2018年01月01日

【日記】一年の計は――

 元旦にあり。この場合の「計」は合計の「計」ではなく「計画」の「計である」。合計の「計」ならば「一年の計は大晦日にあり」になってしまう。

 キリストもんとしては、一年の計は、典礼暦が新しくなる「待降節第一主日」に立てるようにも思うし、新しい服を降ろす日とされている「復活祭」になる気もするし、「聖霊降臨」のあとかもしれないし、「キリストの聖体」かもしれない。うーん。よくわからない。
 まあ、司祭の人事異動が行われるのは「復活祭直後遅滞なく」なので、やはり復活祭が「計」の始まりなのかもしれない。

 というわけで、今年の復活祭はまだ先(4月1日)だが、ここはガチカトらしく典礼暦を追いつつ、一年の計を立ててみた

一月:元日の「神の母聖マリア」から、7日の「主の公言」、8日の「主の洗礼」と忙しい。ここで全力を出すとバテるので二月から本気出す。

二月:14日のバレンタインデーが「灰の水曜日」とは」。悔い改めるために三月から本気出す。

三月:四旬節だからひたすら節制。四月からは本気出す。

四月:今年は1日から「復活の主日」。復活節で力を使い果たさないためにも力はセーブ。五月からは本気出す。

五月:13日に「主の昇天」、20日に「聖霊降臨の主日」があるからここで力尽きることはできない。聖母月ということでマリア様に甘えて六月から本気出す。

六月:3日の「キリストの聖体」でご聖体をいただいて味わうためにも余力は残す。七月から本気出す。

七月:典礼暦は年間≠セから全力を出すことはない。八月から本気出す。

八月:15日は「聖母の被昇天」をお祝いするのでそれで十分。九月から本気出す。

九月:年間≠ヘ助走の期間。日々を淡々と過ごすことにして、十月から本気出す。

十月:ロザリオの月でマリア様にロザリオを捧げるからそれで良し。十一月から本気出す。

十一月:25日には「王であるキリスト」。キリがいいので来月から本気出す。

十二月:当然クリスマスがあるが、世間の人々のクリスマスとの解離感に憤って力がでない。来年から本気出す。


 我ながら完璧な計画である。
 イエス様もこうおっしゃっていることであるし――

あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。(ルカによる福音書 14:28)


 きっとお褒めくださるに違いな――


(島本和彦「吼えろペン」13巻より引用)

 神の怒りの雷を浴びたところで、真面目なところ、いくつか病気を持っている身としては、今年も入院することなく、心身とも低空飛行でも、一年、生き延びられれば十分である。
 あとはできれば、このブログの毎日更新と小説を書き続けられればいいのだが、最近はちょっと弱気である。みなさまのお祈りが必要である。

 若い頃からわたしは、自分がまともな死に方をするとは思えなかったので、友人に「自分はいつも、遺書のつもりで小説を書いているんだよ」と言ったおぼえがある。その気持ちは、実は今も変わっていないのかもしれない。

 遺書のつもりで、このブログも、小説も書いている。
 そう考えると、元来おしゃべりな自分は、「まだまだ書き足りないなぁ」という、ちょっと前向きな気分になれるのである。
 来月からと言わず、今月から本気出してみようか、なんて、ね(今日から、と言わないあたりが日和っている(笑))。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記