2018年02月28日

【甘味】ハーゲンダッツ「栗あずき」「桜あん」

甘味者は言う。なんという強気、なんという強気。ハーゲンダッツは強気。
(甘味者の言葉 1:1)


 と、思わず売り場で「コヘレトの言葉」のパロディが頭に浮かんでしまうほど、ハーゲンダッツは強気である。

 2018年2月27日より期間限定発売という「栗あずき」と「桜あん」アイスのこと。
 お値段一個三百円(税込)。甘味好きとはいえ吝嗇家のわたしのお財布には堪えますよ。

 しかし、発売日の売り場でコレを見てしまったからには仕方ない。



 うぉお、やるなハーゲンダッツ。強気!
 左が「栗あずき」、右が「桜あん」である。

 さっそく買って、コーヒーと合わせつつ、細君と賞味。



「和」な感じがふわりと早春を感じさせるお洒落なケース。フタを開けてみると――



 おぉ、小豆が甘そうアンド華やかな桜色。これは期待度大。わくわくするね。

 まずは「桜あん」。



 一口。おっ、これはまさしく「桜もちのアイス」。華やかな味わいで、ちょこっと塩味も効いている。桜ソースを食べきってしまうのがもったいない。まだ寒い二月だというのに、ちょっと春めいたわくわく感。

 そして「栗あずき」。



 こちらは純和風。「小豆もちのアイス」。栗の味がアンコにふくらみを与えていてとても美味しい。

 両者とも、細君と二人で半分こだが、さすがハーゲンダッツ! 無口でウマウマとソースの最後の一滴まで食べてしまった。

 チェーン店でスイーツ食べ放題の「スイーツパラダイス」では、プラス200円(税込)でハーゲンダッツも食べ放題になる店があるのだが、今まで利用したことはなかった。次回「スイパラ」へ行くときは、ちょっと悩んでしまいそうである。うーむー。
(ただしハーゲンダッツがケースのまま取ってこられて食べ放題というわけではないし、種類も少ないのである。だから悩むのだな)。

 そうそう、なんだかんだと「甘いもの記事」が増えてきたので、【日記】から【甘味】へと独立させた。今までの記事もタグ変更するかどうかは思案中である。よしなに。
posted by 結城恭介 at 08:00| 甘味

2018年02月27日

【日記】五十肩の痛みがひどくて……

 五十肩の痛みがひどくて、ついに今日は朝から午後三時まで、ベッドから起きることができなかった。
 特に、朝起きた直後がひどい。痛み止めが切れる頃だからだろうか。寝返りさえうてないので、油断したら褥瘡ができてしまいそうだ。いやさすがにそこまでは、まだ大丈夫なようだけれど。

 一日三回、痛み止めと、それが胃を荒らすのをやわらげるクスリを飲んでいるのだが、こんなに毎日飲み続けてカラダが持つのかどうかも心配だ(他のクスリも飲んでいるのに、いまさら!)。



 ずいぶん前、なにかの授賞式に顔を出したとき、ある作家さん(お名前失念、大変失礼御免)と編集者が四十肩、五十肩の話をしていて、「これがつらくてねぇ」などという会話に「そうなんですかー(棒)」などとお返事さしあげていたことを思い出す。
 あゝ、そのときの、そのときの罰が当たったのだな、今のこの激痛は。

 先日、加曽利貝塚を見学しに行ったのだが(そのときのことは、また別記事で)、当時の平均寿命は、男性が三十歳代、女性が四十歳代だったのだという。
 ただこの数字は、乳幼児の死亡率の高さおよび、若くして死ぬことが多い時代だったから平均値が下がる、ということで、実際には六十歳くらいまでは生きた人もいたらしい。当時の六十歳は、かなりの長寿ということになるだろう。

 なんにしろ、視力や歯、聴力などの低下を考えると、人間は本来、五十年以上生きるようには作られていないのではないかな、などと考えたりする。

 わたしは、人間の知性というものはキリンの首と同じで、厳しい環境を生き延びるためにそれを異常に発達させた畸形のようなもの、という持論を持っているのだが、どうだろう。人間が素のままで、一番、知性が働くのは三十代くらいかな、という気もする。

 最近は街に出ると、杖をついて外出していらっしゃるご老人が多くてびっくりする。昭和の頃からは想像できない景色である。
 人間が長寿になるにしたがって、従来の人生マップというものも延長している。
 昔の還暦は本当に「おじいちゃん」だったが、今の還暦で「おじいちゃん」を連想するのは、社会の現実をしらない子どもくらいだろう。

 自分は十八のとき賞をいただいて世に出た若造だったので、五十になった自分というものを全然想像できなかった。おそらくそれまでに、地震か、事故か、自殺で死ぬのだろうなぁと、漠然とした、それでも訂正不能な確信があった(これを妄想という)。
 実際、2000年代に創薬されたあるクスリがなければ、もうとっくに死んでいるだろうと思われるので、ある意味、上記の妄想は間違ってはいなかったのかもしれない。

 まだ細君とおつきあいの仲だった頃、電車に並んで座っていて「どうせ俺、五十になるまでに死んじゃうんだし」と言ったら、細君が小さな声で「イヤです」と言ったことを思い出す。いい娘だなぁ、と思った。なんと返事をしたのかは、覚えていない。

 そういえば、わたしたちの世代は、1999年の7月に人類は滅ぶ、というノストラダムスの例の予言を信じ込まされていたのだった。
 1999年の7月に、ちょうど私的ネットのオフがあり、マクドナルドのレジ列でオフ仲間とそんな話をしながら「でも、今月が確かに予言のとおりになる人もいるはずですよね」というような会話をした。その月に、不慮の事故で亡くなった方、病気で他界した人にとって、ノストラダムスの予言は現実だったのだろう、という意味で。
 不思議と、今でも心に残っている会話である。

 いったい五十肩の話から、どこまで話題が飛ぶのやら。

それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。(コヘレトの言葉 12:12)


 痛み止めが効いてきた。良かった。たまってしまった仕事をしよう。
 というわけで、今日はこのあたりで。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年02月26日

【昭和の遺伝子】万博の思い出

 わたしは、日本で開かれた「大阪万博」「沖縄海洋博」「筑波科学博」までは皆勤賞であった。
 その後の「花博」、「愛知万博」にも行っておけばよかったと、今になって後悔している。

 大阪万博に行った頃は、まだ本当に小さな子どもだった。日本は経済成長めざましい頃で、誰もが、明るい未来がくると信じて疑わなかった時代であった。
 往復路とも、深夜バスであった。
 本当に子どもの頃にいったもので、「行った」という記憶しかない。「月の石」は見たかどうか、太陽の塔はどうだったか、全然憶えがないのである。
 一緒に行った母は、あまり回れなくてゴメンね、と謝っていたが、なにぶん子どもであるわたしと姉は、万博にこられたことが嬉しくて、そんなことは全然気にならないのであった。

 大阪万博で唯一憶えているのは、たしか観覧車である。これはお弁当つきで、お弁当を食べながらぐるりと一周する、というものだったと思う。
 このあたり、本当は全然違っているかもしれないが、わたしの記憶のみを頼りに書いているのでよしなに。
 トンガ館で「トンガカッチャ」というお土産のぬいぐるみを買い、喜んで帰路についた。
 ふりかえると、「月の石」はやはり混みすぎていて見られなかったのだろうと思う。

「沖縄海洋博」のときは、もう物心ついていたので、多少は憶えている。このときは往復路とも飛行機であった。
 とはいえ、鮮明な記憶が残っているわけではない。たしか、沖縄は日本返還直後で、もう車線も左側通行、バスも左側から乗り降りする仕様に変わっていたと思う。
「アクアポリス」という、要するにちょっとハイテクな「浮島」が売り物で、会場からそちらへ渡って見学したのだが、内容はもうサッパリだ。


(アクアポリスで見た水族館)

 全体的に規模はあまり大きくなく、沖縄という場所で開いたことに意味があった博覧会であったのだろう。

 沖縄は海洋博よりも、ひめゆりの塔や「ハブとマングースの闘いショー」の方がよく憶えていたり。「ハブとマングースの闘いショー」は残酷で、シナリオ通りハブが負けたのだが、ふだん嫌いなヘビがそれでも可哀想であった。

「筑波科学万博」は、当時、よく一緒にデートしていた(笑)畏友H君と訪れた。
 たった一日で行って帰ってきたので、忙しい一日だったが、いろいろなパビリオンを回って、わりと楽しかったことを憶えている。
 しかしWikiPediaを改めて見てみると、たしかに入ったと言えるのはUCCコーヒー館くらい。東芝館、富士通館は見たかなぁ。お土産屋が多く、そういうものばかり見ていたような気がする。

 以上、三館に行った感想なのだが、ふりかえってみると、本当に「行った」という以上の記憶がないのであった。
 当時は当然「デジカメ」はなかったので、思い出をふりかえるよすがもあまりなく、どんどん記憶から消えていってしまっている。今思うとコンパクトカメラを持参して、もっと写真を撮っておくべきだったかと思う。

 ちなみに、1989年に開かれた「横浜博」は将来の細君と行った。しかしこれは「万博」のカテゴリには入らないらしい。このときは、たしか船橋あたりから出ている高速ジェット船で行ったような記憶。ふたりで観覧車に乗ったことはよく憶えている。

 さて、2020年には「東京オリンピック」が開かれるわけだが、これはなにか観覧するべきなのかどうか悩むところだ。わたしはスポーツはまったくと言っていいほど興味がないのだが、「東京オリンピックのあれ見ましたよ」と後年言えるというのは、ちょっと自慢のタネになるかもしれないから。うーん、うーん。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2018年02月25日

【回想録】22年前(1996年)の2月

 1996年の2月10日、IBMのコンピュータディープ・ブルー≠ェチェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフと初対戦している。カスパロフは3勝1敗2引き分けで勝利を納めた。
 チェスで人間がコンピュータに勝てなくなる日が来る――そんな未来はまだまだ先だと人々が楽観視していた22年前の、個人的なできごと。



 写真はX68000に、東京システムリサーチ株式会社が出していたアクセラレータボード「Xellent30」を乗せたマシン。当時のオフの様子から。
 自作PCがふつうの今となっては珍しくはないが、当時、筐体を改造して前面に排気ファンをつけてしまうなどというのは驚異なのであった。
 タワーの左側についているのは「Intel Inside」シールではなく、有志が作った「Motorola Inside」シールである。



 当時はまだ、ゲーム会社の「コンパイル」が元気であった。そこの「ももも通販」からなにかを買ったときの箱。



 ゲーム会社なのになぜか売っていた「お好みソース」。「のーみそコネコネCOMPILE」がなつかしい。ほかにも「ぷよまん」がオフでは飛び交っていた。



 当時はサターンのゲームばかりやっていた。ラインアップはこんな感じ。特によくやっていたのは「DAYTONA USA」と「MYST」「闘神伝S」。デイトナは裏技で馬≠出したり、逆走するのが楽しかった。



 これはなにかというと、珍しい、サターン版「MYST」がハングったときに出すコアダンプ表示である。最初のバージョンにはこのミスがあって、特定の操作をするとこうやって謎の画面を出して停止してしまう。
 ゲームが「MYST」だけあって、これにも意味があるのか!? と、仲間内で話題になった。が、結局これはバグで、発売元のサンソフトに連絡すると、バグフィクスしたバージョンアップ版と交換してくれたのである。



 まだほとんどの人々が「インターネットなにそれ? おいしいの?」だった時代に、毎日新聞に請われて書いた拙稿。当時はまだ、検索エンジンすらなく(千里眼はあった)、「インターネットはまだまだ、ワールドワイド・コミケット≠ナある」というようなまとめ方をした記憶がある。
 そうそう、この頃はヒゲ面だった。



 当時買っていた本の記録「私はWINDOWSが嫌いだっ」「Windows上に異常ありません」
それに週刊だった「MURDER CASEBOOK」も見える。

 この年の2月は比較的寒い月で、18日にはわたしの住む南関東の地方都市でも積もるほどの雪が降っていた。

 22年が経って、人生半分を終えた今、2月と3月は一番苦手な季節である。とにかく春分の日までは頭を低くして、我慢我慢の毎日だ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年02月24日

【日記】パンツァーケーキ改も食べてます

 四旬節も始まったというのに、この罰当たり者が! という声も聞こえてきそうだが――ああああ、デジャヴを感じるな。
 ちなみに、カトリック信者が食事を節制することを「大斎・小斎」というのだが、細かいことはそのうち記事にするとして――

「大斎も小斎も、病気や妊娠などの理由がある人は免除されます」

 なのである。
 わたしは今、クスリの副作用で(前に書いたのとは別のクスリの量が増えた)、なにかを食べると吐き気がしてしまい、十分な食事ができないのである。せめて甘いものくらいは許していただきたい。

 さて、今、全国展開のファミレス「ココス」と、アニメ「ガルパン」のコラボ企画で「ココス道極めます!!」と謳って特別メニューやアイテムプレゼントなどが行われているのだが、甘いものとしては、去年は限定店舗のみで食べられた「パンツァーケーキ」が「パンツァーケーキ改」となって、どのココスでも食べられるようになったのである。



 去年、「パンツァーケーキ」を食べに行った話は「【日記】パンツァーケーキを食べに行こう」に、今年、店舗限定の「パンツァーケーキツヴァイ」を食べに行った話は「【日記】パンツァーケーキツヴァイも食べに行こう」に書いた。

 そして「パンツァーケーキ改」……。
 むぅ、どこの店でも食べられるとなると、期間限定とは言えありがたみが……、うーん、でも、美味しそうだな。これは食べないという理由がないな。
 てなわけで、やっぱり食べてしまいました。



 去年はパンケーキだった車両本体が、今年はチョコレートケーキを倒したものに変更。車輪がバナナ、セルフィーユで草むらを表現しているのは変わらず。



 砲塔を真正面から撮影。
「パンツァーケーキ」「パンツァーケーキツヴァイ」との大きな違いは、「フラッグ」がないことである。ちょっと、いやかなり寂しいが、まあ仕方ない。



 斜め後ろからの勇姿。
 全体的に、去年の「パンツァーケーキ」を簡略化し小さくしながら、それでも戦車を模したかわいいケーキになっていると思う。
 この日は細君と一緒だったので、二人で半分こでウマウマ。

 細君「後ろの砲塔≠ヘわたしがもらったので、前のはあげるね」
 わたし「りょ」

 この会話が後々、「あれっ?」という話になる。
 まあとにかく、この日も美味しくいただいて、神に感謝。

 さて、あさてさてさて――



 光の具合から、ピンとくる読者がいるかもしれないが、これはまた別の日。
 そう、「ココス道」を極めるために、またココスへ行って「パンツァーケーキ改」をとったのである。



 ばーん。これが後ろからの勇姿。
 あれっ? お気づきの方、いらっしゃるかな?

 細君「あれ、今日のは後ろの砲塔≠ェないよ」
 わたし「そうなの?」
 細君「(メニューを見る)ああ、ほんとは後ろに砲塔≠ネんてないんだね」
 わたし「前回のは店員さんが間違えてつけちゃったのかな」
 細君「きっとそうだね」

 ……。
 …………。
 ………………。
 今、写真を見て、真相がわかった。
 だいたい、後ろに砲塔≠ェついているわけがないのである。
 前回、後ろの砲塔≠セと思っていたのは、戦車の後方の装甲≠セったのだ。前回の店員さんが間違えてつけたのではない、今回の店員さんが、つけ忘れたのである!
 それに気づかず、わたしたちはパクパクうまうまと食べていたのであった(笑)。

 まあ、メニューの写真だと見えないところだからね、仕方ない。
 なにはともあれ、ご馳走さまでした。



 というわけで、これから「パンツァーケーキ改」を食べようという方は、後方部の装甲≠ェちゃんとつけられているかどうかお気をつけて。
 でも、ついてないからといって、クレームをつけるのも、ちょっと恥ずかしいかなぁ(笑)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記