなかったのだ。「不倫をしない技術」というものを。

 簡単に言えば「異性を誤解させない技術」である。既婚者だったら結婚指輪をつける、ことあるごとに配偶者を大切にしていると話をする、イベントデイは先約があると公言する。夫婦二人でカトリックになる。いや、最後のは冗談。

 単純に考えて、こういう家庭環境的なものは学校で学ぶものではないから、不倫をしてしまう人というのは、ご両親に「不倫をしない技術」を教えてもらえなかったのである。
 端的に言えば、両親が理解しあっていなかったのだ。
 喧嘩が多かった、お互いの文句を陰で言っていた、外面はいいが家に入ると仮面夫婦であったなどなど、子どもはそういう雰囲気を肌で悟ってしまうのである。
 そうすると、子どもは総じて、「結婚」というものの価値観を軽んじたまま成長してしまう。
 小動物をいじめ、無残に殺す子どもが、殺人者になる種を宿しているように、「結婚」の価値観を軽んじる子どももまた、不倫を犯す種を宿して成長してしまうのである。

 と、この記事はこのあたりまで書いたはいいが筆が進まず、掲載はペンディングしていた。
 なんとなれば、わたしが不倫などまったく無縁に、幸せな結婚生活を送ることができているのは、わたし自身の努力によるものではなく、ただ、神の恩寵によるものなのだなぁ、と、書いていて思ったから。

 ひとつの真実をやはり書かねばいけない。不倫をする人は、不幸な人なのである。不幸な環境に育ち、不幸な思考を持つようにいたり、幸せな結婚ができなかったがゆえに、不倫を犯してしまうのである。
 そのような不幸な人を、わたしのように生育歴にも細君にも恵まれた人間が指弾することができるだろうか。いや、できない。

 それに「不倫をしない技術」というタイトルをつけながら、わたし自身がそれを分析できずにいるということにも気づいてしまったのだ。
 株で成功した人が「株で成功する技術」という本を書いても説得力がない。成功には努力以外に必ず運――神の恩寵――があるものだからである。ある人が成功した方法を使って他の人も成功できるのなら、この世に失敗者などいるはずがないではないか。
 むしろ失敗した人が「こうすれば株で失敗する」という本を書いた方が良いのである。

 というわけでこの記事は、もうモニョモニョしながらも、せっかくここまで書いたので、もったいないからうpすることにする。
 読者諸兄姉にはお目汚し記事でご容赦。

「不倫をしない技術」が系統だって分析できたら、また似たような記事を載せるかも。

 追記:ふっふふ。なんだかんだ言ってね、わたし、のろけたかっただけなんですよ。良い細君と巡り会って、不倫なんて微塵もつけいる隙のないよい夫婦生活を送れていていいでしょ、ってね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記