2018年03月07日

【日記】加曽利貝塚を歩く

 去年2017年の10月13日、千葉県にある加曽利貝塚は文化財保護法の規定により「特別史跡」に指定された。縄文時代の特別史跡としては4例目、貝塚では日本初だという。



 加曽利貝塚には、ずいぶん前に行ったことがある。「【回想録】カーナビの思い出」でも触れているが、二十三年前である。
 そのときは人気もなく寂しく、博物館はあったが、たしか60円で入れたと記憶している(今は無料)。

 今回の訪問では、特別史跡に指定されたということで、自治体の力の入れ具合も大きくなっており、ゆるキャラ「カソリーヌ」などもできて、加曽利貝塚を盛り上げていこう、という雰囲気が感じられた。







 駐車場から降りて、前回と同じようにのんびりと歩いて見学しようか、と思っていたら、ボランティアの方が声をかけてくださった。一緒に歩いて解説してくださる、というので、恐縮しつつ甘えることに。



 加曽利貝塚には、この「イボキサゴ」の貝が多いのだそうである。ところがこのイボキサゴは小さな貝で、身を食べられるようなものではないとのこと。
「つまり、出汁として使っていたのだと考えられています」
 へぇー。やるなぁ縄文人。イボキサゴにはタウリンが多く含まれ、また、塩分も含まれていたので、良い栄養源になったのだろうとのこと。







 これが穴居居住地の跡である。建物の中、ガラス越しに観ることができる。保湿、光などに注意しないと、すぐに壊れてしまうので、保存には気を遣うのだそうだ。

 加曽利貝塚内の公園には、貝や土器のかけらが本当にそのまま落ちている。持って帰ることはできないが、触れるのは自由とのこと。4000年前に人の手によって作られた土器を触れられるというのは、不思議な感じだ。





 博物館へ入って展示を案内していただく。ガラス越しなのでピンボケになってしまったが――



 こんな貫頭衣を着ていたのでは、という。
「それにみんな、お洒落が好きだったんですよ」と解説の方。耳飾りや腕輪がたくさん出土するという。





 縄文人が食べていたという魚介類。けっこうご馳走だ。



 脚を曲げて埋葬された人骨。頭に土器をかぶっていたことから、シャーマンではないか、とのこと。



 これは再現された穴居住居。ちょっと大家族用とのこと。







 訪れた日は寒かったので「縄文時代、このあたりは暖かかったんでしょうかねぇ?」とお尋ねすると、「そうだったようですし、中で火をたくと、けっこう暖かいんですよ」とのお返事。子どもが実際にここで生活する体験フェアなどもやっているという。

 縄文時代というと、エジプトではもうピラミッドが作られていた時代だ。コミュニケーションの言葉などはどうしていたのだろう。これは解説の方も「文字が残っていないので、どういう言葉を話していたのかはわかりませんねぇ」とのことだった。

 文明の進化の具合から、「エジプト人がピラミッド作ってる時代に日本人は縄文土器作って貝取ってんのかよプギャー」するのは簡単だが、その縄文時代にも、人間同士の温かい交流があったらしい、ということが、数々の遺跡からわかり、どこかホッとする。

 埋葬された人骨の解析などから、縄文時代の人々の平均寿命は、男性で30歳代、女性で40歳代だったのではないか、とのことだ。もちろん、乳幼児の死亡率は今と比べものにならないほど高かっただろうから、実際の平均を取ればもっと下がるだろうが、それでも60歳代の遺骨などもあるというから、皆が皆、早死にだったわけではない。
 イボキサゴのタウリンパワー、あなどりがたし、である。

 解説ボランティアの方にお礼を言って別れ、博物館をもう一度ゆっくり回ってみる。
 千葉にも「巨人伝説」があった、などという展示もあり面白い。



「だいだらぼっち」ですな。「進撃の巨人」ではなく、こっちの方。


(東毅「超弩級少女4946」1巻より引用)

 加曽利貝塚のWebサイトは「こちら」
 休日、お子さんと一緒に出向いて、3000から4000年前の縄文人の生活に思いを馳せてみるというのも一興ではないだろうか。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記