2018年02月23日

【日記】ポメラDM200とダイヤモンドカーソル

「RBB TODAY」の舘神龍彦先生の記事、「【デジアナ文具最前線】第4回 ポメラ再入門(その3)ポメラはクラウドエディターになった」の中で、先生が「DM200ではダイヤモンドカーソルが使える」というような意味のことをお書きになっていて、「エッ」と仰天してしまった。

 少なくとも、わたしが愛用しているポメラ「DM200」の個体ではダイヤモンドカーソルは効かない。
 今この状態で、Ctrl-Eではなにも起きないし、Ctrl-Sは「セーブ」だし、Ctrl-Xは「切り取り」、Ctrl-Dは「動作なし」である。

 ここではっきりさせておくと、ダイヤモンドカーソルというのは、キーボードのホームポジションから手を離さず、Ctrlキーと特定のキーを押すとカーソル移動ができるという、CP/M時代のいにしえの英語ワープロWordstar≠ェ採用したキーボード操作体系である。

 Ctrl-A:カーソル単語一語前へ
 Ctrl-F:カーソル単語一語後ろへ
 Ctrl-E:カーソル上移動
 Ctrl-X:カーソル下移動
 Ctrl-S:カーソル左移動
 Ctrl-D:カーソル右移動
 Ctrl-R:一画面上スクロール
 Ctrl-C:一画面下スクロール
 Ctrl-G:カーソル位置一文字消去
 Ctrl-H:バックスペース


 これが満たされていて、初めて「ダイヤモンドカーソル実装」と言える(と、わたしは思っている)。
 また、欲を言えば「Ctrl-Q」を打ったあとの複合操作まであれば文句がない(Ctrl-Q-Fで「検索」など)。

 しかし、舘神先生はいろいろご著書を拝読したこともあり、いい加減なことをおっしゃる方ではない。その慧眼も存じあげているので、きっとどこか、わたしが知らない設定があるのだろうと、こうしてポメラ「DM200」を実際にいじりながら、ああでもないこうでもないと唸っているところだ。

 そこでわかったことだが(舘神先生はエディタとお書きになっているが)、ATOKの変換前文字列中(ひらがなで書いていて、下線がつけられている最中)ならば――

 Ctrl-S:カーソル左移動
 Ctrl-D:カーソル右移動
 Ctrl-G:カーソル位置一文字消去(気づき済み)
 Ctrl-H:バックスペース(気づき済み)

 が効くことを発見した。
 残念ながら、Ctrl-Eは「カーソル上移動」ではなく「カーソル文頭移動」に、Ctrl-Xは「カーソル下移動」ではなく「カーソル行末移動」になってしまう。

 以前にも書いたが、わたしは単文節変換の人なので、上記の複合キー操作がATOKの変換中、使えることに気づいていなかった
 Ctrl-Gは気づいていたが、DM200のエディタ内では「行指定ジャンプ」になってしまう。非常に非常に非常に非常に残念だ。

 ちなみに、Ctrl-Hは、ポメラ「DM100」から「DM200」になって、ATOK内だけではなくエディタ内でも効くようになった。このことは何度でも賞賛したい。

 Windowsなどのアプリケーションで、Ctrl-Hを「ヒストリ」などにしているアプリ制作者は、真夏に全身に蜜を塗り竹藪へ縛り付けて一晩蚊責めにしても足りないくらい罪深いと思っている。

 話を元に戻して、しかしやはり、この程度で「DM200はダイヤモンドカーソルが使える」とは言いがたい、と、わたしは感じる。

 よく記事を読むと、舘神先生は記事中で「ダイヤモンドカーソルを踏襲している」、というような意味あいでお書きになられていて「使える」と明言・断言はしていない。このあたり、微妙だけれど、間違ってはいないのだろうな……。

 ただちょっと、わたしの「本物のダイヤモンドカーソル」へのこだわりが強すぎて、DM200のCtrlキー操作程度では「踏襲」レベルにすらこぎつけていないと感じてしまうのが、違和感の原因なのだろう。

 Ctrl-Cが「コピー」、Ctrl-Xが「切り取り」、Ctrl-Vが「貼り付け」になったのは、CP/M全盛期のWordstar時代ではなく、Windows時代になってからだと記憶している。

 わたしがダイヤモンドカーソルを縦横に使って気持ちよく(キーボードで書いていることを忘れるくらい)書けるエディタは、自分でカスタマイズしたQXエディタしかない。

 親指シフトもそうだが、たとえ高機能であってもフィジカルな訓練を必要とする入力デバイスは、一般化、大衆化の波に呑まれると消えていってしまうものなのかもしれない。
 残念なことではあるが。
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posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年02月22日

【日記】聖書とネコ

 今日2月22日は「「ニャンニャンニャン」でネコの日。なのでネコにちなんだお話を。

 クリスチャンは大まかにわけて、カトリックとプロテスタントにわけられるわけだが、彼または彼女が、そのどちらかかを知りたいときは、こう聞けばよい。

「ねぇ、聖書に動物のネコって登場してる?」

 もし「登場してないよ」と言ったら、その人はプロテスタント。「登場してるよ」と言ったら、カトリック。

 ただし、よく勉強しているカトリックでなければ、「わかんない」あるいは「出てないんじゃないかなぁ」と言うかもしれない。なにしろカトリックは聖書を読まないですから。いやぁ、もちろん、いいことではないね。これ。

 ちなみに、人名のネコは、エジプトの王として「ファラオ・ネコ」という人物が登場してくる(列王記下23:29が初出)。
 しかし、プロテスタントの聖書である旧約39書、新約27書の計66書には、動物のネコは一切登場してこない。

 意外な感じでしょ?

 さて、カトリックの聖書には、アポクリファと呼ばれる「外伝」が含まれている。新共同訳聖書だと「旧約続編」と呼ばれているものだ。
 その中に、実は「動物のネコ」が一匹、まぎれこんでいるのである。

その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。(エレミヤの手紙 21節)


 この「エレミヤの手紙」は、偶像崇拝を避けなさい、という内容の文書だが、このシーンは(非ユダヤ教の)神殿の神々の像はただのモノであり、中身は虫に食われ、こうやってネコまでやってくる、という流れの中の一文。
 しかし初読のとき、なんとものほほんとした感じでいいなぁ、と思ってしまったわたしは不敬である(笑)
 いいじゃないですか。仏像に小鳥やネコがのんびりしている風景って、絵になると思うんだけどなぁ。

 聖書学的なヨタ話を加えると、ここで出てくる「ネコ」は、本来、なにかの鳥を表現していたヘブライ語をギリシャ語に訳したとき誤訳した≠ニいう説もある。
 でもやはり、ここはmeowなネコがいいんじゃないかなぁ。わたしは自分のクルマのボンネットに、ネコの足跡がついていると和んでしまうタイプである。

 ちなみに「動物のイヌ」は「山犬」や「番犬」なども含めると(プロテスタントの聖書に)53節、54カ所登場している。

 カトリックのアポクリファには「トビト記」という、当時のイスラエル人の素朴な信仰生活を描いた書があり、そこにはもっと身近な、ペットとしてのイヌも登場している。

そこで息子トビアは天使と共に出発した。トビアの犬も出て来て彼らについて行った。(トビト記 6:2)


二人は一緒に先を急いだ。ラファエルはトビアに、「さあ、魚の胆のうを取り出しなさい」と言った。犬も二人の後からついて来た。(トビト記 11:4)


 両箇所ともさりげない一文だが、なんともユーモラスで、ホッとする一場面である。

 キリスト教的には、ネコはあまり好ましい生き物としては描かれてこなかった。「最後の晩餐」を描いた数々の絵画で、ユダの足元にいるのがネコというのはよく知られたモチーフである。残念な話だ。

 お顔が怖いと信者の間でも囁かれていた(笑)前パパさまのベネディクト十六世だが、とてもネコに好かれていて、お聖堂の中にまで野良ネコがついてきてしまった、という話を聞いたことがある。
 怪しいキリスト看板をコラにした「ネコと和解せよ」という画像は有名だが、いやしかしね、カトリックとネコは、実はもとから、いい関係を築いてきていたんですよ。

 だってほら、カトリックって、Catholic、Cat Holic、日本語に訳せば「ネコ中毒者」なんですから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年02月21日

【日記】パンツァーケーキツヴァイも食べに行こう

 四旬節も始まったというのに、この罰当たり者が! という声も聞こえてきそうだが――あれ、デジャヴを感じるな。まあいいや。実食したのは十三日の火曜の昼間。マルディグラつまり「パンケーキ・ディ」なので、むしろカトリック信者としてもまっとうなのである。

 去年もやっていた(「【日記】パンツァーケーキを食べに行こう」)、全国展開のファミリーレストラン「ココス」と、アニメ「ガールズ&パンツァー」のコラボ企画が、また始まっていた。今回は2018/01/17〜02/27まで。
 わたしは特にガルパンおじさんというわけではないので、このコラボ企画に気づいたのが遅く、四週目からの参戦となってしまった。
 いや別に、無理に参戦することはないのだが、細君が、コラボメニューでいただけるクリアファイルをヤフオクに出したいというので、このところ外食はココス漬けなのである。

 甘党としては、去年のコラボ期間、「パンツァーケーキ」という限定メニューがあり、当初は大洗店のみでの提供だった。その後、提供店舗が増え、無事、食べることができたというくだりを書いたのが上記記事(「【日記】パンツァーケーキを食べに行こう」)

 それが今年は「パンツァーケーキ改」となり、どのココスでも食べられるようになったという。
 え、期間限定とはいえ、店舗限定じゃないんだ。となると、「ふーん」という感じで、多少、動く食指も鈍くなる。

 と思ったら、今年もやってくれましたココス&ガルパン。店舗限定で「パンツァーケーキツヴァイ」というメニューを出してくれるという。
 ウチからクルマで行けるなじみのココスは例のごとく提供店舗に入っていないので、去年と同じく電車に乗って、某該当店まで行ってきた。


(ガルパンには詳しくないのだが、西絹代さんの等身大パネルが出迎えてくれました)

 おじさん一人で案内されたテーブルの上には……ない、ない。パンツァーケーキツヴァイのメニューがない!
 ガガーソ! これは店員さんに訊かなくてはいけないのか、これは恥ずい! とあせりつつ、隣のテーブルを見ると、あら、ラミメニューがある。



 ふー、助かった。呼び出しボタンを押してウェイトレスのお嬢さんに「これひとつお願いします」。
 まあウェイトレスさんも馴れたもの。おじさんが甘いものひとつ取っても、顔色ひとつ変えませんが。
 ちなみに「パンツァーケーキツヴァイ」は、ドリンクバーがセット価格でふたつ取れる。確か去年もそう。つまり本当は、二人くらいで食べわけるメニュー設定なのだろう。
 しばらく待たされ、デデーンと登場!



「ツヴァイ」というわけで、二輌の戦車ケーキが一皿に載っている。左はチョコ味、右はイチゴ味だという。



 去年のフラッグはつまようじで作ってあったが、今年は全部紙製に変更。

 イチゴ型の方を上から――



 後ろはこんな感じ。



 砲塔を真正面から見てみましょう。



 チョコ型の方も――



 これがチョコ型の背面。



 砲塔からは――



 フラッグのアップも――





 さて、戦闘に取り掛かる。甘くない方から攻めていくというのが甘党の定法。というわけで、まずはイチゴ型から攻撃開始。



 ケーキの中心部となっているのはバナナクレープだ。イチゴの酸味とバナナ、ホイップの甘さがうれしい。美味ーい。
 あっという間にイチゴ輌撃破。



 次いでチョコ型へ攻撃開始。やはりこの順番で正しかった。チョコ型はけっこう甘く、イチゴ型を先に食べたことで、舌の甘さへの馴れを防ぐことができた。



 チョコ型も基本、イチゴ型と同じ構造。中心部はバナナクレープ。
 うまうま、美味ーい。とフォークが止まらず、あとは撮影もなしにあっという間に――



 両輌撃破完了しました!

 ちなみにレシートがちょっと物騒で笑ってしまう。





 しかもほら、ちゃんと「灰の水曜日(2018/02/14)」の前日でショ(笑)。

 去年からグレードアップしてツヴァイとなったパンツァーケーキだが、甘党としては、もうちょっと量が欲しかったな、というところ。味のバリエーションが増えたのは大歓迎だが、一輌の大きさが小さくなってしまったのが残念だ。

 アニメ映画「ガルパン最終章」にあわせたコラボ企画なので、来年はもう、「パンツァーケーキドライ」はないかな?
 なんにしろ、楽しい企画をありがとうございました。ココス&ガルパン関係者、そして神に感謝。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年02月20日

【日記】コメダ珈琲店「シロノワールキュート」

 四旬節も始まったというのに、この罰当たり者が! という声も聞こえてきそうだが、実は実食したのは十二日の月曜日。



 十二、十三、十四日のバレンタイン期間に「鏡の魔法でなにかが起こる!」とあおっているので、これは甘党として、その期間に食べにいかねばなるまいよ、と。でも十四日は「灰の水曜日」だし――ということで、消去法で十二日の「振替休日」に「コメダ珈琲店」へ行ってきた。



 さて、「鏡の魔法」の正体は――(ドリンク一杯の注文で)「コメダ史上いちばんかわいい=vと謳われる季節限定商品「シロノワールキュート」が、ミニサイズのお値段でフルサイズになる! というもの。特別なトッピングなどではないが、甘党にはこれはうれしい。



 いつもなら、シロノワール一個を細君と半分こなのだが、今日は一人一個ずつ注文してしまった。

 って、細君てば、シロノワールの前に、ガッツリ、サンドイッチとってるし。



細君は「甘いものだけを食事にする」ということができない人なのであった。いや、それができるわたしが異常なのかもしれないが。わたしは「パンがなければケーキを食べればいいじゃない(マジ顔)」な人なのである(笑)。

 そして登場。季節限定の「シロノワールキュート」。





 見かけだけでも大迫力。

 デニッシュパンの中には、イチゴのアン。






 これは福岡産の「あまおう」と「白あん」を合わせたものだそうだ。上に載っているソフトクリームはラズベリーソースがかかっていて、この酸味がまた、イチゴの甘さと良く合う。



 桜色型の花びらを模したチョコレートもわくわく感盛り上げだ。

 味はもちろん、甘くて美味し−い。いつもなら半分このシロノワールを独り占めできるのもうれしい。

 うまうま、パクパクといただいて、あっという間に感触。ごちそうさまでした。神に感謝(最近、食レポでは食前食後のお祈りを略しているが、実際には忘れていませんヨ)。



 食べ終わって一服していると、まわりのいくつかの席で「今なら同じお値段でシロノワールキュートをフルサイズにできますが」、「いや、いいです」という声が聞こえてきたり。ええー、もったいない。けっこう甘党って少ないのかな? と感じたりも

 コメダ珈琲店は、わが家からちょっと遠いので、あまり縁がないのだが、メニューを眺めていると、面白いものがあった。


 ジェリコ!

 これは聖書に出てくる、ヨシュアが占領した「エリコ(Jericho)」からとったのかな(ちなみに、映画「アイアンマン」の冒頭に出てくる兵器「ジェリコ」がこれからの命名)、と思ったら、単に「ジェリーとアイスコーヒーの語呂合わせ」なのだとか。聖書読みとしては、何か壁を突き崩して食べるスイーツなのかと期待してしまった。

 午後二時を過ぎると、コーヒーお代わり半額とのことだが、そこまでの味ではないかな、と、今回はここでおいとま。

 ちなみに、コメダ珈琲のコーヒーが、セントラルキッチンで作られ、濃縮されてリキッドボトルに詰められて配送され、各店では温め直し薄めて出している、というのは有名だが、コーヒーのような、挽きたて、淹れたてが美味い飲料を、あまり味を落とさず各店へ配送できる技術は、むしろ店でドリップするより工夫しているのでは、と思ってしまう。

 昔のデニーズでは、ドリップして温め続け残っているコーヒーを「いかがですか?」と客に配っていた。それより美味いことはたしかだ。

 というわけで、コーヒー通には莫迦にされがちなコメダ珈琲のそれだが、なんとレジ横には「コメダ珈琲のブレンド豆」を売っている。今回は家に豆がたくさんあったので買わなかったが、機会があったら買って家で挽いて淹れてみて、店とどちらが美味いか比べてみよう。

 なお、バレンタイン期間が終わってしまったので、お値段お得の魔法は消えてしまったが、シロノワールキュート自体は、二月いっぱいは販売されるらしい。
 彼女にバレンタインチョコをもらって、うかれて「魔法の発動」を忘れてしまった甘党男子の方も、まだ間に合うので、コメダ珈琲店へGOである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年02月19日

【日記】ミサの説教

 カトリックのミサの流れの中盤部分までは、大まかに言ってこんな感じである。

●開祭
1)入祭
2)回心
3)あわれみの賛歌
4)栄光の賛歌(待降節・四旬節などをのぞく)
●ことばの典礼
5)第一朗読
6)答唱詩編
7)第二朗読
8)アレルヤ唱
9)福音朗読
10)司祭の説教
11)信仰宣言
12)共同祈願
●感謝の典礼
(以下略)


 さて、ここでの話題は、10番目の「司祭の説教」である。
 カトリックの場合、プロテスタントの牧師先生のように、詳細な聖書の解き明かしをするわけではない。
 たまにエキュメニカル(超教派)のつどいなどに出てみると、牧師先生の実に流暢かつ滑舌のいいお話しぶりにびっくりする。カトリックの司祭がそれを習得する必要はまったくないとは思うが(カトリックのミサのクライマックスは聖変化と聖体拝領なので)、逆に、プロテスタントの牧師先生は、スピーチがうまくないとなれないのだなぁ、と妙に感心してしまったり。

 この「司祭の説教」。洗礼をうけて一年ばかりは、真面目に聞いて、手帳にメモを取っていた。わりと外国の神父さまだと、いったいなにを本質的に言いたいのかがわからなかったり、日本人司祭でも、ボソボソとお喋りになるので、聞き取るのがまず大変、ということもあった。

 ある平日のことである。用事があって司祭館へ顔を出したら、主任司祭と教会委員長が談笑していた。

 主任司祭「委員長、先週主日のわたしのミサの説教、どうでした?」
 委員長「あ、え、いやー、うーん。なんでしたっけ?」
 苦笑する主任司祭。そしてわたしに「結城さん、先週のミサの説教はどんなでしたっけ?」
 わたしも苦笑しつつ手帳を取り出して、先週のミサ説教の内容を二人にお話しした。
 主任司祭「ほぅら、委員長、こんなに真面目な信徒もいるんですよ」
 委員長「(笑い)いや、お見それしました」
 正直、わたしも笑ってしまった。だってねぇ、メモを見なければ、忘れていたことだったから。

 その後、この良い習慣も、だんだんと面倒になってきて、自分が教会委員を引き受けた頃には、もうやめてしまった。
 メモを取らなくなると、説教の最中は真面目に聞いているが、だいたいその数時間後くらいには、内容を忘れてしまっているように。

 ある日の勉強会で、上記と同じ主任司祭が、こんなことを言った。

「いいんです。ミサの説教は忘れても。ミサの説教は食事と同じなんです。みなさん、昨日食べた夕飯も忘れちゃうでしょう? ミサの説教もそれと同じこと。聞いている時間があって、耳から体に入って、知らないあいだにそれがあなたの中に取り入れられて、必ずあなたの一部分になりますね。だからわたし、忘れられるのを承知で、毎週の説教を行っているんですよ」

 なるほどなぁ、と思った。
 このあたりは、自発的にも聖書の勉強が必要なプロテスタントとはかなり違うのだろう。

 洗礼前、洗礼後と、たくさんの司祭の説教を聞いてきたが、心に残る説教は、ふたつみっつくらいしかない。
 カトリックは、それでいいのだ。わたしがカトリックを好きで、カトリックを離れられない所以のひとつである。

 でもやっぱり、食事中に居眠りしちゃうのはまずいよ、ね(笑)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記