2017年12月23日

【日記】文章力と読解力

 その昔、ニフティサーブでのできごと。
 ニフティサーブにはたくさんの「フォーラム」があり、ユーザーは自分が興味のあるフォーラムに参加して、そこの電子会議室(掲示板)で話ができる仕組みになっていた。
 しかし、発言につけられるIDは――別垢を取って自作自演でもしなければ――同じであり、その人の発言をフォーラムをまたいで読んでいくこともできるのである。

 今の「5ちゃんねる」で言えば、全鯖ワッチョイ強制みたいな感じ。

 そういう状況であったので、いろいろなフォーラムに書き込む人は、ROMしていても「ああ、またこの人か」とわかってしまうのであった。性別はもちろん、出自や職場、独身か否か、基本的な思想はどうなのかまで知れてしまうことは少なくなかった。

 そんな中の一人に、ちょっとケンカっぱやい人がいたのである。
 この方はいろいろなフォーラムで売り言葉に買い言葉、すぐカッとしてしまい、ラジカルな言辞で相手をやりこめようとするのであった。
 しかしそこはいにしえのニフティサーブ。有名人から無名の人まで、長文上等の論客ばかりである。逆に冷静に論破されてしまうことも少なくない。
 とは言え、ROMからしてみれば明らかに論破されているのに、本人が諦めなければ「論破されていない」というのがネットの常である。
 こういう段階になると、必ずこの方が言う定番台詞があった。

「あなたはあなた自身の文章力を疑った方がいいと思います」

 どのケンカでも、最後はこのような台詞で、相手の文章力を叩いて、自分を正当化しようとするのである。
 ROMしている方は、だんだんと可笑しくなってくる。だって、負け戦になると、どこでも必ず「あなたの文章力を疑った方がいいと思います」なのだから。
 これはもう、誰でもわかる。相手の「文章力」に問題があるのではない。この人の「読解力」に問題があるのである。

 しまいには、この人の「あなたは自分の文章力を磨いたらいかが」などという書き込みを見ると、キタキタキターッ! と笑い出してしまうようになった。これを書くたびに、自分の読解力の低さをROMに露呈していることに気づいていないのだろうなぁ、と。

 実際、読みにくい文章というものはある。大江健三郎先生の著作などはけっこう読みにくいと知られている。そしてむしろ、わたしはそういう大江先生の文章が好きだ。

 文章は個性である。みながみな、わかりやすい「さいた、さいた、さくらがさいた」レベルの文章を書いていたらつまらない。マンガで言えば「絵柄」である。「絵柄」に好き嫌いはあっても「正解」はない。

 そのあたりのことをわかっていない人が、上の例の人のように「あなたの文章力に問題が――」などと言い出すわけである。実は本人の読解力に問題があるわけだが、本人はそれを自覚していないし、また、指摘されたとしても納得はしないだろう。
 思考というものは言語で行うものであり、その言語感覚が鈍いということは、自分を中心に世界が回っていると思っている証左だからである。幼児時代は誰でも自分中心でしょう?

 だから、文章書きの諸兄姉、もし「おまえの文章力が云々」と言われるようなことがあったら、凹む前に、この記事を思い出していただきたい。それは実はあなたの問題ではなく、バブバブ言っている相手の読解力の問題であることが多いからである。
 成熟したオトナはそのあたりのことをわかっているので、うかつに「あなたの文章力が」などとは言わない。自分の読解力を笑われる可能性があることを知っているからである。

 テレビ番組は偏差値40の人にもわかるように作るものだ、という話があるらしい。どうりで、テレビが面白くなくなっていくわけである。
 同じ轍を踏んで、世の中に偏差値40の人相手の文章があふれてしまうのはゲンナリだ。ただ、ちょっと凝った文章を書けば、偏差値40の人に「文章力が云々」と言われる可能性がある、そういうときは華麗にスルーがいいよ、ということである。

 さて、この記事、わたしの文章力に問題はありましたか、ね?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記