2018年02月07日

【回想録】東京12チャンネル

 今では地上波デジタルで7チャンネルの「テレビ東京」のことを、わたしは今でも「東京12チャンネル」と言ってしまう。三つ子の魂百まで、というやつである。子どもの頃から「東京12チャンネル」で育ったものだから、今でも(東京は抜きでも)「12チャン」と言ってしまうのであった。

 同じように、市内を走るバスの一社は今「○○中央バス」なのだが、社名変更前の「△△バス」で育ったため、今でも「△△バスに乗って帰るね」などと言ってしまう。

 わたしが通っている病院のひとつは、その昔、わたしが住んでいる地方都市の主幹産業会社だった××社が建てた系列病院なもので、ずーっと××病院という名前だった。××社の従業員とその家族なら、給料からの掛けで支払いができたという病院。
 バブルもはじけて、××社も吸収合併を繰り返し、今やCIも果たして新しい社名になった。××病院も新しくなって、資本も新しいところに変わり、中身も名称もまったく違う病院になっている。
 それでも、うちの家族は「××病院に行ってくるね」で通じてしまう。というか、Googleで××病院≠検査すると、その病院が出てくるのだからGoogleは頭が良い。実はわたし、今でも新しい病院名を覚えていない(汗)。

 こういうの、誰にでもあることではないかしらん?
 技術屋としては、フォルダのことを今でもディレクトリと言ってしまう。

 話をもとに戻して、東京12チャンネルの話。当時、子どもだったわたしは、夕方17:00台の他チャンネルのニュースがつまらなくて、いつも東京12チャンネルのアニメばかり観ていた。
 アニメと言っても、国産ではない。バタ臭いアメリカのアニメである。「シャザーン」とか「チキチキマシン猛レース」とか「ポパイ」とか、そういうの。
 でまた、子ども心にそういうの、面白くないんだなぁ……。

 わが家では、19:00台はNHKのニュースと決まっていたので、子どものわたしがテレビを楽しめる時間は、その東京12チャンネルのアニメの時間だけだった。このころの「テレビはそれほど面白くない」という意識が、やはり三つ子の魂百まで……で残っているのだろうか。

 同世代の者に比して、わたしはいわゆる「テレビっ子」ではなかったような気がする。
 作家になって、人並みに自分で使えるお金の余裕が出てきた頃は、ソニーのプロフィールプロからベータプロ、レーザーマックスなどを揃え、当時では大画面だった27型でレーザーディスクを楽しんだものだが、それでもテレビ放送はあまり観ていなかったような感じだ。

 対して細君は、わたしより年下なのにテレビっ子である。細君の友人もまたテレビっ子であった。家に帰るとまずはテレビのスイッチをオン、みたいな。
 そういう家庭では、おそらく、テレビ放送が「もうひとりの家族」になっているのだろう。

 ネットの時代になっても、この「テレビがもうひとりの家族」の時代は続いているのだろうか。
 わたしは本当にテレビを観ないので、ネットでテレビの話題が出ると、「みんなテレビを観ない観ない言っているのに、けっこう観ているんだなぁ」とびっくりする。
 NHKの契約訴訟とかでも、わりと拍子抜けしてしまう。みんなそんなにNHKが嫌いなら、テレビを捨ててしまえばいいのに。
 そんなわけで、まだ当分、最後の家族であるテレビは消えないものなのかもしれない。

 人生半分を過ぎたわたしが、まだ「東京12チャンネル」と言ってしまうように、テレビがあるのが当然で生まれ育った世代が老年になるくらいまでいかないと、テレビが本当に家庭からなくなる時代はないのかもしれない、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録