2018年03月06日

【回想録】紙コップ

 その昔、新幹線や寝台列車では、二つ折り溶着ペーパーを折り曲げた紙コップが水飲み場に置かれていた。
 著作権関係があるので、ここに貼ることはできないが、「新幹線 紙コップ」などで検索すれば、実物(の写真)を見ることができるだろう。見かけは真っ平ら。それを広げて水を入れ、飲む。
 ネットでひさしぶりにその話題が出て、そうそう、昔はこんなもので水を飲んでいたんだよなぁ。と、懐かしんでしまった。

 独身時代のわたしは、今で言う「ミニマリスト」であった。余計なものを部屋におきたくないタチだ。
 コーヒーは飲んでいたが、今のように豆から挽いて飲むような面倒なことはせず、粉で買っていた。サイフォンはもちろんドリップもしない。コーヒーメーカーで十分だと思っていた。
 そして、できあがったコーヒーは、紙コップに入れて飲んでいた。さすがに紙コップだけだと熱いので、スリーブがわりにステンレスマグを使い、その持ち手を握って飲んでいたのである。

 今でこそ、使い捨ての紙コップと、それを入れる専用のスリーブが百均で購入できる時代だが、当時はオフィス用品店でかなりの量をまとめて買うしかなかった。それはさすがにできない(ミニマリスト精神に反してしまう)ので、こんな工夫をしていたわけ。

 紙コップは数回使ったらゴミ箱へポイ。面倒もなく、衛生的で良い。そういうのが都会的で、カッコいい、そうも思っていた。

 細君が初めてオフィスに遊びに来たときも、そうやって淹れたコーヒーを出した。
 ん、ちょっと顔色が変わるのがわかった。「なんかこの人、残念だな」とか、そんな表情である。

 そしてなんだかんだと彼女がオフィスに居座るようになると、最初に変えられたのが、この「紙コップ」なのであった。スリーブがわりにしていたステンレスマグは廃棄され、陶器のマグカップが導入された。
 かといって、彼女がマグカップを洗ってくれるわけではない(笑)。わたしは清潔・簡潔な紙コップシステムを廃棄されて、自分でマグカップを洗うようになったのである。うーん……。けなげな俺?
 結婚前の話だから、もう30年も前のことである。つい最近、彼女に「俺が使ってた紙コップシステム、嫌だったのはなぜ?」と聞いてみたら「だって、味気ないじゃない」と答えが返ってきた。
 うん、まあ、たしかに、今のわたしならそう思うけど、ね。

 入ったネットカフェで、コップの類いが紙コップだと、正直、ガッカリする。
 スタバでCODを頼むときも(マイボトル割引がないときは)、必ずマグカップで注文だ。

 書斎でコーヒーを飲むときも、そのときの気分に合わせたマグカップを選んで淹れる。以前も書いたが、コーヒーには赤い肉厚のマグカップが良い。あと、ネコ好きなのでネコ柄も好きだ。そういうのを選んで買っていたら、食器棚がマグカップで埋まってしまった。
 今のわたしは、豆から丁寧に挽いて淹れたコーヒーを紙コップで、というのは耐えられない。コーヒーの味の前に、紙の味を感じてしまうのが残念だから。
 それに、会社の方でも、マグカップに転写印刷してオリジナルマグをつくるという商品を扱っている。
 そんなこんなで、家では紙コップと、ずいぶん疎遠になってしまった。

 わたしは「味音痴」だとたびたび書いてきたが、それもちょうど、紙コップでコーヒーを飲んでいた時代の頃の話である。
 ひょっとしたら、今はちょっと「味音痴」も治ってきているのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年03月05日

【昭和の遺伝子】爆竹

 中学生の頃、男子の間で、妙に爆竹が流行したことがあった。
 念のため言っておくと、わたしのいた学校は「荒れた学校」ではない。むしろその正反対、生徒みながその学校の生徒であることにプライドを持っているような学校だったので、校内暴力などは一切なかった。

 それでも、なぜか流行ってしまったのである。爆竹が。

 最初はなにか、体育館で発表した創作劇で使ったのだと思う。銃撃のシーンなどがあり、そこで爆竹を持ってきたやつがいて、(中坊からすれば)大迫力のシーンとなったのがきっかけ。

 流行したのは、爆竹を一個一個外して、なにかにつけて爆発させるという、マイクロダイナマイトのような使い方である。
 石とか、木とかにセロハンテープで巻いたり、アリの巣穴に差し込んでみたりして爆発させては、その威力に驚いたり、逆にあまり効果がないことにガッカリしたものだった。

 あっ、ここからはちょっと、お食事中の方には不向きな話が来るので、ヨタ話のうちに他ページへご移動いただきたく。

 その昔、駄菓子屋が健在な頃は、こういう爆竹だけでなく、小さな火薬を利用したいろいろなグッズを売っていたものだった。オモチャの拳銃で、巻いた火薬を繰り出し撃鉄で「バーン!」と音を立てるものや、火薬をひとつセットして高く放り投げ、道へ落ちてきて「バーン!」と鳴る矢のようなオモチャを思い出す。
 昔は悪ガキが、通り過ぎる車のタイヤの下に、そういった火薬を投げて「バババーン!」と街中に鳴らすことも珍しくなかった。もちろん、ドライバーに大目玉をくらったり、ね。
 もうそういったものは、昭和の遺物になってしまったなぁ。

 さて、さてさて。
 うちの学校は大学のグラウンドとつながっていて、そこに外部トイレがあった。そこに、誰が残したのか、流されていない大便があって、そこに爆竹を仕掛けようよ、という話になったのである。きったねぇなぁ。

 決死隊の一人が、木の枝を取ったものを箸にして、爆竹を一本、被害者ならぬ被害便に突き刺した。導火線もたしか、なにか手を使って長くしたと思う。
 火を着け、扉を閉めて、みな、待避。バーン! やったぜーっ! 恐る恐る現場へ戻ると、大便が大便器の部屋中に散っていたのであった。その威力に、中坊たちは恐怖した。

 みなでゲラゲラ笑いながら、ホースで周囲を洗い流して、ちゃんと清掃はした。いやぁ、本当に莫迦な連中であった。

 この、大便に爆竹を仕掛ける、というイタズラは妙に流行り、以降、この外部トイレだけでなく、道に転がっているイヌネコのウンコにも突き刺して爆発させるという悪行がごく普通に行われることになった。

 最初は慎重だった作業も、慣れてくると手を抜くようになるものだ。爆竹を仕掛けるのに箸を使うことも、導火線を長くすることもしなくなる。
 ある日のこと。イヌのウンコに爆竹を仕掛けたK君、ライターで火を着けたのだが、逃げ遅れてしまった。バーン! と粉砕されるイヌのウンコ。逃げようとした彼の足をそれが襲った。K君は足に着いたそれを、「これはイヌの便じゃない、土だ!」と主張したが、それは明らかにイヌのウンコであった。
「ウンコマン」とあだ名を付けられなかったのは、彼の人徳ゆえか、それとも、明日はわが身の恐怖のゆえか。

 大便への執拗な爆竹攻撃はこのK君事件あたりから収束へと向かった。やはり無差別大便攻撃は人道的にもとると中学生たちも判断したのだ。攻撃目標はより身近な場所へと移った。教卓である。
 しかも今度は時限爆弾であった。蚊取り線香に爆竹を着けて、ペトリ皿かなにかに置いて教卓の近くに隠し、授業中に「バーン!」とやるのである。

 いやこれ、今考えると、とんでもない事件になりそうだ。すぐにネットニュースに載って大問題になってもおかしくない。
 しかし当時、不思議と先生たちは、驚きはしたが、怒りはしなかったのである。なかには時限爆弾の仕組みを聞いて、感心していた先生もいらした。
 そしてこのことで怒られた経験も、一度もない。
 もちろん、そういう校風だったから、というものもあるが、昭和だったからだなぁ、としか言いようがない。

 わたしは知らないが、この爆竹ブームは、中心となってやっていた連中が、ミニチュアの船を作ってプールへと進水させ、中央あたりで爆竹を破裂させ沈没させるというお別れ会で幕を閉じたと聞いている。聞いた話だが、なかなか沈まず難儀したそうだ。

 いやぁ、時効だからといろいろ書いてしまったが、今考えると、本当に犯罪スレッスレである。
 こんな思い出をひとくさり書くと、今の中学生や高校生たちの方が、いろいろ我慢させられていて、大変なのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2018年03月04日

【昭和の遺伝子】トルコ風呂の思い出

 なんてないよ!
 ないからね!
 本当にないんだから!

 だってその頃、わたしはまだ小中高生である。
 たしか、トルコの青年より、「日本ではトルコ風呂という名前が性風俗施設の名前として使われていてショックを受けました」という新聞投書があり、トルコ風呂が全国的に「ソープランド」に変わったのがわたしが十八になった頃。

 というわけで、「トルコ風呂」の思い出は……あるんだなぁ、しょうもないことだけれど(笑)

 これも今では「威力業務妨害」とかの犯罪になるだろうと思うが、もう時効なので書いてもいいだろう。

 中学生当時、われわれ悪ガキの間で、トルコ風呂に電話を掛けて予約を取るという遊びが流行ったのである。
 わたしの住んでいる地方都市には、そういった風俗が有名な歓楽街があり、誰かが予約用の電話番号を入手してきたのだ。
 で、どこから電話をしたかというと、休み時間に、学校の赤電話(公衆電話)からやるのである。
 ちなみに当時、ナンバーディスプレイなどというものはなく、電話はイタズラし放題の時代であった。
 主犯はF君であったと思う。ターゲットとなったのは、女々(めめ)というトルコ風呂。仮名ではない。実在である。こんなふうに書けるのも、今は存在しないから。

F君「もしもし」
相手「はい、女々(めめ)です」

 全員、受話器の受話側に耳をひっつけて、相手の声を聞いていた。相手は丁寧な男声であった。

F君「あのー、あのー、予約を取りたいんですけど」
相手「はい、ご予約ですね。何時からですか?」
F君「えっと、8時からで」
相手「8時からでいらっしゃいますね。ご希望のお相手はいらっしゃいますか?」
F君「どんな人がいますかー?」
相手「その時間でしたら、×さんとか、○さんとか」
F君「じゃあ×さんで」

 まわりはもう、爆笑をこらえるので大変である。

相手「それでは、8時にお待ちしております」

 電話が切れて、もう全員、腹がよじれるほど笑った。
 いやぁ、本当に悪いガキどもであった。

 これに味をしめて、F君とその仲間たちは、その後何度も同店にニセ予約の電話を入れるイタズラを繰り返したのであった。
 しまいには――

F君「えーっと、胸が大きくて脚の綺麗な人がいいんですけど」
相手「……おまえらいつものイタズラだろ! いい加減にしろ!!」

 ついに相手にバレて怒られガチャギリされてしまった。まあ当然である。当時の電話番の方、悪ガキで本当に申し訳ない。

 さらにその後、F君と仲間たちは、女々の建物の写真を撮りに盛り場まで行って、当時はまだフィルムだったカメラで数枚、同店の写真を撮ってきたのだった。
 現像のとき、写真屋に言った台詞がまた可笑しい。

F君「この写真、ひょっとしたらUFOが映ってるかもしれないんですよ!」

 まあそんな言い訳でもしなければ、中学生がトルコ風呂の写真を現像なんて、ちょっとできない時代ではありましたね。

 というわけで、UFOが映っているかもしれない女々の写真を見せてもらったかどうか、わたしにはその記憶がない。
 バブルを経て、歓楽街も寂しくなり、今は同店もなくなってしまったのは前述の通り。

 中学時代から予約電話で鍛えたF君が、大きくなってトルコ風呂からソープランドに変わったお風呂屋さんに行ったのかどうかは、杳としてしれない。

 今でも、この歓楽街の近くを歩くと、「UFOが映ってるかもしれないんです」と言ってカメラ屋に現像を頼んだF君のことを思い、クスリとしてしまう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2018年03月03日

【日記】細君の中の人

 結婚して十年ほど経ってからであろうか。わたしは気づいてしまった。どうやら、細君の中には細君を操縦≠オている別の人がいるらしいのである。
 表現が難しいのだが、細君は細君である。しかし、その細君の心身は別のなにかが操っている=Bそんな感じ。
 おそらく実際はわたしの想像を超えて全然違うのだろうが、二十一世紀に住むわたしたちがわかりやすい俗な例をあげて言えば、細君はどうやら、わたしの妻となるべくこの地球に派遣されてきた謎の存在なのだが、それを操っているのは別の星の「細君操縦担当者」である、ということである。


(いわさきまさかず「ケメコデラックス!」1巻より引用。こんな風に入ってる訳ではありませんが……)

 そしてこの「担当者」はひとりではない。たまに入れ替わる。むしろ、この「入れ替わり」があったことで、わたしは真実に気づいたのである。

 細君と世間話をする――。

わたし「以前、あの喫茶店でお茶したよね。懐かしいなぁ」
細君「え、そんなことあったっけ? 全然覚えてないんだけど」

 それが月日が経って、細君の方からこう言ってきたりする。

細君「あの喫茶店、前に入ったよね。懐かしいー」

 全然覚えていない、といった口から、こんな台詞が出てくる。これはおそらく、中の担当者が入れ替わったとき、申し送り状にミスや抜けがあったという証拠なのである。
 こんなことが、一回や二回ではない。先日も――

細君「クリスマスの夜のミサって17:00からだっけ?」
わたし「いつもは19:00からだけど、今年は待降節第4主日と重なるから17:00だよ」
細君「りょ」

 ところが数日後、こんなことを聞いてくる。

細君「クリスマスの夜のミサって、19:00からだよね」
わたし「だからぁ。この前も言ったけど、今年だけは17:00からだから」
細君「りょ」

 さらに数日後、こんなことを聞いてくる。

細君「クリスマスの夜のミサって、いつも17:00からだっけ?」
わたし「どゎから! それは今年だけなんだって!!」

 どうもこの短期間の間に、細君操縦担当者に激しい入れ替わりがあり、そのとき、情報の申し送りにかなりの齟齬が生じていたようなのである。

 こういうことが度々あるものだから、わたしはそのたびに探りを入れてみる。

わたし「また担当者が変わったの?」
細君「担当者なんていないって。わたしはわたしだから」

 この答えは一貫している。その点も怪しい……。
 わたしはうたぐり深く、さらに、愛する細君の動向はすぐに気がつくものだから、どうやらこの担当者は無限にいるわけではなく、何人かのグループが交代制でやっているらしいことにも気づいた(多重人格、というわけではないですヨ)。

 もし、わたしがある種の心の病だったら、細君がなにかに乗っ取られた! と騒ぎ出すかもしれないが、わたしは真実に気づいてしまったのでそんなことを言ったりはしない。
 細君はわたしのもとに遣わされた、神よりの御使いなのである。ただきっと、神の御使いでも常勤はつらいので、三交代か四交代制でわたしの相手をしているのだな、きっと。
 だからむしろ、わたしはそのことを楽しんでいたりする。

 今のところ、確実な尻尾をつかんではいないが、細君の言動から察するに上記の考察はあたっているはずだ。それに、もし確証をつかんだとしても、わたしはそれを漏らさない。そんなことをしたら細君が「ズバコーン」と消えてしまうかもしれないから(「ズバコーン」がわからない方は「ズバコーン 映画」で検索のこと)。

 あーでもここに書いちゃった。えっと、これはわたしの妄想です。神さま。細君はひとり。わかってますよぉ。中の人なんていませんって。

 でも、フフフ。わたしが死んで煉獄で清められ天国へ行ったとき、きっと神さまが「サプラーイズ! 実は君の奥さんは御使いで、担当者が三交代制でやっていましたー」とやるに違いないのである。今から楽しみだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年03月02日

【日記】エリクサーを使わない人と行動しなかった後悔

 あるブログで「エリクサーを使う人/使わない人」という内容の記事があり、その慧眼とユーモア溢れる文章にいろいろ考えさせられてしまった。

 念のため書いておくと、エリクサー≠ニいうのは、「ファイナルファンタジー」というゲームの中で出てくる、体力や魔力を満タンにしてくれるアイテムである。ただし、かなりの貴重品。多くの人が「もったいなくて使えない」という隠れた効能を持つ。


(「ファイナルファンタジーIIの画面より引用。この頃は「エリクシャー」となっている)

 わたしの細君もそう。エリクサーがフルにたまっていても使えない人。最後の最後のボス戦ですら使わない。「もったいないから」だそうである。
 それで全滅しても、ふたたびロードしてやりなおすから惜しくないのだそうだ。

 対してわたしは、簡単にエリクサーを使ってしまう方。そこらへんのザコ敵にやられて死にそうになったら、すぐ使ってしまう。ロードしてやりなおす、という考えがない。今このゲーム(人生)は一回きり、ここでエリクサーを使ってでも乗り越えないで死んでしまったら元も子もない、という考え方をするタイプだからである。

 さてあなたは、どちらのタイプ?
 けっこうまわりを見渡してみるに「エリクサーってさ、最後まで使えないよね」という人が多いような気がする。

「人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」という研究がある。コーネル大学のギロビッチ博士のCMで有名だ。
 実はわたしはこれもまったく逆。行動しなくて後悔したことなどほとんどない。

 これ、上記のエリクサーの使用者/非使用者にも言えることではないだろうか。
 エリクサーをためてゲームオーバーするタイプの人は、きっと「行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」タイプではないかなぁ、と思う。

 なんでって、リアルの人生では「セーブ・ロード」はできないから。
 ゲームだからこそ、エリクサーはためて使わないでおける。しかし、「セーブ・ロード」ができない人生では、エリクサー使用を迷っている余裕などない。それこそ瞬時の判断で「使う」しか生き残ることはできないのである。

 だからといって、わたし自身の人生が、今まで、なんの後悔もない、満足いく半生だった、という訳ではもちろんない。
 ただその後悔は、ほとんどが「やらなかった後悔」ではなく「やった後悔」ばかりである。
 しかし、やった上での後悔(エリクサーを使った上で闘っても勝てなかった後悔)であるから、そういう意味では負け惜しみの悔しさはない。

 人生は、セーブ・ロードができない、過酷なゲームである。FFはゲームだからこそエリクサーを残す≠ニいう選択ができるが、本物の人生ではそんな甘ったれたことはできない。
 もちろん、人それぞれの人生だから、わたしの考えを押しつけることなどはできないが、わたしは「エリクサーを躊躇なく使う」人生を送っている人に好感を覚える。
 少なくとも「あのとき、こうしていれば、もっとよい人生が送れたのになぁ」などという負け惜しみ≠言わずに生きていけるというのは、幸せな人生だと思うから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記