2018年02月22日

【日記】聖書とネコ

 今日2月22日は「「ニャンニャンニャン」でネコの日。なのでネコにちなんだお話を。

 クリスチャンは大まかにわけて、カトリックとプロテスタントにわけられるわけだが、彼または彼女が、そのどちらかかを知りたいときは、こう聞けばよい。

「ねぇ、聖書に動物のネコって登場してる?」

 もし「登場してないよ」と言ったら、その人はプロテスタント。「登場してるよ」と言ったら、カトリック。

 ただし、よく勉強しているカトリックでなければ、「わかんない」あるいは「出てないんじゃないかなぁ」と言うかもしれない。なにしろカトリックは聖書を読まないですから。いやぁ、もちろん、いいことではないね。これ。

 ちなみに、人名のネコは、エジプトの王として「ファラオ・ネコ」という人物が登場してくる(列王記下23:29が初出)。
 しかし、プロテスタントの聖書である旧約39書、新約27書の計66書には、動物のネコは一切登場してこない。

 意外な感じでしょ?

 さて、カトリックの聖書には、アポクリファと呼ばれる「外伝」が含まれている。新共同訳聖書だと「旧約続編」と呼ばれているものだ。
 その中に、実は「動物のネコ」が一匹、まぎれこんでいるのである。

その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。(エレミヤの手紙 21節)


 この「エレミヤの手紙」は、偶像崇拝を避けなさい、という内容の文書だが、このシーンは(非ユダヤ教の)神殿の神々の像はただのモノであり、中身は虫に食われ、こうやってネコまでやってくる、という流れの中の一文。
 しかし初読のとき、なんとものほほんとした感じでいいなぁ、と思ってしまったわたしは不敬である(笑)
 いいじゃないですか。仏像に小鳥やネコがのんびりしている風景って、絵になると思うんだけどなぁ。

 聖書学的なヨタ話を加えると、ここで出てくる「ネコ」は、本来、なにかの鳥を表現していたヘブライ語をギリシャ語に訳したとき誤訳した≠ニいう説もある。
 でもやはり、ここはmeowなネコがいいんじゃないかなぁ。わたしは自分のクルマのボンネットに、ネコの足跡がついていると和んでしまうタイプである。

 ちなみに「動物のイヌ」は「山犬」や「番犬」なども含めると(プロテスタントの聖書に)53節、54カ所登場している。

 カトリックのアポクリファには「トビト記」という、当時のイスラエル人の素朴な信仰生活を描いた書があり、そこにはもっと身近な、ペットとしてのイヌも登場している。

そこで息子トビアは天使と共に出発した。トビアの犬も出て来て彼らについて行った。(トビト記 6:2)


二人は一緒に先を急いだ。ラファエルはトビアに、「さあ、魚の胆のうを取り出しなさい」と言った。犬も二人の後からついて来た。(トビト記 11:4)


 両箇所ともさりげない一文だが、なんともユーモラスで、ホッとする一場面である。

 キリスト教的には、ネコはあまり好ましい生き物としては描かれてこなかった。「最後の晩餐」を描いた数々の絵画で、ユダの足元にいるのがネコというのはよく知られたモチーフである。残念な話だ。

 お顔が怖いと信者の間でも囁かれていた(笑)前パパさまのベネディクト十六世だが、とてもネコに好かれていて、お聖堂の中にまで野良ネコがついてきてしまった、という話を聞いたことがある。
 怪しいキリスト看板をコラにした「ネコと和解せよ」という画像は有名だが、いやしかしね、カトリックとネコは、実はもとから、いい関係を築いてきていたんですよ。

 だってほら、カトリックって、Catholic、Cat Holic、日本語に訳せば「ネコ中毒者」なんですから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記