2018年01月10日

【映画評】キングスマン・ゴールデンサークル

 なんちゅうもんを見せてくれたんや……。なんちゅうもんを……。


(作:雁屋哲/画:花咲アキラ「美味しんぼ」8巻より引用。山岡ディスは定番ということで、決して某EP8のことではない、と思う……)

 というわけで、新年一本目は、ずっと楽しみにしていた「キングスマン・ゴールデンサークル」。
「キングスマン(以降無印≠ニつける)」の続編となるわけだが、これほど前作を観ておいて良かった、と思わせる映画はなかなかない。


(日本公開まで待たされました……)

 わたしはけっこう、いきなり二作目を観て、面白かったら一作目に遡って観る、というのが苦にならないタチなのだが、こと本シリーズに関しては、無印→本作の順で観ることを強くお勧めする。

 今回の記事は、まったくネタバレを考慮せずに書くので、「キングスマン無印」「同ゴールデンサークル」を未見の方は、絶対にこの先を読まない方が良い。わたしがここまで言うのは珍しいと思う。この先の「あらすじ」の途中で別記事へぜひ移動していただきたく。

 あらすじ――というか本作のさわり。
「キングスマン無印」で世界を救い、ハリーの遺志を継いで高級テーラーキングスマン=\―実は超国際的スパイ組織――の一員となったエグジー。前回の終わりにいい雰囲気になった王女との仲も続いており、順風満帆である。
 が、その日、店じまいをしての帰り、彼はいきなり暴漢に襲われる。その正体は、前作でキングスマン候補になりながらみじめに失格したチャーリーだった。えっ!? 彼も前作で頭ボーン≠オていたんじゃなかったの!? などと思う間もなく、激しいカーアクション。そしてチャーリーの右腕がなんとサイボーグ化されているのにびっくり。闘いの後、チャーリーを倒しキングスマン基地へ無事帰還したエグジー。今夜は王女と甘いデート。翌日は、王女の家族と会食。ロキシーのメガネサポートもあってウィットに富んだ会話を交わしていたエグジーだったが――。


 次の数シークエンスで、前回あんなに頼もしかったキングスマン基地はミサイルで一瞬のうちに破壊され、一緒に候補生となり闘ったロキシー、さらには愛犬JBまで死んでしまうのである!

 このアンバランスさ!? えっ、いきなり!? である。

「キングスマン無印」ももちろん傑作なのだが、わたしは作中、唯一、(本来、正義の味方側である)ハリーが、教会での乱闘シーンで先に発砲する≠ニころに抵抗があった。
 いくら口が悪い妙な信者連中とは言え、特に悪人とまでは言えない無辜の人間を先に撃つというのに仰天したのである。
 このシーンでうすうす気づいてはいたのだが、「キングスマン」においては、あまたのスパイ映画が金科玉条としている勧善懲悪≠超越している。
 ストーリーの通奏低音に「このキャラクターは善¢、だから○○しない」、「このキャラクターは悪¢、だから××する」という安定感がない。
 数行前にも書いたが、この「アンバランスさ」。これが「キングスマン無印」「同ゴールデンサークル」の魅力なのだ。

 そんなこんなで壊滅したキングスマン組織は、アメリカにある似たような組織「ステイツマン」に助力を求めるが、遡ってみれば、チャーリーのサイボーグ化は「600万ドルの男」のオマージュかと今気づいたり。

 そしてアンバランスさの妙は、前作で新キングスマンとなったロキシーを簡単に殺しておきながら、前作で死んだはずのハリーがステイツマンの技術で蘇生していた、というくだり。
 これは散々、トレイラーで知ってはいたが、ストーリーテリングの王道から言えば、こんなことをする必要は本来まったくない。コレ、ダースベイダーに斬られて霊体化したオビワンが、「帝国の逆襲」でルークに「よっ、元気?」と肉体のまま現れるくらいのありえなさ。それをここまでもう開き直ってやってくれるのだから、このアンバランスさがもう痛快、快感になってくるのである。

 007で言えばQの役割をするマーリンまで、今回、殺してしまうという無情ぶり。ああ、あのシーンは良かったなぁ。よし、ここで「カントリーロード」を掛けよう(ご覧になった方なら頷かれるはず)。

 ストーリー的な瑕疵としては、記憶を取り戻し正気になったハリーが、ステイツマンウイスキー≠フ裏切りに勘づくなにかの要因が必要だと思うのだが、それもあえて描かないのも、この「アンバランスさ」のゆえか。
 また、このウイスキー≠フ裏切りが、ステイツマンとは無関係な個人主義的しがらみからきているというのも、アメリカ的個人主義の皮肉として面白い。

 少しストーリー全体に目を戻すと、今回の敵は麻薬組織の女ボスなのだが、実は真の悪は(彼女と裏取引もまったくしていない)アメリカ大統領というあたりもひねってある。
 絶妙のバランス、ではなく、絶妙のアンバランスで成り立っているのが、「キングスマン」シリーズなのだなぁ。
 もし三作目があるとして、今回蘇ったハリーが超悪役になっており、エグジーに殺されても、わたしはもう驚かない、ね。

 それにしてもキングスマンの世界ってば、「無印」では人を暴力的にするsimカードで全世界で暴動を起こし、「ゴールデンサークル」では麻薬使用者を皆殺しにするウイルスで大騒動を起こしと、世界的な危機がありすぎである(笑)。
 が、どちらもわが国日本では、三大キャリアメーカーsimの寡占状態と、麻薬使用者の少なさから、けっこう元から災難から逃れている国だったりして、などとも思ったり。ガラパゴスも悪くはないかもね。

 あぁでも「キングスマン・ゴールデンサークル」はこんなに面白かったのに、日本公開は三ヶ月経ってから、なのである(米英公開は2017年9月22日だった)。
 こういうののガラパゴス化は、やっぱり嫌だなぁ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評