2018年03月24日

【日記】誰しもがオリンピックに興味があると思うなよ

 どうにもツイッター関係の著作権・引用関係が曖昧なので、ここにペタリとそのマンガを貼ることができないのが歯がゆいのだが――

 人物A、Bの二人がベンチに座って、「これ、おいしいねー」となにか(アイス?)を食べている。
 そこに飛んでやってきた別の人物Cが「わたし、それ嫌い!」と言う。
「なにが良いのかさっぱりだね、じゃ」とさけびながら帰って行くCの背中を見ながら、AとBは呆然。
 そしてまた「ま、まぁとにかくおいしいね」「うん」と会話を続ける。
 そこに「すたたたた」とまた飛んできたC。A、Bが食べているものを自分も食べて「食べたけどやっぱりマズいじゃん。食べちゃったよ。どうしてくれんの」と文句を言う。
 苦笑しながら震えるAとB。(後略)


 こんな内容。「ネットでよくある風景」として「あるある」と、たくさん「いいね」&リツイートされたのではなかったかな。
 わたしも読んで「あるあるだなー」と笑ってしまった。作者さんはいいセンスをお持ちである。

 で、この記事は、このCと同じになってしまうかも、と思い、オリンピックが終わるまで待っていたのだが、微妙にちょっと違うということは、最初に言っておきたい。

 まず主張する。「誰しもがオリンピックに興味があると思うなよ」

 わたしはオリンピックにまーったく興味がない。冬期だろうが夏期だろうがパラリンピックだろうが、まーったく興味がない。何国人がメダルを取ろうが、有名選手の誰が取ったとか、日本がいくつ金メダルとか、まーったく興味がない。

 正直言えば(前にも書いたが)2020年東京オリンピックだって迷惑この上ないと思っている。
 今の日本は高度成長期の1964年とは違う。オリンピックをやったからといって好景気にはならない。むしろ、オリンピックのために作られたハコモノは、オリンピック後には廃墟あるいはただのモニュメントと化すだろうと予言しておく。

 1964年の東京オリンピックは、育ち盛りの子どもにたくさん食べ物を与えたようなもの、これは正解だった。成長をうながすことができたからだ。
 だが、十分成長した2020年東京オリンピックは、50歳を過ぎたロートルにストロングゼロを飲ませるようなものである。いっときは苦しみを忘れても、基本の経済はまるで立ち直ったりはしない。むしろ悪化して手のつけようがなくなる。これも予言しておく。

 閑話休題。
 そんなわけで、何度言っても気持ちがいいが「誰しもがオリンピックに興味があると思うなよ」なのである。

 ところが、オリンピック時期には、もう、右を向いても左を向いても「オリンピック! オリンピック!!」である。わたしはテレビをまったく見ないタチだが、ネットにまで「下町ボブスレーがどうした」「もぐもぐタイムがどうたら」と、別に知りたくない情報が流れてくる(いや下町ボブスレー問題は面白かったけどね)。

 最初のマンガの例で言えば、その食べ物が嫌いなCに、AとBがむりやり食べ物を口に押し込んでいる、そんな図なのである。
 その上で、「えっ、この食べ物が嫌いなんておかしいんじゃない?」と言ってくるのがオリンピック。国民全員がオリンピックが好きだと思って疑っていない、そんな状態。

 再度言うぞ。「誰しもがオリンピックに興味があると思うなよ」

 オリンピックには興味がないわたしだが、オリンピックで銀か銅メダルを取り、その後、スポーツメンタルトレーナーとなった方の著作は面白かった。その方いわく「オリンピックは金メダル以外意味がない」のだそうだ。「金メダルでないと、人々の記憶からすぐ消えていく」「銀や銅を取っても、名前すら覚えていてくれない」と(実際、この方のお名前を、わたしは忘れてしまっている。失礼……)。

 国民全員が「オリンピックに興味がある」ような報道をしていても、結局はこれなのである。

 もちろん、オリンピックに向けて日々、切磋琢磨している選手の皆さま方には、尊敬の念を忘れてはいない。それは大変なことだと思う。金メダルしか意味のない世界で、その頂点を目指すのは、普通の人間ができることでは到底ない。なんという人々だろう。
 マスコミがはやしたてるオリンピックなど虚像でしか過ぎない。むしろそこは――華やかなオリンピック会場とは裏腹の、地獄のような世界なのではあるまいか。

 パンパンと花火を上げるマスコミ相手に、最後にもう一回言って、ウサを晴らして終わりにしよう。

「いいか、誰しもがオリンピックに興味があると思うなよ」
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記