2018年01月21日

【日記】眠らなくて済む体 or 食べなくて済む体

 ずいぶん前、コミケ直前の修羅場で、こんなお題をサークルメンバーに出して顰蹙を買ったことがある。

「ねぇ、眠らなくて済む体≠ニ食べなくて済む体=vだったらどっちが欲しい?」

 そのときは、みな、睡眠不足だったので「眠らなくて済む体に決まってんじゃん」とツッコまれて終わりであった。

 でもどうでしょう? みなさん、冷静になってみると、どっちの体が欲しいと思われますか?

 わたしは、そんなお題を出したときも、今も、答えは決まっている「食べなくて済む体」である。

 条件として、「眠らなくて済む体」は、別に眠りたかったら眠ってもいい。同じように「食べなくて済む体」は、別に食べたかったら食べてもいい。ただ両者とも「それをしなくても生きていける体」である、ということ。

 デメリットとして「眠らなくて済む体」は、眠っても疲れは取れない(逆に寝なくても疲れない)。同じように「食べなくて済む体」は、食べればやっぱり太る(食べないでいればBMI20くらいでやせ細ったりはしない)。
 ちなみに両者とも、普通に老化していつかは死ぬ。

 後付けでこんな条件をつけてみたが、それでもやっぱり、わたしは「食べなくて済む体」が欲しい。
「食べなくて済む体」というのは、実にコストパフォーマンスが高い。なにしろ、食費が一切かからないからである。これはもう、死ぬまで不死身が約束されているようなものである(なんだそれ)。
「眠らなくて済む体」は眠らなくて済むメリットはあっても、反面、働いて日々の糧を得なければならない。よっぽど働くのが好きな人でなければ「眠らなくて済む体」を選ぶメリットはないと思うのだが……。

 これはわたしの私感、たんなる感触だが、このお題を出すと、実際には「眠らなくて済む体」を選ぶ人の方が「食べなくて済む体」を選ぶ人より多いような気がするのである。
 わたしは「食べるの嫌い」な人だが、世の中には「食べるの大好き」な人ばかり。最近のマンガもグルメものばかり。特に日本人は――

日本「すまん。トイレ逝ってくる」
米露韓中北「いってらー」
中国「(ヒソヒソ)日本を本気で怒らせてみたいが、難しい。潜水艦で領海に入っても怒らない」
韓国「独島を占拠しても怒らない」
ロシア「北方領土を返さなくても怒らない」
北朝鮮 「なら、おれが核ミサイルをぶち込んでみようか」
米国「よせ、それはもうおれがやってみた」
米露韓中北「一体どうすれば……(途方にくれる)」
中・韓「おれらは日本人を怒らせようと犯罪者を大量に輸出してみたんだが、逆にビザ免除に動いてくれてるし……」
北・露「ふーむ……」
米国「……あ、でも、牛肉に脊柱に入れたら、日本国民が激怒したな」
露韓中北 「それは、おまい怒るよ」
中国「野菜に毒(農薬?)盛ったら怒ったぞ?」
韓国「生ゴミ餃子も怒った」
米国「寄生虫の卵を食い物に入れて輸出しあってる奴はちょっと黙れ」
ロシア「あいつ、食い物以外じゃ怒らねーんじゃねーの?」
米韓中北「あ!」


 という国民性ですから。
 民族性や属している宗教でも違うかもしれない。わたしは――

お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。(創世記 3:17)


 の労働懲罰説を取るカトリックだから、食べ物をあくせく探す人生など本来まっぴらだが、マメなピューリタンは違うかもしれない。

 また、性格判断や、その人の生きるスタンスがわかる質問かもしれない。人生のなにを大切にするか、仕事か、享楽か、家族か、なにかを成し遂げることか、そういったもので選択が変わるかもしれない。

 この話に、特にオチはない。ただ、みなさんだったらどちらを選ばれるかな? とお話を振ってみただけである。
 宴席の話題に、ちょっとこんなお題はいかが? もし面白い回答があったら、ぜひメールでお教えくださいな。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年01月20日

【日記】電子マネー

「【日記】モバイルnanacoが使えなくなったとき」の記事で、わたしの使っているスマホがnanacoアプリに非対応で、裏技を使ってアプリをインストールしていることを記した。
 それが、先日、アプリのバージョンアップがあり、また裏技を使わねばならないのかー、と顔をしかめてPlayストアへ飛んでみたら、なんとすんなりバージョンアップさせてくれたのである。つまり、非対応機だったスマホが、いつの間にか対応機扱いになっていたのだ。

 わたしはチョロイので、これでnanacoが大好きになってしまいそうだ(笑)。

 電子マネーを使い始めたのは、ガラケーの頃からだったから、世間的に見て早いほうだったと思う。最初に使ったのは(まだ楽天ではない)Edyだった。

 当時はまだEdyで自動車税の支払いができたので、コンビニへ向かう道すがら、チマチマとガラケーにチャージして(一回のチャージが数千円しかできなかった)、それで支払ったことをよく憶えている。
 どうしてEdyで自動車税を払ったかというと、その頃は自動車税自体がクレカで払うことができなかったのだ。なので裏技的に、クレカで自動車税を支払うためだったのである(クレカポイントを貯めるため)。

「エディ、それなに? 美味しいの?」の時代であったから、電子マネーが使える店などほとんどなかった。
 Edy本社(当時)が入っていたビルの地階に、どでかいパフェをだす店があり、細君と入ったことがあるのだが、このときは、地階のすべての店でEdyが使えて感動した憶えがある。
 もう10年以上前の話だ。

 その後、Edyで自動車税の支払いができなくなり、自分はガラケーからスマホに変えて、これがFelicaが使えない機種だったものだから、電子マネーからは縁遠くなってしまった。
 ほとんど電車に乗らない生活のため、華々しくデビューしたSuicaを導入しなかったから、というのも大きい。
 細君は依然、ガラケーを使い続けていたし、また楽天っ子だったもので、Edyが楽天傘下になったことでさらにEdyっ子になってしまったのであった。

 そしてわたしも細君も、Felicaのついたスマホに買い換え、Edy、Suica、nanacoを使うように。

 体調がよくなり、たまにでもJRを使うようになると、実にSuicaは便利だ。スマホをパッとかざして改札を通過するだけ、快適である。
 40年以上前は、当然ながら改札にはキップにハサミを入れる駅員さんがいて、ラッシュのときには実にリズミカルにタタタンタタタンとハサミで改札の石を叩いてリズムを取っていたものだった。あまりに毎日、駅員さんがタタタンやるものだから、改札のその部分が凹んでいたことを思い出す。
 硬券にハサミを入れてもらって、そのハサミ跡で「どこから入った」とわかるのも懐かしい。

 当時少年だった自分に、今のJRの改札を見せたら、自分が「想像できなかった」未来ぶりに仰天することだろう。
 空に自動車は飛んでいないし、真空チューブに電車は走っていない。道行く人も体にピッチリとしたタイツのような服を着てはいないが、これが本当の未来というものなのだなぁ。

 電子マネーで買える自販機などがあると、特に喉が渇いているわけでもないのに、思わず興味本位で買ってしまったりする。
 それにしても、今は電子マネーが乱立しすぎだ。EdyとIDを聞き間違えられることも多いので「楽天Edyでお願いします」と言うようにしているのだが、それでも間違えられることも。

 こういうのも、過去に駅員さんが叩いていた改札の石のようなもので、タタタンタタタンと叩かれていくうちに穴がうがたれ、そのうち合理化によって数社に統一されていくだろうか。
 まあ、紆余曲折あったEdyが楽天に買われた形であれ残ったというのは喜ばしいことだと思っている。
 なんだかんだと、最初に使った電子マネーなもので、わたしも細君と同じように、Edyには愛着があるのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年01月19日

【日記】セブンイレブン「ざくざく食感チョコミントシュー」

 甘み、甘味、あまみ……。
 深夜に甘味が欲しくなって、思わずセブンイレブンへ行ってみたら、プロデューサーさん、ありましたよ、「ざくざく食感チョコミントシュー」です。昨日入手できなかった「ざくざく食感チョコミントシュー」。

 というわけで即買いの上、帰宅して。細君と一緒に深夜のデザートターイム。



 今夜のコーヒーはコーヒープレスで淹れましょうか。



 蒸らしもうまくいって、浸漬もいい感じ。美味いコーヒーがつくれそう。



 遠近法がおかしいのではありません。赤い夫婦コーヒーカップなのです。

 というわけで、「ざくざく食感チョコミントシュー」、いってみましょう!
 ちなみに構造はこうなっているそうですよ。





 ひと口かじっても、まだ中身は出てこない。ふた口、み口と食べたところで、わーお。



 甘いミントクリームが登場!

 細君「美味しいけど、美味しいんだけど……。やっぱり青色というのは食欲をそそらないね。クリームに色をつける必要はなかったんじゃないかなぁ」
 わたし「でもやっぱり、ミントは青色じゃないと寂しいよね」
 細君「まあそうだけど、あともう少し皮の色は薄くてもよかったかもね」
 わたし「チョコミン党としては、もちょっとミント味が強くてもいいな、って気もする」

 などと話していたら、ここでハプニング。シュークリームを食べるのがへたくそなわたし、クリームを盛大におもらしして、お皿に落としてしまった。うぉっと。
 手もチョコでベトベト。というわけで、ここから先は画像なし。

 わたし「お菓子づくりが趣味の人として、総評、お願いしまーす」
 細君「味はすごくいいんだけど、ちょっと美味しさを感じさせる色ではなかったかな」
 わたし「色にこだわるねー。さすがイラストレーター」
 細君「そもそもチョコミン党の人でないと買わないんだろうから、もっとミントは遠慮しなくてもよかったとも思うよね」
 わたし「うん、それはあるかもね。でも、十分、美味しゅうございました。あと、この味でこのお値段(150円)はコスパ高いと思う」

 というわけで、来週23日に発売されるという「チョコミントの生ガトーショコラ」も楽しみだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年01月18日

【日記】セブンイレブン「チョコミントの和ぱふぇ」

 セブンイレブンでは1月16日から「ざくざく食感チョコミントシュー」と「チョコミントの和ぱふぇ」を、1月23日からは「チョコミントの生ガトーショコラ」を発売するとのこと。期間限定なのかどうかはわからないが、スイーツイーターとしては試してみたい。
 ミント味はダメという人もいるが、わたしはわりとチョコミント好きなのである。

 が、発売当日の1月16日、近所のセブンイレブンでは「ミント」の「ミ」すら発見できず。うーむ。どうやら近所の人にも、「セブンイレブンの新作スイーツは食べーる」という「セブンを食うモノたち」がいるらしい。


(矢上裕「エルフを狩るモノたち2」10巻より引用。祝完結。できればレビューもそのうちに)

 それでも、なんとか「チョコミントの和ぱふぇ」を一個確保できたので、細君と試食。





 断面図はこんな感じ。ミントムースが上から見るより多そうなのが良し。



 今日のコーヒーは失敗してしまった。アルコールランプに燃料が十分に入っていることを事前にチェックしていなかったので、燃料切れで浸漬が不十分な内に逆流してしまったのである。



 こんなときの必殺技が「二回抽出」。もう一度加熱して、浸漬不十分なコーヒー液を再び上ボールに上げて再抽出するのである。
 もっとも、これが記載されているサイフォンの入門本を、わたしは一冊しかしらない。なので本当にこれでいいものやら手探り状態。



 なんとかうまくリカバーできたようだ。
 ちなみに吝嗇家のわたしは、ふつうに浸漬がうまくいき上ボールに残ったコーヒー粉を使って、サイフォンの二番煎じを試してみたことがある。さすがにこれは雑味がすごくて飲める代物ではなかった。

 さて肝心の「チョコミントの和ぱふぇ」。



 フタを開けるのに失敗して、チョコの部分のせっかくのデコレーションを崩してしまったのが残念。
 まずはそのチョコ部分を試食。うん。美味しい。
 ミント部分へとスプーンを進めてみる。

 細君「そんなにミントは強くないね」
 わたし「ミント苦手の人もいるから、ちょっと抑え目にしたのかもしれないね」



 歯磨きの後味のような甘み(笑)が美味しい。中の「チョコようかん」は、あまりチョコという感じではない。
 全体として食べやすく満足度は高いが、もう少し、ミントのパンチが効いていてもよかったかな?

 というわけで、ごちそうさまでした。
「ざくざく食感チョコミントシュー」と「チョコミントの生ガトーショコラ」も食べたいなぁ……。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年01月17日

【日記】わたしもテクノロジーは信用していない

 出先でまとめサイトのヘッダと中身をサラッと読んだだけなので、話の流れや、元のツイッター主の意図を曲解している可能性も多々あるのだが――と、前置きをした上で。まあ単に話のネタとして。

 あるツイッター主が「わたしはテクノロジーを信用していない」「衣服も自然素材のものを着ている」などと書いたところ、「そういうおまえもブログやツイッターに依存している生活をしているではないか」「そんな人がテクノロジーを信用していないというのはおかしい」という反応が押し寄せて炎上した、という話。
 うーん、正直、わたしは驚き、叩かれたツイッター主に少し同情してしまった。
 なぜって、わたしもやはり、テクノロジーを信用していないから。

 わたしのコンピュータ歴はかなり長いし、書いているコードも、成果物も(いまでこそ過去のものになってしまったが)そこそこあったと思う。そんなわたしだが、コンピュータを心からは信用していない。
 二進数の0b01001001と0b10110110の論理和を取れば0xffになることは心から「信用」している。これは数学だからである。
 しかし、プログラマが0b01001001 || 0b10110110というコードを書いたとき、その結果が0xffになることは、フォアナイン以上の確率で「信頼」はしているが、決して「信用」はしていない。

 これは以前にも書いたが、まだコンピュータのメモリが磁気コアだった時代、同じアドレスのメモリばかり使うと、そこが磁化してしまって使えなくなってしまうので、アクセスするメモリはプログラムの方でバラして使う、というテクニックがあった(この名残で、エラー時にメモリの内容を吐くことをコアダンプ≠ニいうのである)。
 これ、決して昔の技術ではない。今でもメモリカードやSSDでは使われている。ただ、コントローラに同じような機能が内蔵されているので、自作PCなどをする末端ユーザは気にしないで使っていられるだけなのである。


(今の人だって、メモリが化けることがあることくらいは承知しているでしょう?)

 古いコンピュータ屋は、「信用」と「信頼」に差異があること。つまりコンパイラやアセンブラのバグを自分で見つけ出し、ため息をつきながら回避コードを書いたような経験が何度もあるはずである。

/* ここを削除するとなぜか正常動作しない */


 こんなリマークを書かれた方も多いのでは?(笑)

 これも以前に書いたことなので復習だが、数学者とコンピュータ屋の明確な違いを指摘できる方はいらっしゃるだろうか。
 数学者は無限を扱う学問人である。対して、コンピュータ屋は有限を扱うテクノロジー野郎なのである。

「信用」と「信頼」の差異がここにある。

 おりしも、Intel製CPUにMeltdown/Spectreというとんでもない脆弱性が潜んでいたということがわかったばかりだというのに、「そういうおまえもブログやツイッターに依存している生活をしているではないか」という理由で、「テクノロジーを信用していない」というツイッター主を揶揄するのは、どこか滑稽な感じがする。


(これは懐かしのWinChip C6。テクノロジーを信じるナウなヤングは、これが実際に動いていたマシンなど見たことがないでしょうw)

 例えば高速などを走っていてわたしが思うのは、追い越しレーンを150キロくらいの猛スピードで走って行くクルマである。運転手の腕以上に「よくそこまで、自分が乗っているクルマを信用できるなぁ」と、運転手のテクノロジーへのお人好しぶり≠ノ妙に感心してしまう。
 わたしは自分の運転の腕はもちろん、クルマのテクノロジーも信用していないから、いざというとき用のマージンを十分取って運転する。
 最初に「驚いた」と書いたのは、「テクノロジーを信用していない」という人を叩くほど、今の人たちが、テクノロジーを信用しているのだなあ、ということ。まるで、カップラーメンの中に虫はいない、と信じているような呑気さ、のんびりさを感じずにはいられない(でもね、いたでしょ? カップ焼きそばの中にGも、カップラの中に虫も。それに原発だってハーイ≠オちゃったでしょ?)。

 これはわたしの印象論だが、ツイッター主を叩いたのはどちらかといえば文系の人間で、理系の人間は、ちょっと口をモゴモゴさせていたのではないだろうか。
 テクノロジーを、フォアナイン以上の確率で「信頼」するのは良いのである。でも裏切られることもあるということを、心の隅っこでは承知しておくべきだ。それは100パーセント「信用」できるものではないということを。

 まあ、多くの人が「お人好し」である文化は、それはそれで素晴らしいとは思うのだけれど。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記