2018年02月19日

【日記】ミサの説教

 カトリックのミサの流れの中盤部分までは、大まかに言ってこんな感じである。

●開祭
1)入祭
2)回心
3)あわれみの賛歌
4)栄光の賛歌(待降節・四旬節などをのぞく)
●ことばの典礼
5)第一朗読
6)答唱詩編
7)第二朗読
8)アレルヤ唱
9)福音朗読
10)司祭の説教
11)信仰宣言
12)共同祈願
●感謝の典礼
(以下略)


 さて、ここでの話題は、10番目の「司祭の説教」である。
 カトリックの場合、プロテスタントの牧師先生のように、詳細な聖書の解き明かしをするわけではない。
 たまにエキュメニカル(超教派)のつどいなどに出てみると、牧師先生の実に流暢かつ滑舌のいいお話しぶりにびっくりする。カトリックの司祭がそれを習得する必要はまったくないとは思うが(カトリックのミサのクライマックスは聖変化と聖体拝領なので)、逆に、プロテスタントの牧師先生は、スピーチがうまくないとなれないのだなぁ、と妙に感心してしまったり。

 この「司祭の説教」。洗礼をうけて一年ばかりは、真面目に聞いて、手帳にメモを取っていた。わりと外国の神父さまだと、いったいなにを本質的に言いたいのかがわからなかったり、日本人司祭でも、ボソボソとお喋りになるので、聞き取るのがまず大変、ということもあった。

 ある平日のことである。用事があって司祭館へ顔を出したら、主任司祭と教会委員長が談笑していた。

 主任司祭「委員長、先週主日のわたしのミサの説教、どうでした?」
 委員長「あ、え、いやー、うーん。なんでしたっけ?」
 苦笑する主任司祭。そしてわたしに「結城さん、先週のミサの説教はどんなでしたっけ?」
 わたしも苦笑しつつ手帳を取り出して、先週のミサ説教の内容を二人にお話しした。
 主任司祭「ほぅら、委員長、こんなに真面目な信徒もいるんですよ」
 委員長「(笑い)いや、お見それしました」
 正直、わたしも笑ってしまった。だってねぇ、メモを見なければ、忘れていたことだったから。

 その後、この良い習慣も、だんだんと面倒になってきて、自分が教会委員を引き受けた頃には、もうやめてしまった。
 メモを取らなくなると、説教の最中は真面目に聞いているが、だいたいその数時間後くらいには、内容を忘れてしまっているように。

 ある日の勉強会で、上記と同じ主任司祭が、こんなことを言った。

「いいんです。ミサの説教は忘れても。ミサの説教は食事と同じなんです。みなさん、昨日食べた夕飯も忘れちゃうでしょう? ミサの説教もそれと同じこと。聞いている時間があって、耳から体に入って、知らないあいだにそれがあなたの中に取り入れられて、必ずあなたの一部分になりますね。だからわたし、忘れられるのを承知で、毎週の説教を行っているんですよ」

 なるほどなぁ、と思った。
 このあたりは、自発的にも聖書の勉強が必要なプロテスタントとはかなり違うのだろう。

 洗礼前、洗礼後と、たくさんの司祭の説教を聞いてきたが、心に残る説教は、ふたつみっつくらいしかない。
 カトリックは、それでいいのだ。わたしがカトリックを好きで、カトリックを離れられない所以のひとつである。

 でもやっぱり、食事中に居眠りしちゃうのはまずいよ、ね(笑)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記