2018年01月08日

【昭和の遺伝子】家庭科の思い出(お料理編)

 わたしは「料理できない男子」である。いや、正確には「できなかった男子」。最近は自分でフライパンを振るようになって、少しは料理のイロハを学べてきたような気がしている。

 もっともそれも、食べてくれる人がいるからで、自分ひとりでいるときはカップラで十分だ。やはり本質的に、料理が好きではないのだと思う。

 原因に思い当たる節はある。それもこれも、小・中学校の「家庭科教育」が開始点なのではないか、と。

 小学校のときの家庭科の最初の授業は、お茶の淹れ方だった。次の時間はホウレンソウのソテー。そして味噌汁、粉吹きいもとメニューは進んでいったと思う。これらの授業は――苦痛でなかった。そう、楽しかったのである。
 いつもは家で母が作ってくれる料理を自分の手で作ることができて、それが美味しい。料理って、楽しいな。それが最初の印象。

 なのに、ああそれなのに、なぜ料理嫌いになってしまったのかと言えば、それはやはり、時代が昭和だったからなのだなぁ。

 家庭科の授業中にも、男子はあまり手を出さないで! 料理は女子の領分だから!! という雰囲気が充ち満ちていたのである。これは生徒だけではなく、先生にもそんな指導をする空気が明らかにあった。

「わたし作る人」「ぼく食べる人」というラーメンのCMが「男尊女卑」だと騒がれるよりも前の昭和には、こういう空気が確かにあった。逆に考えてほしい。この空気があったからこそ、上記のCMが作られた背景があるのである。

 今なら「男尊女卑」だと言う人がいるだろう。しかし男の子だって、料理をしたかったのである。それを取り上げて、「男子は黙って見てて。最後に味見をしてくれればいいから」と(言外に)強制したのは女性陣であったのだ。
 こと家庭科の時間に関しては、昭和は「女尊男卑」であった。男子は「自分だっていろいろやってみたかった」のに、味見の係に追いやられていたのである。

 こういうの、今の時代のマンガだって、でひきずっているシーン、ないだろうか。女子が好きな男の子に気に入ってもらいたくて、家庭科の料理の授業でがんばる、みたいな。

 そして中学になると、男子に家庭科の授業はなかった。技術科だけである。我々男子がハンダゴテを握っている間に、クラスで人気のあのコが授業でクッキーをつくって持ってきてくれる、などという甘い思い出はまったくない。きーっ、悔しい。

 われわれ昭和前期から中期の男は(それ以降は知らない)、料理の授業を受けるという権利を奪われてきた世代なのである(もちろん、女子も技術の授業を受けるという権利を奪われていたわけだ)。

 家庭でも「男子厨房に入らず」という言葉を祖父に言われていた世代である。
 その代わり、男は、出されたものはアレコレ文句を言わず黙って食べる、メシマズだろうが異物混入していようが全部食べる。という暗黙の了解はあった。
 わたしの「味音痴」「食べるの嫌い」は、この時期に確実に培われていたのである。

 だいたい我々の世代は、戦中派に「戦争の時は美味いものは食えなかった。今の若い者はこんな美味いものを食べて贅沢だ」と年がら年中言われて育ったのである。
 想像してみていただきたい。こんなことを食事のたびに言われては、美味いものを食べるということに罪悪感がわいてくるではないか。食育≠ネんてあったものではない。
 我々の世代は今は老害だが(ぉ 我々の世代にも老害はいたのである。

 できれば老害の拡大再生産はしたくないものだ。
 今はマンガの中でも、ありあわせのものでササッとお洒落な料理をつくってしまう男子がモテる配役で出てきたりする。


(タチバナロク「可愛い上司を困らせたい」1巻より引用。めぐみさん激カワ♥)

 料理下手な女性も登場してくる。いいことだと思う。


(タチバナロク「可愛い上司を困らせたい」1巻より引用。めぐみさん超カワ♥)

 でもね、やっぱり男はどんな料理でも黙って食うのが一番、なのかもしれない。ロシアのことわざにもあるのである。「良い妻を望むなら料理上手を選べ。良い夫を望むなら料理に文句を言わない男を選べ」とね。

 ま、うちの細君は料理上手だから、ね。ふふり。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子