2018年03月19日

【回想録】23年前(1995年)の3月

 1995の3月20日には、あの忌まわしき「地下鉄サリン事件」が起こっている。
 デジカメもまだ、エポックメーキングとなる民生機(RICOH DC-1)はまだ発売前で、その頃の個人的な記録も、銀塩写真で撮っていた。



 これは、私的ネットの仲間と行った「ナムコワンダーエッグ」の写真からの一枚。
「ナムコワンダーエッグ」は二子玉川に1992年に開園した、ナムコ経営の小さなテーマパーク。2000年の末に閉園している。

 焼きまれた日付を見ると、1995年3月19日。23年前の今日ではないか。そして「地下鉄サリン」の一日前。なんとも、複雑な気分になる。

 ここには「ギャラクシアン3」という、みなで参加する形のアトラクションがあるのだが、最後のボス敵を参加者みなで乱れ撃ちすると、まず間違いなくミッション成功するようになっていた。
 そこで、オフで参加人数が多かった我々は、何度目かのチャレンジで「わざとラスボスで手を抜いてバッドエンドを迎えてみない?」という計画を立てた。悪い奴らである。

 バヒュバヒューンとザコ敵を撃ちまくり、いよいよボス的登場。我々オフ仲間はそこでトリガーをパタッととめる。いきなりの劣勢化にドーム内がどよめくが、あああああーっ! そうこうしているうちに、こちらがやられてしまった。
 どういう表示だったかは思い出せないが、とても珍しい「バッド・エンド」を見られたのは確かである。
 みなで笑いながら場外へ出たが、そのとき参加していた、他のプレイヤーのみなさん、申しわけありませんでした。



 もう一枚は、以前にも貼ったが、当時のモバイル通信の風景である。こうやって、灰色のISDN公衆電話の方に、モジュラジャックで接続し、通信していた。つないでいたマシンは何だろう。ポケットOASYSだったかもしれない。

 もっとも、みながみな、こんな使い方をしていたわけではなく、こんなことをやっているのは、我々のような酔狂なネットワーカーばかりで、仕事の現場で使われていたというような話は聞いたことが(まだ)なかった。

 前述したとおり、まだデジカメすら民生機ではなかった時代である(マビカはあったが)。そう、携帯電話すら、みんな持っていなかった。

 今は小学生の85パーセントが、公衆電話の使い方を知らない時代になったそうである。
 当時のSF作家が想像もできなかった2018年を、我々は生きている。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記