2018年03月27日

【回想録】著者近影

「昭和の遺伝子」にしようか迷ったが、平成初期でもこの慣習は失われていなかったことを思い出したので、カテゴリは「回想録」とした。
 今ではほぼありえないことだが、ほんの数十年前の書籍には「著者近影」が載っていることが当たり前だった。小説だと表4(本は表紙を表1、表紙裏を表2、裏表紙を表4、裏表紙裏を表3と呼ぶ)、マンガだとカバーの表紙側の折り返しに、ごく普通に、著者の写真が載っていた。

 これがなくなっていったのは、もちろん今では、顔は重要な「個人情報」であるからという理由で片づけられてしまうが、どうも「ストーカー」の登場と前後しているような気がする。
 もちろん、「ストーカー」という呼び名の前にも、そういう人々はいたのだが、作家やマンガ家に対して、一線を越えた熱情を持つ人々は「熱狂的ファン」と呼ばれ、そういう人々は、まま「ある」ものだ、とされていたのである。

 わたしもある日、編集部に顔を出してみると「わたしは今日から、結城狂介を名乗ります」と書かれたハガキを出され、仰天したことがある。

 編集者「これ、結城さんが出されたんですか?(苦笑)」
 わたし「ままま、まさか。知りませんよ、わたしじゃないです」
 編集者「まあこういう方もいらっしゃいますからね。これから先、お気をつけることも大事ですよ」

 編集者は親切心からおっしゃったこととわかっていても、こっちはどうすりゃいいんだい、という気分であった。当時、わたしは雑誌「フォーカス」や週刊誌、青年誌などにも「著者近影」を出していたのである。

 しかしまあ、その頃から、わたしは自分が五十までに、病気か事故か自殺で死ぬだろうと思っていたので、後ろから刺されること上等、とは思っていた。
 あのとき「わたしはこれから結城狂介を名乗ります」というファンレター≠くださった、本名も知らないその方が、今でもどこかで、元気でいらっしゃることを祈る。

「著者近影」には苦い思い出もある。もう単行本の刷りだしギリギリになって、編集者から「著者近影のお写真をください」と言われ、その頃つきあっていた細君が海辺で撮ったわたしの写真を送ったのである。
 その写真は、カラーだと背景が海に沈む夕陽で美しかったのだが、海風でわたしの髪の毛が吹き上げられて、まるで、寝癖のように映っていた。
 編集者に「もっといい写真にしましょうよ」と言われたのだが、わたしの悪い癖で面倒になり、「いいですよそれで、写真で本が売れるわけでもなし」と言って、その写真を使った。
 わたしは間違っていた。著者近影で本は売れるのである。あのとき、もっと格好良い写真を使っていたら、一万部はプラスしていたに違いない(撮った細君が悪いわけではない。為念)。

 それで反省し、その後の本では、編集者もわかったもので、プロのカメラマンに撮ってもらうことにした。
 しかしそのときは「近影」の写真は使わず、書斎でマシンに囲まれた上半身の写真を使ったと記憶している。

 編集者「いやー、映した写真、どのお顔を見ても、疲れて映っていらっしゃるので、ちょっとこれは、引いて撮ったものがいいかな、と――」

 脱稿直後である。クッタクタに疲れているのは当然だっつの。
 そんなこんなもあって「著者近影」にはあまりいい思い出がない。

 前述「結城狂介」氏ほどではないが、顔を出していた当時は、多少、びっくりしたことが何度かあった。街の喫茶店で編集者と待ち合わせをしていたら、隣の席から「ひょっとしたら結城先生でいらっしゃいますか?」と言われたり、宅配便のお兄さんから荷物を受け取ったら「新作の進行状況はどうですか?」と訊かれたことがある。

 わたしはこういうの、さほど気にしないほうだが――この辺、感覚が昭和――嫌な作家・マンガ家はいらっしゃるだろうな、とは思う。

 今はネットで、匿名で連絡が取れる(逆に本名で連絡を取ることを躊躇する)時代だが、その昔は、同人作家も奥付に自分の住所を直接印刷していた。もちろん危機感はあっただろうが、そのデメリットと、感想をいただけるというメリットを天秤にかけて、住所本名を記載していたのである。

 なんとも、牧歌的で、のんびりとした時代ではあった。「回想録」にしたが、当時のその雰囲気自体は「昭和の遺伝子」だろうと思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録