2017年12月28日

【日記】幼子殉教者

 12月25日は救世主イエスの降誕をお祝いするめでたい日だが、その三日後の今日、12月28日は、カトリックの典礼暦で「幼子殉教者(聖嬰児)」という、少々、血なまぐさい祝日となる。

 これは、新約聖書のマタイ2:16にある逸話を元にしたエピソードを典礼暦に反映させたものだ。救世主イエスがベツレヘム村に生まれるという話を聞いたヘロデ王が、将来の自分の身を案じ、その時期に生まれた同村一帯の子どもを全員殺させた、というもの。

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。(マタイによる福音書 2:16)


 松本零士先生のSF、「ミライザーバン」の中に、この逸話をモチーフにした掌編がある。


(松本零士「ミライザーバン」1巻より引用)

 話のオチは聖書のそれよりも練りこまれていて、なかなか心に残る一編となっている。ご興味がおありの方は、電子書籍でお確かめを……。

 ヘロデのしたことは人でなしの所業だが、はたして、一日あたり500件の人工妊娠中絶が行われているこの日本で、それを「残酷だ」と斬って捨てることができるや否や。しかもその多くが、若者の間で増えているのではなく、分別を知った30代、40代の夫婦の間で「もう子どもを育てる余裕がないから」という身勝手な理由で行われているのだ。
 ヘロデ王は2000年前にいるのではない。一見、裕福で幸せに見えているあなたの隣の家族がそうであるかもしれないのだ。

 これは上記の「ミライザーバン」よりホラーな現実である。

 ただ教会は、どのような事情を持った方でも愛を持って赦す。特にパパ・フランシスコは、この問題にも前向きに取り組んでいらっしゃるようである。
 クリスチャンのわたしには、いわゆる水子供養≠ネどはわからないが、もし、自分の罪に悩んでいらっしゃる方がおられるのなら、一度、誰もいない昼のカトリック教会のお聖堂で、十字架の下で神さまにお祈りしてみられたらいかがだろう。

 さて、本日の「幼子殉教者」の祝日は、絶対に主日(日曜日)の典礼にはならないという悲しい宿命もある。
 なぜなら、主の降誕(12月25日)後八日の間にある主日は、自動的に「聖家族」の祝日となるからである。


(2014年12月28日主日の「聖書と典礼」。「幼子殉教者」ではなく「聖家族」の祝日が優先して祝われてしまう)

 カトリックは、洗礼時に洗礼名、いわゆるクリスチャンネームをつける。指導司祭がつけてくれる場合もあるし、自分で気に入ったものをつけていいよ、というケースもある。そのあたりはまちまちだ。
 一生、使う洗礼名であるし、後に変更は効かないから、これはなかなか悩むのである。
 最初に候補に挙がるのが、自分の誕生日の聖人。たとえばこの時期なら聖ステファノ。彼の殉教日12月26日が聖名祝日となっているので、その日が誕生日ならば「ステファノ鈴木太郎」とかつけるわけだ。これは明快でよい。なにか運命的なものも感じるしね。

 で――実は、わたしの誕生日が、今日なのである。12月28日。「幼子殉教者」。
 いろいろ調べてみたが「幼子殉教者」を洗礼名にしたという人は寡聞にして聞いたことがない。司祭や年季の入った信徒に聞いてみても「心当たりはないねぇ」という。

 洗礼志願者時代、こりゃあいっそのこと、この珍しい「幼子殉教者」を逆手にとって「幼子殉教者・結城恭介」という洗礼名もいいか、と悩んだ時期もあったが、結局、それほど「幼子殉教者」に思い入れがなかったので、別の聖人名にしてしまった。

 ちなみに、「洗礼名」「クリスチャンネーム」と書いてきたが、カトリック的には「霊名」と呼ぶのが一般的。しかも実を言えば、「霊名」は「洗礼名」ではなく「堅信名」の方を指すのが正しい。
 このあたりのことは、ここで書くとちとややこしくなってくるので、またそのうちに機会があったら書きましょう。

 というわけで「ハッピーバースデー自分」なのです。いやもう、めでたい歳でもありませんがね。
 なんにしろ、おかげさまで、もうひとつ、歳をとることができました。
 また一年、聖嬰児たちのとりなしがあることを祈って――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記