2018年02月16日

【映画評】ローズの秘密の頁

 正直に書く。
 なんとも、感想の書きにくい映画である。それでもスルーできずに、なにか感じたことを記しておきたいという気持ちが、こうして万年筆を持たせ、原稿用紙に向かわせている。
 あまり脈絡のある感想にはならないかもしれない、と、最初にお断りを入れた上での記事であること、ご了解いただければ。



 以前、なにかの記事でも、聖書に書き込みができる人、できない人の話をしたが、この映画は、四十年の間、無実の罪≠ナ精神病院に入れられていたヒロインが、聖書の隙間に日記を書き入れていき、それを読んだ精神科医が、真実を知っていく――という物語。
 聖書読みとしては、そのあたりになにか面白い仕掛けがあるかな、と多少期待して鑑賞。

 あらすじ――
 第二次世界大戦のまっただ中のアイルランド。精神病院から逃げだし、激流の川べりの岩礁で、出産したての自分の赤ちゃんを石で撲殺した、という罪で、ローズは精神病院に幽閉されていた。ローズ自身は、自分は赤ちゃんを殺していない。赤ちゃんはどこかで生きているし、自分も正常であると主張している。
 時は流れ四十年の月日が経ち、その精神病院が取り壊されることになり、入院患者の再評価のために、高名な精神科医、グリーン医師がローズのもとを訪れる。最初の診断では、ローズに幻覚、幻聴を認め、精神病の診断を認めかけたグリーン医師だったが、ひょんなことから、ローズが自分の聖書に日記≠書き続けていることを知り、それを読み、またローズ自身と語りあうことで、真実を知っていく――。


 なお、鑑賞中、カンのいい人なら、そうそうに「あぁ、そういうことか」というネタバレに気づくことが多い映画だろうとは思うが、それ自体がストーリーの根幹をなしているということもあるので、今回はひさしぶりに、ネタバレは反転して見えないように記した。お読みになりたい方は、マウスで選択するなり、Ctrl-Aするなりしていただきたい。

 劇場が明るくなった後、そこかしこで「いい映画だったね」とささやく声が聞こえてきた(そう、けっこうこの映画、宣伝に比して人が入っていたんですよ)。
 一応は、ハッピーエンドを迎えた、ということになるのだろうか。しかし、このハッピーエンドは爽快感とはほど遠い。ほろ苦い、どこか納得しがたい、すっきりとしないハッピーエンドである。

 わたし自身の鑑賞後の感想は、もちろん、いい映画、物語であったとは思ったが、細君を誘ってもう一度見たいという気分にはなれなかった。

 アイルランドの複雑な教派事情――田舎はカトリックが主流で、都市部はプロテスタントの勢力が強くなっている。物語のヒロイン、ローズは、その都市部から田舎へ越してきたという設定――がバックグラウンドになっているが、それはあくまで舞台装置の域を出ておらず、ストーリー全体を言ってしまえば、村一番の美女がたくさんの男に言い寄られる中、ひとりのプロテスタントの男と恋に落ちる。そこに強硬に横恋慕する男がおり、そいつが、こともあろうにカトリックの神父だった――という、身もフタもないストーリーなのである。

 プロテスタントの男は志願してイギリスの兵士となっており、また戦場へ戻らねばならない。ローズは牧師のもと、プロテスタントの男と結婚するが、それはカトリックが主流の田舎では誰も知らない。これも悲劇のひとつである。

 プロテスタントの男は、田舎者連中に殺されてしまう(これは後にわかる)。しかし、ローズは彼の子を身ごもっていた。
 周囲はそれを、神父の子だとみなし、この醜聞を隠そうとローズを精神病院に幽閉する(というか、その前段階で、神父の画策により、彼女はもう、精神病院に入れられてしまっている)。
 臨月となったローズは病院を逃げだし、そして、「あらすじ」で書いたシークエンスとなる。
 果たして、ローズは自分の子を殺したのか――

 ローズが日記として書き込んでいた聖書≠ヘ、押し花あり、切り抜きあり、一面に絵を描いたページがありと、読むための聖書ではなくなっている。
 最初に「BOOK OF JOB(ヨブ記)」を「BOOK OF ROSE」に書き換えるところ以外は、特に聖書の内容との絡みはない。一カ所だけ、ダニエル書の夢の箇所が雰囲気的に出るだけ。聖書内容との謎かけ、というようなシーンは一切ない。聖書≠熄ャ道具のひとつにしか使われていないのである。
 このあたりが、聖書読みとしてはとても残念。たとえば、子どもが神父の子ではない、ということを、「列王記上21章」あたり――ナボトのぶどう畑のくだり――に書く、などの仕掛けがあってもいいのではないかなぁ、などと思ったりしてしまう。
 この映画の惹句では「半世紀の時をこえ、1冊の聖書が明かす胸震える衝撃と感動の物語」となっているが、別にこれが聖書≠ナなくてもいいというのがなんとも。
 ちなみに原題は「The Secret Scripture」。「秘密の聖書」だ。

 わたしはカトリックなので、どうしても見ていて、横恋慕してくる神父が腹立たしくて仕方なかった。
 帰天されてしまったが、教会の勉強会で仲の良かった年配の女性が、自分に洗礼を授けてくださった司祭が、後にある女性に「転んで」現場を離れさせられてしまったことを、何度も口にしていらっしゃったことを思い出す。彼女にとってそれはとてもショックな出来事だったようで、話すたびに、悔しさが口の端にのぼるのだ。さもありなん、と思う。

 ちなみに、一度、司祭として叙階された神父は、後に女性に「転んで」も、神父の名を奪われたりはしない。洗礼や叙階は、魂に刻印されるものなので(これをカラクテル≠ニいう)、一度つけたら、人間の手で消すことはできないからだ。
 女に「転んだ」神父が授けた洗礼などの秘蹟の有効性も消えたりはしない。
 ただ、もちろん、カトリック教会は「職能団体」としての面もあるので、そういう、女に「転んだ」神父は、もう表舞台に出ることはない。たいてい、地方で飼い殺しである。
 一生をキリストに捧げ、女性を遠ざけ、未婚の誓いを立てた上で神父になるのだから、そういう、女に「転ぶ」司祭なんてそうそういないんじゃないの? と、一般の方は思われるかもしれないが、つい最近も叙階したてのゲフンゲフン、ゴホゴホゴホ――なのである。

 やはりカトリックの神父には、女性関係は清廉でいてほしい。
 人間なのだから、などというのは安っぽい言いわけである。司祭職には、それだけの覚悟を負うだけの価値がある、とわたしは思うのである。

 ずいぶん話が飛んでしまったが、話を映画に戻して、一番のネタバレを書くと――

 ローズのもとに、精神科医グリーン医師を寄越したのは、今は大司教となっていたその神父であった。ローズはもちろん、自分の産んだ子を殺してはいなかった。グリーン医師こそが、あのとき、神父によって秘密裏に養子に出された、ローズの実子だったのである。


 描きようによっては、お涙ちょうだいの二時間ドラマのようなストーリーに陥りそうなところだ。しかし舞台となるアイルランドの自然の美しさ、演じる俳優の細やかさ、聖書という小道具に日記を記していくというアイデアがいい。物語は、美麗で、淡く、切なく、観る人それぞれにいろいろな思いがこもるエンディングを迎える。

 完成度は高いと思う。ただ、万人向けかというと、諸手を挙げてお勧めはできない。
 むしろ、カトリックだプロテスタントだ聖書だ十字架だとか、そういったものとは無縁な方の方が素直に「良い映画だったね」と言えるかもしれない。

 この記事は、観劇後に寄ったスタバで原稿用紙に万年筆で書いたものだが、そのときはどうも脈絡がなく、あまりいい記事にはなりそうもないな、と考えていた。しかし一晩寝かせてみると、まあ、それなりに形にはなったかと、こうしてエディタに打ち込みながらそう思っている。
 ハッピーエンドが爽快でなかったのは、ヒロインの恋人を殺した村人たちが報いを受けるシーンがなかったことと、今は大司教となった神父の苦悩が描かれていなかったからなのだな、と、気づいた。

 そのあたりもまたほろ苦く、観劇後は、スタバのコーヒーに、多めに砂糖を入れてしまったのであった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評