2018年03月14日

【日記】相手の遅刻が許せる人と許せない人の違い

 ツイッターで%title%の話題があがっていて、「遅刻が許せる人は待っている時間に別の行動がとれる人だが、許せない人はそういうことができない人」というような要旨にまとまり、あぁ、時代は変わったものだなぁ、と感慨深く思っているところだ。

 そんなことが言えるようになったのは、われわれの社会にケータイ(スマホ)が登場し、誰でもそれを持つことができるようになったからである。
 ケータイの登場と普及が、だいたい1990年代後半であるから、それ以前に社会人として働いていた世代は、%title%のようなゆとり≠ネことは言っていられなかった。互いに連絡の方法がないゆえに、「待ち合わせの場所から動くことができなかったから」である。

 そういう意味では1953年の映画「君の名は」が実にすれ違い≠フ妙を描いた映画であるのに対し、アニメ「君の名は。」ではスマホが互いの意思疎通のアイテムとして使われていた、というのは興味深い。

 まだケータイなんぞというものが一般化する前は、必然的に、喫茶店などが待ち合わせ場所に使われた。
 だいたいわたしは、某駅なら○○、某場所なら××、と馴染みの喫茶店があったので、初めての編集者と会うときは時間を決め、その喫茶店の電話番号を編集者に教えて待ち合わせしたものだった。
 編集者の常として遅刻は珍しくないものなので、遅れてくる場合、その喫茶店の番号に電話してくる。わたしも顔馴染みになっているものだから、ウェイトレスさんが「お電話が入ってますよ」と教えにきてくれる。それで、なんとか、いろいろしのいできたわけだ。

 わたしの側から遅刻したことはほとんどなかったと思う(記憶が変質しているかもしれないが)。%title%の意図から言えば、わたしは「相手の遅刻が許せる人」であった。携帯ゲーム機もスマホもタブレットもない時代だったが、本とウォークマンはあったからである。

 それにしても、今の人は恵まれているのである。ちょっと遅刻してもケータイやLINEで連絡できるのだから、待ち合わせ場所を離れて自由行動していれば良い。こういう時代に「相手の遅刻が許せない」のは、また違った意図で「許せない」だけなのではないかな、とも思う(相手のいい加減さとかそういうメンタルな面でのお話)。

 この話(↓)はどこかに書いたかな? まあいいや。
「待つ」というのは、高度な知的作業なのである。それが証拠に、動物には「待て」がなかなかできないでしょう?
 ケータイもスマホもない時代、わたしは後の細君に、デートの約束で一時間以上待たされたことがある。いや、そんなことは日常茶飯事であった。
「デートで待つのは男の仕事」な時代であった。それが男の甲斐性でもあった。

 これだけネットが隆盛を誇る時代であるというのに、恋愛も結婚も、若い方から縁遠くなっていくのはなぜなのだろう。
 今の時代は、物理的なすれ違いの時代から、心がすれ違う時代へと変わりつつあるのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記