2018年01月17日

【日記】わたしもテクノロジーは信用していない

 出先でまとめサイトのヘッダと中身をサラッと読んだだけなので、話の流れや、元のツイッター主の意図を曲解している可能性も多々あるのだが――と、前置きをした上で。まあ単に話のネタとして。

 あるツイッター主が「わたしはテクノロジーを信用していない」「衣服も自然素材のものを着ている」などと書いたところ、「そういうおまえもブログやツイッターに依存している生活をしているではないか」「そんな人がテクノロジーを信用していないというのはおかしい」という反応が押し寄せて炎上した、という話。
 うーん、正直、わたしは驚き、叩かれたツイッター主に少し同情してしまった。
 なぜって、わたしもやはり、テクノロジーを信用していないから。

 わたしのコンピュータ歴はかなり長いし、書いているコードも、成果物も(いまでこそ過去のものになってしまったが)そこそこあったと思う。そんなわたしだが、コンピュータを心からは信用していない。
 二進数の0b01001001と0b10110110の論理和を取れば0xffになることは心から「信用」している。これは数学だからである。
 しかし、プログラマが0b01001001 || 0b10110110というコードを書いたとき、その結果が0xffになることは、フォアナイン以上の確率で「信頼」はしているが、決して「信用」はしていない。

 これは以前にも書いたが、まだコンピュータのメモリが磁気コアだった時代、同じアドレスのメモリばかり使うと、そこが磁化してしまって使えなくなってしまうので、アクセスするメモリはプログラムの方でバラして使う、というテクニックがあった(この名残で、エラー時にメモリの内容を吐くことをコアダンプ≠ニいうのである)。
 これ、決して昔の技術ではない。今でもメモリカードやSSDでは使われている。ただ、コントローラに同じような機能が内蔵されているので、自作PCなどをする末端ユーザは気にしないで使っていられるだけなのである。


(今の人だって、メモリが化けることがあることくらいは承知しているでしょう?)

 古いコンピュータ屋は、「信用」と「信頼」に差異があること。つまりコンパイラやアセンブラのバグを自分で見つけ出し、ため息をつきながら回避コードを書いたような経験が何度もあるはずである。

/* ここを削除するとなぜか正常動作しない */


 こんなリマークを書かれた方も多いのでは?(笑)

 これも以前に書いたことなので復習だが、数学者とコンピュータ屋の明確な違いを指摘できる方はいらっしゃるだろうか。
 数学者は無限を扱う学問人である。対して、コンピュータ屋は有限を扱うテクノロジー野郎なのである。

「信用」と「信頼」の差異がここにある。

 おりしも、Intel製CPUにMeltdown/Spectreというとんでもない脆弱性が潜んでいたということがわかったばかりだというのに、「そういうおまえもブログやツイッターに依存している生活をしているではないか」という理由で、「テクノロジーを信用していない」というツイッター主を揶揄するのは、どこか滑稽な感じがする。


(これは懐かしのWinChip C6。テクノロジーを信じるナウなヤングは、これが実際に動いていたマシンなど見たことがないでしょうw)

 例えば高速などを走っていてわたしが思うのは、追い越しレーンを150キロくらいの猛スピードで走って行くクルマである。運転手の腕以上に「よくそこまで、自分が乗っているクルマを信用できるなぁ」と、運転手のテクノロジーへのお人好しぶり≠ノ妙に感心してしまう。
 わたしは自分の運転の腕はもちろん、クルマのテクノロジーも信用していないから、いざというとき用のマージンを十分取って運転する。
 最初に「驚いた」と書いたのは、「テクノロジーを信用していない」という人を叩くほど、今の人たちが、テクノロジーを信用しているのだなあ、ということ。まるで、カップラーメンの中に虫はいない、と信じているような呑気さ、のんびりさを感じずにはいられない(でもね、いたでしょ? カップ焼きそばの中にGも、カップラの中に虫も。それに原発だってハーイ≠オちゃったでしょ?)。

 これはわたしの印象論だが、ツイッター主を叩いたのはどちらかといえば文系の人間で、理系の人間は、ちょっと口をモゴモゴさせていたのではないだろうか。
 テクノロジーを、フォアナイン以上の確率で「信頼」するのは良いのである。でも裏切られることもあるということを、心の隅っこでは承知しておくべきだ。それは100パーセント「信用」できるものではないということを。

 まあ、多くの人が「お人好し」である文化は、それはそれで素晴らしいとは思うのだけれど。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記