2018年03月11日

【日記】結婚は命がけでやるものです

 ツイッターで話題になったものの引用。

30代独身の知人女性に「結婚って他人と一緒に住むわけじゃん。寝てる時に包丁で刺される可能性もあるし、よくそんなリスキーなことできるね」って言われたんだけど、もう野生動物の発想だなって思った。


 これ、正確には「野生動物の発想」ではなく「群れを作らない動物の発想」だと思う。野生動物でも、群れを作る種族はたくさんある。
 もうちょっと厳しく言ってしまえば「社会性のない動物」である。身近な例をあげれば、ネコなんかがそう。単独で生き、基本的に群れを作らない。親子関係以外はね。

 さて、本稿ではそういうことを書きたいのではない。むしろ、わたしはこの書き込みに純粋に驚いたのである。
 結婚というのは、いつ配偶者に殺されるかわからない、そういう覚悟を持ってする、命がけのことである。こんなことは、既婚者ならば当然のこと、未婚者も知っていて、本当は当たり前のことなのだ。

 原典を当たることができないので正確な引用はできないが、日本の血液型性格診断の祖、能見正比古氏のエッセイの中に、こんな内容があった。
 なにか夫婦の間で意見の相違があり、能見氏はふて腐れて寝てしまった。その後ろで妻がなにか包丁を持っている気配があるので、能見氏は寝ぼけつつ「殺すなら痛くないように頼む」と言った。結局、能見氏は朝まで無事に過ごすことができたのだが、妻の本心はわからない。ただ、女房になら殺されてもいいという覚悟はあった、という。

 わたしがそれを読んだのは未婚の頃だったが、なぜか心に残る一文であった。

 実際、夫婦というのはそういうものである。互いに、完全犯罪で相手を殺すことができる関係性の中で生活しているのである。
 その覚悟なくして、結婚などできない。

 わたしも細君にプロポーズし、結婚したのは、「この女になら殺されてもいい」と確信したからである。「彼女に殺されるなら本望だ」と、むしろ「殺されるなら彼女にお願いしたい」と。
 ちなみに、細君がどう思っているかどうかはわからないが(笑)。

 ここ最近、結婚率が減っている、離婚率が増えている、というのは、このあたりにも原因があるのではないかな、と、思ったりもする。

 はっきり言っておく。「結婚は命がけでやるものです」よ。
 その覚悟なくして、夫婦というものは成長しない。

 結婚てのはね、若い男女がワイングラスを持って「乾杯」なんてやっているのとはわけが違う。散らかったキッチンテーブルの向かいに座った配偶者といつケンカが始まってもおかしくない、刺すか、刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。尻の青いガキはすっこんでろ。
(昔懐かしい吉野家コピペの改変だが、これも今の世代には通用しないらしい)

 いささかとっちらかり気味になったので、話を最初に戻すが、人間は社会的動物であり、基本、群れを作って生活するようにできている。
 最初の引用にある「30代独身の知人女性」は、野生動物の発想でもなんでもない、30歳になろうが、どれだけ仕事ができようが、結局は社会性が薄い――ようするに「幼い」のである。今の人間は、幼いまま年を取る。ウーパールーパーのようなものである。

 それが一概に悪いことだとは言わない。
 ただ、これからの非婚社会、少子化社会を解決したいと政府が思うならば、若者の「金がない」問題ばかりではなく、こういった幼形成熟≠ノもスポットライトを当てねばならないかもしれないな、と思うのである。

 それと、携帯だスマホだLINEだTwitterだとコミュニケーションの手段ばかりが高度化し、逆に選択肢が多いゆえにか「この相手になら殺されても本望だ」とまで愛せる相手にめぐり合うことができなくなってしまったこの社会も、また不幸だなぁ、と嘆息ひとつ。

 追記:わたしは非婚、少子化を、若者の選択≠セと思っているので、これもまた一概に悪いことだと思っていない。ウーパールーパー、可愛いじゃん。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月10日

【日記】AndroidのPowerampが突然使えなくなった件・その2

 昨日の続き、突然、古いスマホGalaxy S2で音楽再生ソフトPowerampが使えなくなった件の続きである。

 こりゃあもう、このGalaxy S2はジャンクボックス入りかなぁ、とため息をついていたが、それにしても納得しかねる。わたしはPowerampの正規ユーザーだし、突然、使えなくなった原因がわからない、
 思案しているうちに、そういえば、Simフリースマホの方で、Google Playが直前にバージョンアップしていたことを思い出した。そしてこのバージョンアップに、Galaxy S2は非対応だったことも。
 どうも、それが原因ではないだろうか……。
 Powerampのライセンス情報を見ると、Galaxy S2の方はこうなっている。



 対して、simフリースマホの方の同表示は――



 ちゃんとPlayストアで購入済みになっている。

 Playストアがバージョンアップし、それにともなうなにかの変更で、Galaxy S2のPowerampのライセンス認証がとおらなくなったのではないだろうか。

 いろいろな対処法が頭をかすめる。いっそのこと、ウォークマン代わりのPoweramp、新しいsimフリースマホの方で使えばいいじゃないか、そっちでは使えるのだから、という、しごくまともな解決法が浮かぶ。
 しかし、実は新しいsimフリースマホの方はMicroSDが(今どき)32ギガまでのものしか使えない仕様なのだ。それがちょっと残念なのである。
 ちょうど数週間前に、Galaxy S2に入れていたバッハ全集を聞き終わったところでもあり(これはそのうち、なにか書くかも)、残りのモーツァルト全集とショパン全集くらいなら32ギガにも入るかなぁ、といささか諦めムード。

 しかし残念きわまる。このGalaxy S2には愛着もあるし……と、うじうじしていたら、ふと、Powerampを他の方法で課金すればいいのではないか、と思いついた。
 PowerampはWebからクレジットで課金できる。すると、指定したGoogleアカウントにひも付けされた端末のライセンスを取得できる。
 同アプリの料金は、日本円にして500円程度。これくらいなら、機能に比して払うのに躊躇しない額だ。
 そこでGalaxy S2のPowerampから購入情報を開き、Websiteから購入を選択。クレジットカードで支払いをしてみた。もちろん、生クレカの番号を入れたりはしない、Visaデビットクレカである。

 クレカによる課金はすぐに完了。指定したメアドにパスワードが記されたメールが届いた。
 しかし、これをPowerampに入力しても、まだ「ライセンス情報がとおらない」。
 えーっ、なんで!? と、テンパった頭で届いたメールを確認すると、Powerampに送った自分のGoogleアカウントのドメインがGoogle.cmになっていることを発見。うわー、テンパっていたので気づかなかったのだ。

 こりゃもうダメかぁ、と思いつつ、Powerampのサポートに、「今、クレカで課金した誰それですが、Googleアカウントを間違えて登録してしまいました。直していただくことはできませんか?」とつたない英語でメール。

 もう完全に諦めムードで、今夜は寝るか、と、寝室へ移動してベッドに寝転んだら、メールが届きましたよ!
「あなたのGoogleアカウントを訂正しておきました」。Powerampサポート、仕事が早い!
 ベッドの上で、Powerampに先ほどのパスワードを入力したら――



 やったー。無事、Websiteから購入済みの表示が。もちろん、ライセンスがない云々のダイアログも出なくなり、普通に使えるようになった。
 ちなみに課金証明ページだと、Google PlayとWebsiteの両方で支払ったことになっているので、両方がグレイアウトになっている。ふぅむ。



 まぁ、再びGalaxy S2でPowerampを聴けるようになったから問題なし。
 うれしくて、健康のため早く寝なければいけないのに、ちょっと夜更かししてMicroSDに入れてあった懐かしい曲などをいろいろ聴いてしまった。

 結局のところ、500円余計に支払っているわけだし、改めていろいろな設定もしなおさなければならず、ちょっと大変だったが、Powerampにはそこそこの価値があると思っているので後悔はない。

 そんなこんなでこの顛末。
 もし、古いAndroid端末で、突然Powerampが使えなくなった、といいう方がいらっしゃったら、この記事が少しでも参考になれば幸いである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月09日

【日記】AndroidのPowerampが突然使えなくなった件・その1

「Poweramp」というのは、Androidの音楽プレイヤーである。
 その昔、評判が良いので試供版を使い、納得したのでAndroid Market(現Playストア)から購入した。それが確か、2011年か2012年の頃。なんとも前の話だが、今まで、バージョンアップをすることもなく(わたしは自分が必要な機能に異常がなければ、あえてバージョンアップしない性格)、快適に使えていた。

 ある日、いつものように、Powerampで軽快に音楽を聴いていると、こんなメッセージが表示されて、いきなり使えなくなってしまった。



 えーっ、なんでよ、俺、ちゃんとお金払った正規ユーザーだよ! と叫んでみても始まらない。

 ここでわたしの現在のスマホ事情を話すと、実はPowerampが使えなくなったのは、2011年に発売されたGalaxy S2(SC-02C)である。
 父さん、どうしてそんな古いものを……。酸素欠乏症にやられて……。というわけではない。実は情報端末としてのスマホは、けっこう新しめのmvnoのsimフリースマホを使っている。Galaxy S2はドコモの通話と、Powerampを使ったウォークマン代わりに使っているだけだったのだ。

 今の人には信じられないかもしれないが、つい十数年前の営業では、ドコモ以外を持つことは「タブー」だったのである。ドコモで通信不能なエリアにいるならば、相手も「仕方ない」と諦めてくださるが、ソフトバンクやAUなどを使っている営業は「ドコモじゃないなんて自覚が足りない」とされていたのだ。いやマジで。

 そういう過去の経緯を引きずって、わたしもまだ、ドコモ携帯(スマホ)を使っているわけである。ただ、さすがに古い機種なのでアプリも非対応が増えてきたし(LINEすら使えない)通信はしない。上記のように、通話と、Powerampでのウォークマン代わりというのは、こういうわけ。

 みなさんご存じのように、AndroidはGoogleアカウントにひも付けされていて、ひとつの端末で購入したアプリケーションは、他の同じGoogleアカウントの端末でも使用できる。
 mvnoで使用しているsimフリー端末にもPowerampを入れているが、そちらの方はこのような表示が出て使えなくなることはない。

 いったいなぜこんなことが……とガックリ。
 試しにPowerampをアンインストールし、最新バージョンをインストール。そしてライセンスもインストール。ここまではまったく無問題でできる。Playストアに課金済みなので、購入要求ダイアログが出ることもない。
 それでも、Powerampを起動すると「ライセンスが確認できない」の一点張り。「購入情報の復元」というものをやってみるが、やはりダメ。どうしようもない。

 まいったなぁ、と頭を抱えてしまった。Powerampでウォークマン代わりに使えるから、この古いスマホを使っていたのである(無論、愛着もあるが)。あと、バッテリーが交換式なのが気に入っていた。だからこそ、こんなに長く使えているのである。
「Powerampが使えないなら、こんなGingerbreadなスマホより、古いガラケーでも持ち出して使う方がマシかもしれない」そんな思考が頭をかすめる。
 ちなみに、今、Wikipediaを見てみたら、Galaxy S2はJelly Beanまではバージョンアップできたのだそうだ。やっておけば良かったのかもしれないが、後の祭りである。
 そう、わたしは前述のとおり「自分の使い方に不具合が発生しない限り、無理にバージョンアップをしない性格」なのである。

(この記事、思ったより長くなったので明日に続く)
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月08日

【映画評】グレイテスト・ショーマン

 いきなりだが、血液型性格診断である。

 A型のあなたは、いつもは慎重ですが、ときとして大胆なときがあります。そんなあなたにはハッピーエンドの映画がお勧め。
 B型のあなたは、有無を言わさない行動力がありますが、それをちょっと後悔するときもあります。そんなあなたには、ミュージカル映画がお勧め。
 O型のあなたは、おおらかですが、実は繊細な感性も備えています。そんなあなたには、シンプルなあらすじの映画がお勧め。
 AB型のあなたは、大勢でいることが好きな反面、孤独を楽しむ術も体得しています。そんなあなたには、破天荒な主人公の映画がお勧め。


 実はこの性格診断、全くデタラメである。
「誰にでも当てはまる曖昧で一般的な性格を、自分に当てはめて納得してしまう」という人間の心理を言ったもので、これを「バーナム効果」という。

 そう、この映画「グレイテスト・ショーマン」の主人公、興行師「P.T.バーナム」の名から取られた心理現象なのである。彼は「we've got something for everyone――誰にでも当てはまるなにか≠ェある」という言葉を残しており、それにちなんでつけられた心理効果なのだそうだ。

 かように、実在のP.T.バーナムは人間心理を熟知した、けっこうな山師だったようである。
 しかし、そのP.T.バーナムを主人公にしたこのミュージカル「グレイテスト・ショーマン」は、じつに素晴らしい映画であった。



 ニャンニャンニャンのネコの日、カルディでネコトートをゲットしたあと、一人でふらりと寄った映画館で本作「グレイテスト・ショーマン」を観て、あまりの良さに感激し、後悔してしまった。細君と一緒に観なかったことを。
 そこで今週の日曜、細君を誘って二人で観劇。わたしが同じ映画に二度足を運んだことは初めてかもしれない(その昔は同じ映画を、劇場を出ない限り何度も観られたが、それは除く)。

 ストーリーは単純である。主人公バーナムの少年時代から結婚。フリークスを全面に押し出したサーカスの興行師として成功するまでの苦労と挫折と栄光。それでも上流階級の人間に見下される悔しさと、それを見返すさらなる猛進。それによって見失う家族との愛と、それの再発見。そしてサーカスの炎上、崩壊という悲劇の末、フリークスの団員たちも家族であったという発見と、弟子との友情などなど。
 シナリオに、たとえばフリークスに対する深い理解や、マイノリティに対するポリティカルコレクトネス的視線などはほとんどない。
 なにか考察したり、暗喩を紐解いたり、そのような仕掛けがないぶん、批評家受けは悪いだろう。実際、彼らのつけた点はそうよくないという話だ。

 しかし、この映画はそれでいいのだ。
 この骨太のシナリオに、見事な音楽とダンスが華を添える。いや逆だ。音楽とダンスを支えるために、シンプルなストーリーがあると言ってもいい。

 ミュージカルには、音楽とダンスで心情を表すタイプと、シナリオを進行させるタイプの二種類がある。この映画は明らかに後者で、じつにテンポがいいのだ。少年時代から、上流階級の少女との恋、就職、迎えに来て結婚、子どもができるまでを、一気に一曲で表現してしまう。このテンポの良さがじつに心地よい。

 早速、オンラインでOSTを購入してしまった。これが聴き止めることができない。一曲目の「The Greatest Show」から、最後の「From Now On」まで聴き、またリピートして聴いてしまう。
 比べるのはなんだが、同じミュージカルでOSTも買った「LA LA LAND」は、「Another Day Of Sun」「Someone In The Crowd」「Audition」の3曲ばかり聴いてしまうのだが、本作のOSTは入っている11曲全部がお気に入りになってしまった。

 ストーリーは単純と言ったが、けっこう好きなシーンもある。バーナムに批判的だった批評家が、サーカスが炎上、崩壊したあと、バーナムに「わたしが別の評論家だったら、こう書いたろう。人類の祭典≠ニ(意訳)」というシークエンスにはジンときた。
 うちひしがれたバーナムを、フリークスたちが家族としてバーに励ましに来るラスト近くのシーンもいい。
 そして、メインキャラの陰で、バーテンのダンスも出てくるたびにキレッキレである。本当に細かいところまでダンスが見事で、三回、四回と観たくなる映画である。

 バーナムに心を寄せる歌姫リンドの曲「Never Enough」もまたいい。特に頭に常駐しやすい。もうネバネバである(聴けばわかります(笑))。

 わたしはわりと映画を、劇場で観る、家のテレビでDVDで観る、PCでストリーミング視聴するということに、そう差を感じないタイプだが(本当にいい映画は、どんな媒体で観ても心に残る)、本作に関しては、是非とも、是非とも、劇場でやっているうちに観ていただきたいなぁ、と切に願う。

 そしてもうひとつアドバイス。観るときは、なるべく大切な人と一緒に。配偶者や、恋人。これから大切にしたいと願っている人を誘って、並んで観ると感激ひとしおな映画だ。
 観終わったあと、映画館を出て、相手の手を取ってクルクル回って踊りたくなる映画はそうそうない。あぁ、わたしも五十肩の痛みがなければ、映画館近くの港で細君をクルクル回したかった(笑)。

 そして一生の思い出になる映画だと思う。
 もし不幸にして別れてしまっても、「あの映画を観たときは幸せだったな」と、ふりかえって、暖かい気持ちになれるに違いない。

 わたしがこんなに映画をベタ誉めすること、そんなにないでしょ?
 それだけお勧めなんですよ、ホント。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2018年03月07日

【日記】加曽利貝塚を歩く

 去年2017年の10月13日、千葉県にある加曽利貝塚は文化財保護法の規定により「特別史跡」に指定された。縄文時代の特別史跡としては4例目、貝塚では日本初だという。



 加曽利貝塚には、ずいぶん前に行ったことがある。「【回想録】カーナビの思い出」でも触れているが、二十三年前である。
 そのときは人気もなく寂しく、博物館はあったが、たしか60円で入れたと記憶している(今は無料)。

 今回の訪問では、特別史跡に指定されたということで、自治体の力の入れ具合も大きくなっており、ゆるキャラ「カソリーヌ」などもできて、加曽利貝塚を盛り上げていこう、という雰囲気が感じられた。







 駐車場から降りて、前回と同じようにのんびりと歩いて見学しようか、と思っていたら、ボランティアの方が声をかけてくださった。一緒に歩いて解説してくださる、というので、恐縮しつつ甘えることに。



 加曽利貝塚には、この「イボキサゴ」の貝が多いのだそうである。ところがこのイボキサゴは小さな貝で、身を食べられるようなものではないとのこと。
「つまり、出汁として使っていたのだと考えられています」
 へぇー。やるなぁ縄文人。イボキサゴにはタウリンが多く含まれ、また、塩分も含まれていたので、良い栄養源になったのだろうとのこと。







 これが穴居居住地の跡である。建物の中、ガラス越しに観ることができる。保湿、光などに注意しないと、すぐに壊れてしまうので、保存には気を遣うのだそうだ。

 加曽利貝塚内の公園には、貝や土器のかけらが本当にそのまま落ちている。持って帰ることはできないが、触れるのは自由とのこと。4000年前に人の手によって作られた土器を触れられるというのは、不思議な感じだ。





 博物館へ入って展示を案内していただく。ガラス越しなのでピンボケになってしまったが――



 こんな貫頭衣を着ていたのでは、という。
「それにみんな、お洒落が好きだったんですよ」と解説の方。耳飾りや腕輪がたくさん出土するという。





 縄文人が食べていたという魚介類。けっこうご馳走だ。



 脚を曲げて埋葬された人骨。頭に土器をかぶっていたことから、シャーマンではないか、とのこと。



 これは再現された穴居住居。ちょっと大家族用とのこと。







 訪れた日は寒かったので「縄文時代、このあたりは暖かかったんでしょうかねぇ?」とお尋ねすると、「そうだったようですし、中で火をたくと、けっこう暖かいんですよ」とのお返事。子どもが実際にここで生活する体験フェアなどもやっているという。

 縄文時代というと、エジプトではもうピラミッドが作られていた時代だ。コミュニケーションの言葉などはどうしていたのだろう。これは解説の方も「文字が残っていないので、どういう言葉を話していたのかはわかりませんねぇ」とのことだった。

 文明の進化の具合から、「エジプト人がピラミッド作ってる時代に日本人は縄文土器作って貝取ってんのかよプギャー」するのは簡単だが、その縄文時代にも、人間同士の温かい交流があったらしい、ということが、数々の遺跡からわかり、どこかホッとする。

 埋葬された人骨の解析などから、縄文時代の人々の平均寿命は、男性で30歳代、女性で40歳代だったのではないか、とのことだ。もちろん、乳幼児の死亡率は今と比べものにならないほど高かっただろうから、実際の平均を取ればもっと下がるだろうが、それでも60歳代の遺骨などもあるというから、皆が皆、早死にだったわけではない。
 イボキサゴのタウリンパワー、あなどりがたし、である。

 解説ボランティアの方にお礼を言って別れ、博物館をもう一度ゆっくり回ってみる。
 千葉にも「巨人伝説」があった、などという展示もあり面白い。



「だいだらぼっち」ですな。「進撃の巨人」ではなく、こっちの方。


(東毅「超弩級少女4946」1巻より引用)

 加曽利貝塚のWebサイトは「こちら」
 休日、お子さんと一緒に出向いて、3000から4000年前の縄文人の生活に思いを馳せてみるというのも一興ではないだろうか。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記