2018年03月05日

【昭和の遺伝子】爆竹

 中学生の頃、男子の間で、妙に爆竹が流行したことがあった。
 念のため言っておくと、わたしのいた学校は「荒れた学校」ではない。むしろその正反対、生徒みながその学校の生徒であることにプライドを持っているような学校だったので、校内暴力などは一切なかった。

 それでも、なぜか流行ってしまったのである。爆竹が。

 最初はなにか、体育館で発表した創作劇で使ったのだと思う。銃撃のシーンなどがあり、そこで爆竹を持ってきたやつがいて、(中坊からすれば)大迫力のシーンとなったのがきっかけ。

 流行したのは、爆竹を一個一個外して、なにかにつけて爆発させるという、マイクロダイナマイトのような使い方である。
 石とか、木とかにセロハンテープで巻いたり、アリの巣穴に差し込んでみたりして爆発させては、その威力に驚いたり、逆にあまり効果がないことにガッカリしたものだった。

 あっ、ここからはちょっと、お食事中の方には不向きな話が来るので、ヨタ話のうちに他ページへご移動いただきたく。

 その昔、駄菓子屋が健在な頃は、こういう爆竹だけでなく、小さな火薬を利用したいろいろなグッズを売っていたものだった。オモチャの拳銃で、巻いた火薬を繰り出し撃鉄で「バーン!」と音を立てるものや、火薬をひとつセットして高く放り投げ、道へ落ちてきて「バーン!」と鳴る矢のようなオモチャを思い出す。
 昔は悪ガキが、通り過ぎる車のタイヤの下に、そういった火薬を投げて「バババーン!」と街中に鳴らすことも珍しくなかった。もちろん、ドライバーに大目玉をくらったり、ね。
 もうそういったものは、昭和の遺物になってしまったなぁ。

 さて、さてさて。
 うちの学校は大学のグラウンドとつながっていて、そこに外部トイレがあった。そこに、誰が残したのか、流されていない大便があって、そこに爆竹を仕掛けようよ、という話になったのである。きったねぇなぁ。

 決死隊の一人が、木の枝を取ったものを箸にして、爆竹を一本、被害者ならぬ被害便に突き刺した。導火線もたしか、なにか手を使って長くしたと思う。
 火を着け、扉を閉めて、みな、待避。バーン! やったぜーっ! 恐る恐る現場へ戻ると、大便が大便器の部屋中に散っていたのであった。その威力に、中坊たちは恐怖した。

 みなでゲラゲラ笑いながら、ホースで周囲を洗い流して、ちゃんと清掃はした。いやぁ、本当に莫迦な連中であった。

 この、大便に爆竹を仕掛ける、というイタズラは妙に流行り、以降、この外部トイレだけでなく、道に転がっているイヌネコのウンコにも突き刺して爆発させるという悪行がごく普通に行われることになった。

 最初は慎重だった作業も、慣れてくると手を抜くようになるものだ。爆竹を仕掛けるのに箸を使うことも、導火線を長くすることもしなくなる。
 ある日のこと。イヌのウンコに爆竹を仕掛けたK君、ライターで火を着けたのだが、逃げ遅れてしまった。バーン! と粉砕されるイヌのウンコ。逃げようとした彼の足をそれが襲った。K君は足に着いたそれを、「これはイヌの便じゃない、土だ!」と主張したが、それは明らかにイヌのウンコであった。
「ウンコマン」とあだ名を付けられなかったのは、彼の人徳ゆえか、それとも、明日はわが身の恐怖のゆえか。

 大便への執拗な爆竹攻撃はこのK君事件あたりから収束へと向かった。やはり無差別大便攻撃は人道的にもとると中学生たちも判断したのだ。攻撃目標はより身近な場所へと移った。教卓である。
 しかも今度は時限爆弾であった。蚊取り線香に爆竹を着けて、ペトリ皿かなにかに置いて教卓の近くに隠し、授業中に「バーン!」とやるのである。

 いやこれ、今考えると、とんでもない事件になりそうだ。すぐにネットニュースに載って大問題になってもおかしくない。
 しかし当時、不思議と先生たちは、驚きはしたが、怒りはしなかったのである。なかには時限爆弾の仕組みを聞いて、感心していた先生もいらした。
 そしてこのことで怒られた経験も、一度もない。
 もちろん、そういう校風だったから、というものもあるが、昭和だったからだなぁ、としか言いようがない。

 わたしは知らないが、この爆竹ブームは、中心となってやっていた連中が、ミニチュアの船を作ってプールへと進水させ、中央あたりで爆竹を破裂させ沈没させるというお別れ会で幕を閉じたと聞いている。聞いた話だが、なかなか沈まず難儀したそうだ。

 いやぁ、時効だからといろいろ書いてしまったが、今考えると、本当に犯罪スレッスレである。
 こんな思い出をひとくさり書くと、今の中学生や高校生たちの方が、いろいろ我慢させられていて、大変なのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子