2017年12月22日

【日記】心は女……

「【日記】心は男だけど……」の続きである。

 前回の最後で「真の男」「真の女」と書いたが、これは「真っ直ぐに社会が期待する男性性を取得した人間」、「真っ直ぐに社会が期待する女性性を取得した人間」と言い換えてもいい。
 心それ自体は、生まれてから物心つくまではプリンのようなもので、周りから固めてやらないと固形物にならないのである。

 本来のGID治療というものは、MtF GIDならば「体は男だけれど見かけが女で、心も女であることから、生活に不自由をきたしているから治療する」ものだと考える。これは確かに、性別再判定手術をしてでも、社会的性別と身体的性別を同一にしなければならない。
だが、「心が女だから(という主張を鵜呑みにして)見かけを女にする」治療は間違っている、とわたしは思う。

 わたしが以前、ゾッとしたMtF GIDの日記がある。彼は「心は女」と言い、女装して女子トイレに入り、なんとそこで性的興奮を催し、自慰行為をしてしまったことをぬけぬけと書いていたのであった。
 本当に「心が女」ならば、それがどれだけ女性の恐怖を呼び起こす行為かを想像できるだろう。しかもその彼は、精神科医からMtF GIDの診断を受けて、女性ホルモンを服用していたのである(なお、その日記はさすがにまずいと思ったのか、すぐに消去されていた)。

 わたしのGIDへの疑問の原点はそこにあると言ってもいいほど、気味の悪い思い出である。

 また、性同一性障害のマスコミの取り上げ方も一方的で、公平な視点ではない。
 最近では、配偶者や子どもがありながらGIDを名乗り始めた方々が出るようになり、その配偶者や子どもが苦痛を味わっているという事実を、マスコミは無視している。
 そういう方のブログを拝読したことがあるが、それはそれは悲痛なものだった。

 実際に苦しんでいる方がいる以上、「性同一性障害なんて嘘っぱちだ」と切り捨てる気にはなれない。
 が、その苦しみを減少させようとする現在の治療法――性ホルモンの服用、性別再判定手術など――は本当にほかの手を尽くした上での、最終的なものにするべきだ、と指摘しておきたい。
「【書評】放浪息子」の最後でも書いたが、まずは心理療法で、「体の性と心の性を一致させる」治療法を試みるべきだ。
 ここで思いこみの激しい当事者たちは、胎児の時の性ホルモンシャワーがどうたらと言い出すだろう。が、繰り返して書くが「素の心に性別なんてない」。

 わたしがこのように書くのは、10年以上、彼ら彼女らのサイト、ブログを読み続けて、治療≠フ結果、あまりに不幸になる当事者が多かったからである。
 前記のように、当事者だけでなく、家族も不幸になる。
 成功した例も知っているが、わずかなものだ。そういう方は、もうみなブログやSNSなどやらず「埋没」している。今もお元気ならなによりだが。

 慣用句で言えば「老婆心ながら」である。
 わたしは体は男だが、老婆心ながら、「心の性別≠ネんてものにこだわらないで、心はあなた≠ナいいじゃない」と伝えたいのである。

 この記事は、一度、最後まで書いたものの、気が乗らずアップしなかったのであった。
 が、最近、あるMtF GIDで戸籍の性別変更までしたという方がそれを後悔しているというニュースがあって「なんらかの救済が望まれる」とマスコミが書いていることを知り、マスコミのなんと無責任なことよ、という思いから、推敲の上掲載することにした。

 もし、MtF GIDの実際について取材したい、という意欲のあるマスコミ関係者は、ぜひとも、本人にではなくその家族(特に妻子)に話を聞いていただきたい。夫が女装を始め、それをMtF GIDだと言い張り、一家が離散していく悲惨な現実を、活字としてリポートした記事を、わたしは読んだ記憶がない(予定調和的に「家族も理解しています」という、現実離れした気持ち悪い記事は何度も読んだ)。
 きっと、衆目を集めることと思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記