2018年02月15日

【日記】姿勢

 わたしは姿勢が悪い。
 良いと褒められたことがない。
 もちろん、フィジカルな「姿勢」の話である。心根の「姿勢」の方はどうだろう?

 子どもの頃から猫背であった。小学生の頃は背が低く、「恭介は列の先頭を見ればいつもいるからわかるのよ」と母に言われたものだった。
 背が低いことと、猫背であることがつながっているのかどうはわからない。ただ、猫背であるから背が伸びにくかった、背が伸びにくいから猫背になった、という悪循環はあるかもしれない。

 おかげさまで、中学にはいったら成長痛がするほど背が伸びて、今はわたしの世代の平均身長にはなっている。それでも猫背は直っていない。

 自動車教習所に通っていたときのこと。今は信じられないだろうが、当時は鬼教官などというのは珍しくなく、運転席に座ったとき、「なんだその姿勢は!」「社長か!」と罵られたことがあった。
 このときは猫背が原因ではなく、椅子に浅く腰掛けていたのがいけなかったのだが、「椅子には深く腰掛けてくださいね」とでも言えばいいのに「姿勢を直せ」「偉そうにしてるんじゃないよ」とただ罵倒されるだけで、こっちはもう、目が白黒である。

 そんなことがあったものだから、運転しているときの姿勢は猫背ではないと思う。スパルタにも意味があったのだな。

 PCに向かうときの姿勢も良くはない。PCデスクに椅子の組み合わせだが、たいてい椅子にあぐらをかいてキーボードに向かっている。そして猫背である。
 これは蟄居房やネットカフェにいるときも同じ。フラットシート席を指定して、あぐらをかいてDM200に向かっている。
 もちろん、スタバやファミレスでカキモノをするときにまで、靴を脱いであぐらをかいたりすることはない。こういうときは足を組んで普通にしているつもり。猫背かもしれないが。

 一時期、まだ病気もせず、営業で良く歩いていた頃は、姿勢を良くしてみようと努めていた期間もあったのであった。
 肩を開くようにして、背筋を立て、重心を腹のあたりに置いて歩くようにする。いやぁ、姿勢良く歩くというのは疲れるものだなぁ、と思ったものだ。
 しかし病気をして、姿勢などに構っていられなくなると、また猫背に戻ってしまった。

 細君と母がひそひそと、「恭介の背中に硬い定規でも入れたらどうだろう」などと呑気に相談していたりする。余計なお世話だ。

 姿勢が良い、ということが、どれだけ健康に効果があるのかはわからない。肩こりや、近眼にならない、といった副次作用があるのだろうか。今、苦しんでいる五十肩にもならなかったのかもしれない?

 なんにしろ、人生半分が終わって、もう姿勢を云々するのはやめようと決意した。今のわたしのフィジカルな姿勢は、もう治らない、と。これもわたしの個性のひとつなのだから。

 猫背が利点になることもある。以前も書いたが、打ち合わせなどのとき、わたしは猫背で、自然、テーブルに身を乗り出す形になるので、とても「乗り気」で「やる気がある」ように見える(らしい)のである。

 もっともこの技も、メールで仕事を受注してしまう現在では役に立たなくなってしまった。唯一の利点が、残念である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記