2018年03月31日

【日記】聖土曜日の典礼色

 さて、去年の「【日記】聖土曜日」の記事で、やはり「聖土曜日の典礼色」の話題を書き、一度は「未定義」という結論をだしたはものの、その直後、正解を見つけた、という話を記した。

 その正解だが、「来年までのロングパスとしたい」と、カト信者への宿題にしていたわけだが、敬虔なるカトリック信者の皆さま、この一年で、「聖土曜日の典礼色」はおわかりいただけましたかな?

 念のため、半可通のカトかぶれを排除しておくために書いておくが、「聖土曜日」の(一般人にとっては)夜に行われる「復活徹夜祭の典礼色(白)」ではないですよ。あくまで「聖土曜日」の典礼色。

 なんと正解は、われわれカト信者にとって、とても身近なところにあった。しかもおそらく、ズボラな信者でも、おそらく今なら、まだ手の届くところにある。書類入れとかにね(いやもう捨てちゃったかもしれないが)。



 これは、先週の日曜日、つまり2018年3月25日にもらったばかりの「受難の主日(枝の主日)」の「聖書と典礼である。
 そう、正解は、毎週、ミサの前に配られる「聖書と典礼」に記されていたのである。しかも、今週のみの「聖書と典礼」に。
 カト信者の皆さま。どうです? 今なら、まだ先週のそれが手元にあるでしょう? 引っ張り出して見てみてください。


(石黒正数「それでも町は廻っている」1巻より引用)




(石黒正数「それでも町は廻っている」1巻より引用)



 紫!

 これほど明快な答えがあろうか。やるな、オリエンス宗教研究所(「聖書と典礼」の出版元)。しかもちゃんと「読書」時、「朝の祈り」時、「昼の祈り」時と、使うときの例まで列記している。

 ちなみに、英語版の「SUNDAY LITURGY」、スペイン語版の「LITURGIA DEL DOMINGO」の表4には、そういったことは記されていない。


(これはスペイン語の「LITURGIA DEL DOMINGOの表4。そっけないものだ。典礼色自体が書いてない)

 ふっふー。というわけで、日本語圏以外のカト信者の友人がいる方は、ぜひとも「聖土曜日の典礼色ってなーんだ?」と質問していじめてあげていただきたい(笑)。きっと、敬虔で知識のある信者ほど、いろいろ悩むと思う。

 ちなみに「聖土曜日の典礼色」について、プロフェッショナルである司祭がどのような反応を示したかは、去年の「【日記】聖土曜日」に書いた。

 司祭や司教にお尋ねしたこともたびたびある。が、真剣に考えて「聖土曜日にバチカンへ行ってみればわかるのではないか」と答えてくれた司祭、「知りません」とすげなくスルーした司教、と、いろいろである。
 この質問への答え方で、その司祭の姿勢がわかったりするな、と、最近は意地悪く思っていたりする。


 ふふっ(笑)。←いろんな意味での「(笑)」。

 聖土曜日は、ミサはもちろん典礼も行われない日なので、その日に教会へ訪れる人は少ないかもしれないが、わたしは教会委員をやっていた関係もあって、聖土曜日の真っ昼間に何度か教会を訪れたことがある。
 そのときの雰囲気が、とてもいい。これからイエスの復活が起こるという期待感の中、まったりとしていて、時間がのんびりと流れている。

 そして、日没後には、華やかな「光の祭儀」。つづいて一年のミサの中で一番豊かな「ことばの典礼」のある「復活徹夜祭」がある。おそらく世界中に、今夜、洗礼を受けて、新しくカト信者になる人々がいるであろう。

 そんな皆さまに、一足早く、「ご洗礼、おめでとうございます! あなたのこれからの信仰生活に、神さまの豊かな祝福がありますように!!」
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月30日

【日記】聖金曜日

 去年の「聖金曜日」の記事の最後に、ヒキを残しておいたのだった。一年ぶりの回収である。

ちなみに、聖金曜日の祭儀は、英語圏だと「Good Friday」。キリストの受難を想う日なのに、なぜGoodなのかというのは――覚えていたら、来年のネタにすることにしよう。


 わたしも大ファンで何度も見ている「ザ・ロック」というアクション映画がある。主人公はニコラス・ケイジ演じる「グッドスピード」。そして相方がショーン・コネリー演じる「メイソン」。このショーン・コネリーが格好いいんだこれがまた。
 そしてベタベタのハッピーエンド。見るたびに元気がもらえる映画である。

 そのラストシーン、すべてが解決してエンディングへと向かうところで、メイソンがこんなことをグッドスピードに言う。

メイソン「But, uh, I'm sure you know the etymology of your name "Goodspeed."」



グッドスピード「Yeah, Godspeed. To wish someone a prosperous journey. Why?」



 翻訳はそのまま字幕で出ているが、GodspeedがなまってGoodspeedになった、と、こういうわけ。

 今日、「聖金曜日」は、イエスが十字架にはりつけにされ磔刑死したことを偲び、想い、十字架の礼拝をする日だが、なぜそんな日が英語圏でGood Fridayと呼ばれるようになったのかというと、このGodspeedがGoodspeedになったのと同じ理由なのであった。
 もとはGod's Fridayとか、Godes Fridayとかであったとのことである。

 ある年の聖金曜日の昼間、教会で仕事をしていると、外国人の方がいらした。日本語はまったくダメで、他に通訳できる人もいない。
 仕方なく、わたしがつたない英語力で応対したのだが、どうやら「今日のGood Friday massは何時からですか?」と訊いているようだ。このときほど、Good Fridayが聖金曜日をあらわす言葉だと知っていて良かったと思ったことはなかった。

 ところでこの外人さんは、Good Friday massと言ってしまっていたが、聖金曜日は「聖変化」が行われないので、本当は「ミサ」ではない。「祭儀」である。外国人でも間違っちゃうんだなぁ、と、内心、思っていたものだ。

 聖金曜日の祭儀は、会衆席にいても緊張する。雰囲気は葬式のようである。そう、聖金曜日はイエス・キリストの葬式の日なのである。
 そして祭儀は閉祭の歌もなく唐突に終わり、信徒は会衆席に、イエスを失った喪失感を抱いたまま取り残される。

 なお、聖金曜日は「大斎(基本一日一食)」「小斎(お肉はダメよ)」である。
 今日くらいは甘いものはやめときなさいよ、と、これを書いている自分から自分宛にメッセージを送って、しんみりと筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月29日

【日記】聖木曜日

 去年の聖木曜日は2017年4月13日であった。言うまでもないが、イースター(復活の主日)が移動祝日なので、それにともない、その前にある「聖なる過ぎ越しの三日間」である聖木、聖金、聖土曜日も移動する。
 カトリック信者にとって、三月中に「聖なる過ぎ越しの三日間」があるのは「かなり早いなぁ」という印象。普通の年は四月中旬あたり、という感じだからだ。

 勘違いしている信者も多いが、「四旬節」は「聖木曜日」の「主の晩餐の夕べのミサ」直前で終わる。
 四旬というのは「40」のこと。なので、「復活の主日」からさかのぼって46日前が「灰の水曜日」となり、それが四旬節の始めとなったということは、「【日記】灰の水曜日」にも記した。(6日の誤差は、その間に主日が6日あるので、その分を抜くことになっているから)。

 ここで、アレッ? と思う人がいたらその人は鋭い。
 前述のとおり、現代の典礼暦では、「聖木曜日」(のミサ直前)で四旬節が終わることになっている。

「ちょ、待てよ。計算すると、実際には37日ちょっとじゃん! 四旬に足りないやん」

 というわけなのだが、このことは現代のカト信者にとっては――

「触れてはいけない真実!」

 になっている(笑) いやほんと「ダ・ヴィンチ・コード」などより、よっぽど触れてはいけない真実だから(笑)

 なぜこのような歪みが現代のカトリック典礼暦に起こってしまったのかは、ちょっと調べてみたのだがわからない。

カットリク!ポイント74――
 イースターから数えて40(+6)日前が「灰の水曜日」となり、そこから四旬節は始まるのが典礼暦のキマリ。
 けれど実は、37日ちょっとの「聖木曜日」のミサ前で四旬節は終わっている。


 驚くべきことに現代リアルカトリックの中にも「カットリク!」はあるのであった。

 さて、去年の聖木曜日の記事でも書いたが、この日は「洗足式」という儀式が行われる。
 わたしは、どのカトリック教会でもやっていることだと思い込んでいたが、これは実は「司牧上勧められる場合に」行うことであり、やらない教会もあるのだそうだ。

 カトリック信者のブログなどを読んでいたら「引っ越して教会が変わり、初めて洗足式を経験した」というような記事があったりしたので、「へぇ、やらない教会もあるのだなぁ」とびっくりした次第。

「司牧上勧められる場合に」であるから、洗足式を行わない教会は、そんなことをいまさらしなくても、足を洗いあっている良い共同体だと指導司祭に認められている、いい教会なのですよ。
 あるいは指導司祭がアレで「信徒のクッサイ足なんて洗ってられるかよ」と思っている腐った教会のどちらかなのである。
 いや、後者は冗談ですから、マジでマジで。

 個人的には、洗礼志願者がいる場合は「洗足式」は行うほうが「司牧上」も良いと思っている。わたしが洗礼志願者であったとき、この「洗足式」は当然、見る側であったが、なんとも心動かされるものがあった。
 そして洗礼を受け、正式に「キリストの弟子」となったら、あの、足を洗われるひとりになりたい、と願ったのである。

 なお、洗足式は、以前は――

「選ばれた何人かの男の人を、用意した座席へ案内する。」

 となっていたが、2016年の教皇庁典礼秘跡省の「教令」により――

「神の民の中から選ばれた人々を、用意した座席へ案内する。」

 と変わった。要するに、それまで足を洗われる信徒は、十二使徒を模して「男性のみ」であったのが、一昨年から「女性もOK」になったわけである。

 といっても、小教区の現場では、けっこう十二人の男性集めに苦労して、この教令前に女性信徒の足を洗っていたということもあったような気がする。

 というわけで、今夜も(ひょっとしたら)足を洗われにいってきます。
 神に感謝。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月28日

【日記】2月から3月のわたし

 今回は泣き言である。

 以前、2ちゃんで、ある「祭り」があったとき、あそこは普通だとハンドルネームが同じになるものだから「最初は、同じ人がたくさん書いているのだと思いました」と初心者の方が驚かれていたことがあった。そこで「そうなんですよ。この掲示板は、実は、わたしとあなたのふたりだけでやっている、みんなには秘密の掲示板なのです。よろしくね」と書いて、その方を含め、皆で大ウケしたことがある。
 そんな感じで、このブログも、今日は、あなたとわたし、ふたりだけの私信みたいなものとしてご高覧いただければ。

 さて、ブログの方は平常運転のように見えているかもしれないが、それはストックがあるからで、実はこれを書いている3月の始め、どうにも、体調もテンションもあがらず閉口している。
 ストックしているブログ記事も、あと2週間分になってしまった。

 若い頃は、暑い季節の方が苦手だった。理由は明快である。部屋にエアコンがなかったからだ。わたしが最初の原稿料で買ったのはエアコンであった。
 いや、当時は家の各部屋にエアコンがあるほど、日本は豊かではなかったのですよ。

 それでも、冬の寒さが堪えるようになったのは、ここ10年くらいではないかなぁ。それまではそれほど、「つらい」とは思わなかった。やはり加齢で基礎体力が落ちているのだろう。

 今年は2月の中旬に、食あたりをやってしまった。自分で焼いた豚肉の味噌漬けの火の通りが甘かったらしい。
 それの少し前の時期、持病のクスリの量が増えて、これが吐き気を催す副作用があるものだから、そちらを一時、前と同じ量に戻して、三日三晩、気分の悪さを耐えに耐えた。このときは、天井から輪っかのついたロープがあったら、ちょっと吊ってしまう誘惑に勝てないだろうくらいつらかった(危)。
 時間が経過して、フィジカル面はなんとか持ち直したが、今もメンタル面はボロボロである。

 そして2月から3月は、個人の確定申告がある。毎年のことだし、やらなければいけないことだが、本当にもうウンザリ。これがなければ、2月から3月の気分の落ち込みもだいぶ減るのではないかと思うくらい。

 カトリックの典礼暦もだいたい四旬節に入り、自戒と節制が求められる。気持ちもだんだん沈んでいくというものだ。

 えっ? バレンタインデー? そりゃ、細君から愛のこもったチョコレート菓子をいただけますよ(照)。去年も今年も、それについて書く機会(気力)がなかったなぁ。

 ブログに書こうと思っているネタは、常備している手帳にメモしているのだが、それがいくつかたまっても、実際にポメラに打ち込もうという気にならないのがつらい。
「とりあえず4分やれ」のレナード・ズーニン効果も、なんとも気が重くて、その4分にまず取りかかれないのだからしょうがない。

 文章は長く書いてきているが、ふりかえってみると、毎日、こうやって原稿用紙3枚以上の雑文を書き続けるというのは初体験である。
 長編小説ならばいいのである。なぜなら、先があるから。ちゃんと一本書き上げれば解放される。

 しかし一度始めてしまったブログには終わりがない。

 ブログも、日記のように、その日に起こったこと、感じたことを書いていくタイプならば、そう苦労せずに続けていけるのかもしれない。しかしそれなら、ツイッターの短文でもいいのではないかとも感じてしまう(ツイッターも匿アカでやっておりますよ)。
 ところが、この「いまさら日記」は、毎日、何らかのテーマを決めて、読んでくださる方にそれだけの時間分、なにかしら楽しんでいただけたら、という方針でやっているものだから、少々、身を削る思いで、日々、書いているのである。

 もちろん、こんなことが、命尽きるまでできるとは思っていない(逆に命尽きる方が早いかもしれない)が、できれば3年間は、毎日更新したいなぁ、と目標を決めているのである。
 しかし、今のこのメンタル状況だと、満2年目を迎える前に、ちょっとリタイアして、更新ペースを落としてしまうかもしれない。そうなったら、本当にごめんなさい。先にもう謝っちゃおう。

 あとは、ちょっと方針転換して、それこそ日記にしてしまってもいいかとも思っている。
 わたしは今まで、「わたしはどこそこに住んでいて」「今日はなになにをした」というような、個人情報筒抜けのことを書いた憶えはなく、たいていボカして書いているはずだが、日記はともかく居住地などは、文芸年鑑を調べればわかってしまうことなのだし。

 今日は久々に、行きつけのネットカフェに原稿書きにきたら、なんと熱いオシボリサービスが廃止、ソフトクリームのチョコトッピングまでなくなっている。もう、ガックリである。

 今回は本当に泣き言でごめんなさい。
 でもこうやって正直に書くことで、少し楽になれる面もあると思う。
 クラスのみんなにはナイショだよ?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月27日

【回想録】著者近影

「昭和の遺伝子」にしようか迷ったが、平成初期でもこの慣習は失われていなかったことを思い出したので、カテゴリは「回想録」とした。
 今ではほぼありえないことだが、ほんの数十年前の書籍には「著者近影」が載っていることが当たり前だった。小説だと表4(本は表紙を表1、表紙裏を表2、裏表紙を表4、裏表紙裏を表3と呼ぶ)、マンガだとカバーの表紙側の折り返しに、ごく普通に、著者の写真が載っていた。

 これがなくなっていったのは、もちろん今では、顔は重要な「個人情報」であるからという理由で片づけられてしまうが、どうも「ストーカー」の登場と前後しているような気がする。
 もちろん、「ストーカー」という呼び名の前にも、そういう人々はいたのだが、作家やマンガ家に対して、一線を越えた熱情を持つ人々は「熱狂的ファン」と呼ばれ、そういう人々は、まま「ある」ものだ、とされていたのである。

 わたしもある日、編集部に顔を出してみると「わたしは今日から、結城狂介を名乗ります」と書かれたハガキを出され、仰天したことがある。

 編集者「これ、結城さんが出されたんですか?(苦笑)」
 わたし「ままま、まさか。知りませんよ、わたしじゃないです」
 編集者「まあこういう方もいらっしゃいますからね。これから先、お気をつけることも大事ですよ」

 編集者は親切心からおっしゃったこととわかっていても、こっちはどうすりゃいいんだい、という気分であった。当時、わたしは雑誌「フォーカス」や週刊誌、青年誌などにも「著者近影」を出していたのである。

 しかしまあ、その頃から、わたしは自分が五十までに、病気か事故か自殺で死ぬだろうと思っていたので、後ろから刺されること上等、とは思っていた。
 あのとき「わたしはこれから結城狂介を名乗ります」というファンレター≠くださった、本名も知らないその方が、今でもどこかで、元気でいらっしゃることを祈る。

「著者近影」には苦い思い出もある。もう単行本の刷りだしギリギリになって、編集者から「著者近影のお写真をください」と言われ、その頃つきあっていた細君が海辺で撮ったわたしの写真を送ったのである。
 その写真は、カラーだと背景が海に沈む夕陽で美しかったのだが、海風でわたしの髪の毛が吹き上げられて、まるで、寝癖のように映っていた。
 編集者に「もっといい写真にしましょうよ」と言われたのだが、わたしの悪い癖で面倒になり、「いいですよそれで、写真で本が売れるわけでもなし」と言って、その写真を使った。
 わたしは間違っていた。著者近影で本は売れるのである。あのとき、もっと格好良い写真を使っていたら、一万部はプラスしていたに違いない(撮った細君が悪いわけではない。為念)。

 それで反省し、その後の本では、編集者もわかったもので、プロのカメラマンに撮ってもらうことにした。
 しかしそのときは「近影」の写真は使わず、書斎でマシンに囲まれた上半身の写真を使ったと記憶している。

 編集者「いやー、映した写真、どのお顔を見ても、疲れて映っていらっしゃるので、ちょっとこれは、引いて撮ったものがいいかな、と――」

 脱稿直後である。クッタクタに疲れているのは当然だっつの。
 そんなこんなもあって「著者近影」にはあまりいい思い出がない。

 前述「結城狂介」氏ほどではないが、顔を出していた当時は、多少、びっくりしたことが何度かあった。街の喫茶店で編集者と待ち合わせをしていたら、隣の席から「ひょっとしたら結城先生でいらっしゃいますか?」と言われたり、宅配便のお兄さんから荷物を受け取ったら「新作の進行状況はどうですか?」と訊かれたことがある。

 わたしはこういうの、さほど気にしないほうだが――この辺、感覚が昭和――嫌な作家・マンガ家はいらっしゃるだろうな、とは思う。

 今はネットで、匿名で連絡が取れる(逆に本名で連絡を取ることを躊躇する)時代だが、その昔は、同人作家も奥付に自分の住所を直接印刷していた。もちろん危機感はあっただろうが、そのデメリットと、感想をいただけるというメリットを天秤にかけて、住所本名を記載していたのである。

 なんとも、牧歌的で、のんびりとした時代ではあった。「回想録」にしたが、当時のその雰囲気自体は「昭和の遺伝子」だろうと思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録