2018年02月14日

【日記】灰の水曜日

「灰の水曜日」の記事は去年も書いている。2017/03/01の「【日記】灰の水曜日」がそれだ。
 去年書いたからと言って、今年はいいや、ということにはならない。なぜなら、カトリックの典礼というものは、毎年毎年、同じようにコツコツと行われるものだから。
 たとえ、毎年毎年、同じことが行われているとしても、そこには意味性があるのである。
 というわけで、今年も「灰の水曜日」について書くが、去年と内容がかぶっていてもご容赦を。


(燃やされ灰になるのを待つ、前年の「枝の主日」で配られた棕櫚の葉)

 わたしは一年を通して、この「灰の水曜日」のミサが一番好きかもしれない。厳粛で、人というもののはかなさ、神の似姿ではあっても人間は土から作られた存在であるという、神との関係性がにじみ出てくる典礼だからである。

「灰の式」にはいくつか方法があるが、前年に書いた方法は、灰を聖水で練ったもので、信者の額に十字架を描く方法であった。


(聖水と灌水器。それに灰)

 司祭によっては、そこまではせず、灰を信徒の頭に振りかけるというタイプもいる。これが過去からもあったものか、第二バチカン公会議後に生じた現代的な方式なのかは、わたしは知らない。
 最近は男性の司祭が女性の信徒の肌に触れるのはあまりよろしくないということで、この「灰を振りかける」方式が生まれたのかもしれない。
 わたし個人は、額に灰で十字架を描いてもらう方式の方が好きだ。そのまま食事に行って、家に帰るまでずっと灰の十字架つきでも平気である。カトリック信者の誇りである。
 ひょっとしたら、振りかける方式は、むしろ「額に跡が残る」のを嫌がる信者側から出た要望なのかもしれないな、とも思う。

「灰の式」は、あくまで「しるし」であるので、ご聖体とは違い、求道者(まだ洗礼を受けていない人)でも受けられる。わたしは求道者のとき、教会の事情があって、司祭の自宅(司祭館)で「灰の水曜日」ミサに与り、初めて灰の十字を額に描いていただいたのだが、あのときのアットホームかつ厳粛なミサと灰の式は今でも心に残っている。
(未洗礼者に灰の式をしてくださるかどうかは、司祭によるかもしれない。そのあたりは要確認ということで)

 このところ「イースター」を流行らそうとやっきになっている広告代理店だが、この「灰の水曜日」は絶対に流行させようとしないだろうな、というのもわたしが気に入っているところだ。

 過去には、亡くなられた川島なおみさんが「Ash Wednesday」という曲を歌われたことがあった。
 歌詞は引用できないが、けっこうカトリックの典礼暦を追っているアップテンポなラブ・ソングで興味深い。
 なにより、「水曜日と重なっているヴァレンタインの日にも」という一節がある。そう、今年の「灰の水曜日」は2月14日、ヴァレンタインでもあるのである。まるで今年のためのような曲だ。
 興味のある方は検索で動画、歌詞とも確認できるのでそちらをどうぞ、ということで。

「灰の水曜日」を過ぎると、悔い改めと節制の四旬節が始まる。今年の復活祭は4月1日。おっ、エイプリルフールですか。こりゃあいい。イースターを流行らせようとする莫迦な広告代理店が、今年はそっちに手が回らないだろうから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記