2018年04月20日

【日記】スターバックス「タッチ・ザ・ドリップ」

 正直者のモノカキがスタバの森を歩いていたときのことです。ひょんなことから、そこの湖にスタバカードを落としてしまいました。
 モノカキが途方に暮れておりますと、なんということでしょう、湖からセイレーンの女神が現れて、こう言ったのです。

 セイレーン「あなたが落としたのは、この、普通にお店でもらえるストリート≠フカードですか?」



 モノカキは答えました。「いいえ、それは以前使っていましたが、今は使っていません」

 セイレーン「では、あなたが落としたのは、スタバでコーヒーグッズを買ったときに抽選で当選した、このアイスキューブ≠フカードですか?」



 モノカキ「そうです。いただいたそれを使っていました。わりと珍しいカードらしくて、PTRさんに声をかけられることも多かったです」

 セイレーンはニッコリと微笑むと、こう言いました。「では、正直者のあなたには、このふたつのカードのほかに、タッチ・ザ・ドリップも差し上げましょう」


 というわけで、佐川急便から大きめの箱が届いた。実は6月当選組だったのだが、繰り上がって4月に発送になったのである。
 これが外箱。中身に比してけっこう大きい。



 開けてみると、まずは伝票。



・STARBUCKS TOUCH THE Drip LIGHT BLUE(入金済み) 数量1 価格0円
・スターバックス カード入金 1000円 数量1 価格1,000円 非課税
・STARBUCKS TOUCH THE Drip LIGHT BLUE 数量1 価格3,000円 課税8%

 で、合計金額4,240円となっている。

 わくわくしながら伝票を取ると、出てきましたよ、タッチ・ザ・ドリップ。



 ひっくり返すと、注意書きの紙が入っている。まあ、クルマのダッシュボードに置くなとか、そのあたり、常識的なことが記されている。



 ビニール袋から出すとこんな感じ。



 左側のプラスチックタグの裏に、カードナンバーとPINコードが記されている。今まで、この裏側をバーンと写真で出しているサイトはなかったような気がする。ので、ババーン(もちろん、ナンバーはモザイクかけているが)



 このタグには「外すな」と記されているが、頼りないプラスチックケーブルでタッチ・ザ・ドリップ本体とつながっているだけだし、必要なのはカードナンバーとPINコードだけだと思うので、力任せに接続部を引っ張って、外してしまった。



 これで、タッチ・ザ・ドリップだけを単体でどこかにつけられる。プラカードは別に保存しておけばかまわないだろう。

 さっそく、スターバックスのサイトへ行って、PINコードを削り、新しいカードとして登録した。ここでの扱い自体はカードとまったく変わらない。メインカードに設定して、今までのアイスキューブから残高移行も順調に行えた。

 さて、どうやって持ち運ぼうか迷ったが、結局、キーホルダーを入れている小さなポーチにつけることに。

 タッチ・ザ・ドリップ自体は、去年6月の販売日に、各販売店に長い列ができ、混乱を避けるために、急遽、販売中止に。ウェブでの抽選になったくらいの人気だが、そのときの発表だと、抽選後の当選者数は――

 1回目:2017年07月頃 2,500個
 2回目:2017年12月頃 5,000個
 3回目:2018年03月頃 7,500個
 4回目:2018年06月頃 7,500個

 となっており、計22,500個がユーザーのもとに届くことになっている。これ以前にもタッチ・ザ・ドリップは販売されていた(やはり瞬殺だった)ので、まあ、国内で25,000人程度は持っているということになる。
 珍しさ、という観点から言えば――



 のアイスキューブ≠フカードの方が珍しいのではないだろうか、とも思う。
 が、まあいいのだよ。こういうのはファンアイテムなのだから。

 今週末にでも、早速使ってみたいと思っている。ドキドキ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年04月19日

【回想録】ファンレター

「【回想録】著者近影」で「結城狂介」氏からのファンレターについて書いたので、連想して、今までいただいたファンレターについて思い出している。

 ファンレターというものは、基本、嬉しいものである。じゃあ応用はどうなのよ? と訊ねられれば、そりゃあ、時と場合による、としか言いようがない。

 わたしはそういうものはいただいたことはないが、まるでケンカ越しで「あんたの書いたモノはクズだ」というような手紙が送りつけられてきた作家もいたそうだ。

 ああ、そうだ。言っておくが、少なくとも今のように、ネットで作家へダイレクトにメッセージを送れる時代ではなかった頃は、著者への手紙は編集部経由で届くのである。そしてそれらは、当然、検閲されている。
 少なくとも、わたしの手元に編集部から届いたお手紙は、どの出版社の編集部も当然のように開封していた。
 なので、上記のようなあまりに過激な(わたしがショックを受けるような)手紙は、渡されなかったのかもしれない。

(しかしこれは裏技的な話だが、文藝家協会に入っているような作家は、たいてい、毎年発行される「文藝年鑑」に住所が載っているのである。それを見て、上記のような礼を逸した手紙を送りつけてくる輩がいないとは言えないのであった)

 わたしは若く、青春小説のようなものを書いていたので、やはり若い読者層からのお手紙をよくいただいた。
 女子高生から「わたしたちが日常で話している言葉そのままでびっくり。電車の中で聞き耳を立てていらっしゃるのでは、とか勘ぐってしまいます(笑)」というお手紙をいただいたこともあったし、逆に「今の女子高生はこんなしゃべり方をしません。想像で書いていらっしゃるのでしょう」という、正反対なメッセージをいただいたこともある。
 どちらかが間違っているというわけではなく、どちらも正しいのだろう。

 わたしは、ファンレターにマメに返事を返すタイプの作家ではなかった。この点、本当に申しわけないと思っている。
 年賀状で一気にお返事を出した年もあった。その年の高校受験で、わたしが出したお返事をお守りにして試験に臨み合格しました、という報告をいただいたこともあった。なんとも、こちらが恐縮してしまった。

 いただいたファンレターは、ほぼすべて、脳のどこかで保存されていると思う。少なくともポインタとしては保持されているはずである。

 そんな中でも、お返事を返せなかった、あるファンレターのことを、たまに思い返す。
 彼女はわたしが書いた、ハッピーエンドの青春恋愛小説を読み、とても楽しかった、という前置きの上で「現実はこうじゃないんですよね。わたしは今、とっても苦しい恋をしています。とっても、とてもつらいです」と、苦しい恋のいきさつが綴られていたのであった。
 何度も何度も読み返し、いったい、わたしがどんなお返事を書けば励ませるのかどうか、悩んだ。悩みに悩んだ末、時間はどんどん経っていき、そして結局、お返事を出すことができなかった。
 今、こうして書いていても、後悔している。なにか一筆でもいいから、励ましのお便りを出すべきであった、と。

 あのとき、あの手紙をくださったお嬢さんが、今、幸せであることを、本当に、心から願う。

 物理メールのお返事は怠け者であったわたしだが、電子メール時代になってからいただいたファンレターのお返事は、おそらくすべてお返ししているはず(だと思う)。
 このブログはコメント欄を閉じ、SNSとの連携を切っているが、なにか思うところがあれば、ウェブサイト「深夜のお茶会いまさら」「CONNECT」ページから、フォームメールでメッセージをお送りいただければ幸いである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年04月18日

【日記】あそこのイタチは死によるで!

 カトリックの主日ミサでは、司祭の説教のあとに、以前書いた「信仰宣言」があり、その後、「言葉の典礼」を締めくくる「共同祈願」がある。

 この「共同祈願」、だいたいは、その日に配られる「聖書と典礼」にある例文をそのまま使うのだが、なにか特別なミサのときには、それなりにそれなりの祈願を行うのも定例だ。


(日本のカトリック信者で「聖書と典礼」を知らないという人がいたらモグリです)


(これが「共同祈願」。例文となっているが、まぁだいたいはこのまま先唱者が読み上げる)

 で、先唱者が唱えた「共同祈願」に、会衆が応えるのだが、それも普通は、その日の「聖書と典礼」に書いてあるとおり応える。


(この日ならばこれを唱えるわけ)

 これは歌う教会もあるし、歌わず文章のまま唱える教会もある。わたしの経験としては、歌う教会の方が珍しい。


(「聖書と典礼」には、一応、同じ句で楽譜もあるが、わたしもほとんど歌ったことはないなぁ)

「共同祈願」が「聖書と典礼」に載っていない特別なミサのときは、会衆はこう応える。

「主よ、わたしたちの祈りを聞き入れてください」


 これはまぁ、定型文である。

 さて、この応唱について、以前、とても面白い書き込みがあったのだが、いくらググってみても、原典のページを見つけることができないでいる。
 本来、引用元がわからないものは載せない主義なのだが、これはひとつの笑い話として紹介してもいいかなぁ、と、思い、そのとき、自分用にコピペしていたものを転載という形で掲載したい。

 ある日本人の神父様から聞いたお話です。
 晴れて司祭となったイタリア人の神父様が、生まれ故郷で錦を飾る初ミサをたてていました。
 ミサに集まった会衆者全員が共同祈願の後に声を合わせて――
「あそこのイタチは死によるで!」
 また共同祈願の後に――
「あそこのイタチは死によるで!」
 またまた共同祈願の後に
「あそこのイタチは死によるで!」
 それを聞いていた日本人が、
「正確には何って言ってるんですか?」
 ……と、聞いてきたそうです。
 笑いをかみ殺しながら、神父様は教えてあげたそうです。
「あすこるた、ち、お、しにょーれ≠チて言ってるんですよ」
 日本人はまた聞いてきたそうです。
「ほう! どういう意味なんですか?」
 神父様は教えてあげました。
「『主よ、わたしたちの祈りを聞き入れてください』という意味です」


 これのおかげで、わたしは「主よ、わたしたちの祈りを聞き入れてください」をイタリア語で言えるようになった(笑)。

 カトリック信徒の方は、ぜひ諸方面でご活用いただければ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年04月17日

【日記】うわっ……わたしの血圧、低すぎ……?



 朝起きたときから、昼を過ぎて、夕刻になるまで、血圧が低くて閉口している。

 だいたい、100を越せばいい方。110でやっと動けるかな、という感じ。朝食は毎日抜いているし、正直、昼飯も毎日抜きたいぐらいなのだが、細君に心配をかけたくないので、ほんのちょっとでも食べるようにしている。

 こんなだから、朝、起きるのも、超苦手だ。ボーッとしたまま、ダラダラと布団の中で血圧が少しでも上がるのを待っている。

 子どもの頃はこんなことはなかった。当時、血圧を測る習慣はなかったが(というか、個人が使える電子血圧計などはなかった)、朝の目覚ましが鳴ると、バッと起きて、ササッと着替えて、朝食をとって、朝一番に学校へ行っていた。
 母に言わせると「恭介は起こす必要がなくて、本当に手がかからない子だった」という。実際、寝坊して失敗したことなど、学生時代は一回もない。

 この低血圧化は、青年期を過ぎてからだろうか。体が大きくなったのに、心臓が拍動する力がそれに比して強くならなかったのだろうか。

 専業作家時代は、朝寝が許された、というのもありそうだ。当時は体内時計が25、6時間周期で回っていて、朝起きる時間がどんどん遅くなっていくという「睡眠相後退症候群」に陥っていた。これも本態性低血圧が後押ししていたのかもしれず。

 先日、持病で飲んでいたクスリと、五十肩で出されたクスリが併用禁忌で、同時に服用した場合、著しい血圧低下をもたらすという作用があったという話をした(「【日記】ゆるキン△」
 このときは本当にひどかった、カトリック教会ではミサで立ったり座ったりするのだが、そこで立つことができず、座ったままミサにあずかっていた。正直、それでも倒れそうであった。
 帰宅してもコートを脱ぐこともできず、ベッドに転がって数時間動けないというありさま。あのときは持病が悪化したせいだとばかり思っていたが、実は「著しい血圧低下」によって引き起こされていた症状だったのだ。
 今になって、そのとき、血圧を測っておけばよかったなあ、と、後悔している。きっと低い血圧のマイベストが出ていたに違いない。

 なにを自分で競っているんだか(笑)。

 わたしの歳になると、みな、「高血圧でねぇ」という話になりやすい。ドクターに「血圧下げないと大変なことになりますよ」と脅かされたり、マスコミも高血圧の害を喧伝する。

「低血圧」でネット検索しても、命に関わる症状ではないからか、あまり本気で取り扱われていない、というのが現状だ。
 しかも、妙齢の美女の低血圧は魅力になっても、人生半分を過ぎたオッサンの低血圧なんぞ絵にならない。

 まあ、肥満で高血圧になり、そちらでいろいろドクターストップがかかるよりはいいか、と自分を納得させ、今日もベッドからやっと起き上がったところだ。ふぅ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年04月16日

【日記】悪夢

 今まで見た悪夢で最悪だったのが、「人を殺してしまった夢」であった。

 殺した相手が誰かはわからない。殺した方法もわからない。ただ、自分が人を殺してしまった、ということだけがわかっている状態。
 そんな状態で、街を歩いている。いつかは捕まるだろうという確固とした予感。不思議と、自首しようとは考えない(その時点で夢が変質し、相手は生きているかも、とか思っている)。また、警察が相手にしないだろうとも、なぜか思っている。

 とにかく、逃げるしかないという妄執にとらわれている。人混みではなく、山の中とか、離島とか、そういうところへ。

 再度書くが、不思議と「自首しよう」とは思っていない。それは「証拠がないから警察が相手にしない」と、なぜか思っているのである。ある意味、完全犯罪に近いわけだ。

 そんなこんなで、船に乗り込んでみたり、その乗車券になにか追跡装置がついているのではと疑ってみたり、疑心暗鬼にとりつかれ、全身が汗でビッショリとなっているうちに、ハッとして目が覚めた。

 起きて、「あぁ、俺は人を殺していなかった」と、心からホッとした。

 そんな夢を見たのは数十年前だ。だというのに、今でも不思議と思い出せる悪夢である。

 こんな悪夢を見るくらいであるから、現実のわたしは、殺人など犯せない小心者のようだ。
 何本もミステリを書いてきたが、今一歩、なにか踏み出せない感じをいつも持っていたのは、この、本物の殺意とでもいうものを、わたし自身が持てずにいたからかもしれない。

 最近、見る悪夢は、覚めない夢を覚めない夢を覚めない夢を覚めない夢である。打ち間違いではない。起きても起きてもまだ夢の中にいる、それを自覚していて、それでもなおかつ、夢から覚めることができない。
 ベッド周りの様子もすべて夢の中で再現されている。リモコンライトをつけるが、電灯がつかない。これはまだ夢の中だな、と思う。
 これは悪夢と、面白い夢≠フ両極端で、自分で「面白いなぁ」と思っているときは、夢の中で超能力が使えて、書棚の聖書をひょいっと空中浮遊させて取ったりできる。
 逆に悪夢だ≠ニ思っているときは、ここで書棚の聖書を超能力で取ることができたら自分は即座に発狂するだろう、とか考えている。
 同じような夢を見ているのに、自分の考えひとつで良夢≠ニ悪夢≠フ差ができるあたりが興味深い。

 最近、この悪夢≠ゥら脱出する方法を覚えた。寝ながらBGMを流すのである。クラシックのゆったりとした曲が良い。それを、寝ながらずっと流す。
 すると、覚めない夢を覚めない夢を覚めない夢を……のエンドレスを、「さっき聞いていた曲と違う」ということをきっかけにして、リアルに目覚めることができるのである。

 なんにしても、悪夢から目覚めたとき、となりに細君が眠っているのは心強い。思わず手を握って「怖い夢を見ちゃったんだ」と言う。
 わたしの人生が夢ならば、それはきっと、細君のおかげで良夢≠ノなっていると思う。
 なんて、最後にのろけて、読者の悪夢≠ノしちゃったり、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記