2018年05月31日

【日記】スタンプラリー完走

 今まで、わたしは自分の居住範囲を「ある地方都市」と書いてきた。これは別に、それが個人情報だから隠したい、といった意図ではなく、特に記事自体に、その「地方都市」が直接関連することが少なかったからである。

 ソースの中に、固定された数字(これを「マジック・ナンバー」という)を書き込んではならない、というのは、プログラマの習い性である。

 同じことは物語における創作理念においても自分の中にあって、登場人物でそれほど重要でないキャラクターは、「サングラスの男」などという「変数」を用いて書くことにしている。
 これは前にも書いたかもしれないが、わたしの作劇法は、映画的ではなく舞台的なのである。

 しかしこの記事は「わたしの住む地方都市」が舞台になっているので、いよいよそれが明らかになるのである。実はオレは、お前の父親だったのだぁーっ! 的展開、ではないけどね(笑)。

 というわけで、わたしが住んでいる地方都市、千葉市では、2017年12月1日から2018年6月30日まで、「千葉市がもっと「好き♥」になる! スタンプラリー」というイベントを実施しているのである。
 具体的には、千葉市内の観光名所五カ所≠ノスタンプを置いて、スタンプラリー用ノートに押していき、全箇所制覇すると、漫画家オーサ・イェークストロム先生のお描きになったクリアファイル≠ェもらえる、というもの。

 オーサ先生の「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」は拝読したことがあるので、これは千葉市住民として、またオーサ先生のいちファンとしては千載一遇の機会。と、実は去年からボチボチと観光名所≠ノ行ってはスタンプを押して、ついに先日、やっと完走。記念のクリアファイルをいただいたのであった。



 スタンプラリー用ノートにはオーサ先生書き下ろしのマンガもたくさん載っていて、ファンなら絶対確保しておきたい一冊。ラリー完走時にはチェックを入れて返してもらえる。
 クリアファイルのデザインはスタンプラリーの表紙とそう変わらないのが残念だが、裏にはゲーム「ステーションメモリーズ」のキャラなども描いてあり、好事家にはたまらないだろう。

 で、実はこのスタンプラリー、地元千葉市の人間ならばわかるのだが、かなり「完走は簡単ではない」のである。

 五カ所の観光名所は次の通り――。

1)蓮華亭(千葉公園)
2)加曽利貝塚博物館(資料室内)
3)千葉モノレール千葉駅(改札口)
4)ケーズハーバー/千葉ポートタワー
5)郷土博物館(千葉城)/いのはな亭

 いただいたスタンプノートには「移動には千葉モノレールが便利です」となっているが、いやいやいやいや、千葉モノレールで素直に行けるのは「千葉モノレール千葉駅」くらい。あとはけっこう、クルマを使ったり、駅から徒歩で向かったりしなければいけない場所ばかりなのだ。
 逆に、クルマを使うとなると、今度は、「その観光名所には駐車場がない」という壁にぶちあたる。
 特に「郷土博物館」が難物だろう。モノレール駅から離れている上に、駐車場もない。
 逆に「加曽利貝塚」「ポートタワー」は駐車場があるので、クルマで行くのは簡単だが、一番近くのモノレール駅からは、実はかなり離れている。

 おそらく、市内のこういった地理を知らない市外の方が、このスタンプラリーに挑戦しようと、クルマを使わず千葉都市モノレールだけで臨んだとしたら、途中で「これは一日では終わらない!」ことに気づき、根を上げるに違いない。
 逆にクルマで回ろうとすると、今度は「駐車場がない」場所に閉口すると思う。

 そんなこんなで、千葉市在住のわたしでさえ、去年の12月の寒い季節に始めて、もう暖かくなった5月の末に、やっと最後の蓮華亭(千葉公園)でスタンプを押し、オーサ先生のクリアファイルをいただいたのであった。
 苦労もあって、感激もひとしおである。

 まだ開催期間が残っているので、これからチャレンジしよう、という方にアドバイスするとしたら、少なくとも一晩千葉市に止まって二日かけて回るか、あるいは、タクシーをぜいたくに使って回るのが良いかもしれない。

 さて、やっとオーサ先生のクリアファイルがもらえた、と思ったら、今度は千葉市と千葉氏の北斗七星≠フ縁から「北斗の拳」とのコラボイベントで、やはりスタンプラリーをやるとのこと。
 うーむ、そちらはどうするかな。「北斗の拳」は連載中、それこそ台詞を覚えてしまうほどファンだったけれど、今度のスタンプラリーもかなり無理ゲな場所設定なような気がする。
 まあ、気が向いたらボチボチと、ということで。
 もし完走できたら、また喜びの記事を書くかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月30日

【昭和の遺伝子】本屋をハシゴ

 Amazonで家に居ながらにして、ほぼ品切れなしで欲しい本を購入できる今の時代、昭和生まれ昭和育ちのわたしでも、忘れてしまったことがあるなぁ、と気がついた。

 それが%title%の「本屋をハシゴ」である。

 今でこそ、欲しい本が本屋になくても「じゃ、Amazonでいいや」と踵を返せる時代だが、昭和の時代には、なじみの書店にない本が、別の書店にある、ということを期待して、次々と本屋をハシゴすることがよくあった。

 売り出されてすぐの本、新聞に紹介された本でも、大型書店に置いていない、ということは珍しくなかった。
 いわんや、新刊で好きになった作家の過去の本など、書店をハシゴして見つけて買うのが当然であった。

 大型書店ばかりでなく、小さな個人経営の書店も多かったので、学校の帰りにバスを使わず書店巡りをしながら帰宅したり、あるいは電車に乗って隣町の大きな書店に行ってみたりして、やっと目当ての本を見つけたときのうれしさ。
 こういう喜びは、Amazonで本を買えてしまう現在では、あまりなくなってしまったのではないかな、というか、わたし自身、忘れてしまっていたな、と思う。

 どこの書店でも扱っていないが、どうしても入手したい本の場合、「取り寄せ」してもらうことになる。
 ところが、この「取り寄せ」がひどかった。個人経営の書店に頼むと、平気で一カ月先とか、まず根本的に「取り寄せお断り」をされたりするのである。
 大型書店で「取り寄せ」の手続きをして、交換の手形をもらっても安心できない。取り寄せ予定の日に行ってみると「残念ながら、その本は品切れ≠ナした」ということも珍しくないからだ。

 出版社によっては、というより、どの出版社も、初版の売れ行きがよくないと、品切れ≠ニいう名の、事実上絶版≠ノしてしまう。なぜ本当の絶版≠ノしないで品切れ≠ノしておくかというと、本当の絶版≠ノしてしまうと出版権≠失ってしまうから、という汚いやり口なのである。

 現在の日本で、過去の書籍を再版せず、この品切れという名の事実上絶版≠ノしている作品は、小説、マンガを含め、膨大な数にのぼる。こういうことをやっている出版社が、「マンガ村」問題で被害者面ばかりしているのは実にうさんくさい。
 マンガ家たちが一致団結して――とならないのは、出版社側にこういう汚い一面があるから、ということを、読者には知っていてほしい、と思う。

 閑話休題。
 今でも覚えているのは、ル・クレジオが書いた「巨人たち」であった。図書館で読み、これは手元に置いておくべき本だと確信して、まずは%title%の「本屋をハシゴ」。どこにもないので、地域の一番大きな書店へ。そこで注文をしたのだが、数週間後、連絡が来たら品切れという名の絶版≠セという。
 たしか、初版が出て半年後のことだ。わたしはその頃、作家ではなかったが(中学生だった)、出版界、こういう名著を簡単に屠るとは、それでいいのか!? と憤った思い出がある。

 今、スマホからAmazonで調べてみたら、中古品だが送料含めて1,000円以内で買える。躊躇せず買ってしまった。756円也。
 これだもの。既存の本屋はもちろん、古本屋も淘汰されていくわけだ。

 思いもかけず「巨人たち」を入手できた喜びで筆が踊るが、むしろ、こういう、古い名作を流通させることこそが「文化」だと思う。
 書店や出版者の衰退は、Amazonを始めとするネット時代から始まったのではない。もう数十年前、わたしが中学生の頃から始まっていて、ネット時代になって露呈しただけなのだ。

「マンガ村」は論外だが、出版社が品切れという名の事実上絶版≠やめて、どんどん電子書籍にしていくなら、応援したい気持ちはある。
 けれど、今のままでは、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2018年05月29日

【回想録】論戦の思い出

 この「いまさら日記」では、毎日、言いたい放題好き放題を書いているが、ほぼ二年間やってきて「それは違う!」「あんたは間違ってる!」「お前の主張はおかしい」とメールを送ってきた人は皆無である。
 コメント欄とSNSへの連携を切っているのは、カジュアルにできる反論を最初から排除するため。きちんと長文メールを送るだけの知能がある人の反論のみ、まともに相手しよう、と決めているから。

 でも同時にわたしはビビリでもあるから、そういうメールがきたら、おそらく「そんなに素晴らしいご意見を、わたし個人へのメールにしてしまうのはもったいなく存じます。ぜひとも、ご自分のブログやSNSで展開すればよろしいのではないでしょうか」と返信して、あとはスルーするのではないかしら。

 卑劣ですな(笑)。

 そう、わたし、論戦、苦手なんですよ。嫌いなの。誰だっていろいろ経験を積めば、どんなことでも白黒キッチリつけがたいことがあるということがわかるでしょう? それを「俺が黒と言えば黒なんだ」と主張し続けるのは幼すぎる。「人それぞれ」でいいんじゃないでしょうか。

 そんなわたしが若い頃、ある方と論戦になったことがある。メディアはちょうどパソコン通信の黎明期で、X68000のディスクマガジン「電脳倶楽部」が発端だったと思う。
「電脳倶楽部」の編集長、故・祝一平氏については、以前、ちょっと別の記事で触れた。実際会ってみるとシャイな方だが、同誌の上では雄弁で、多少、偏ったご意見をお持ちの方だった。

 この記事自体、もし祝氏がご存命なら、Twitterでよく炎上していただろうな、という連想から書き始めたものだったり。

 その祝氏が、ある雑誌の「コンパクトカメラのある俗称≠ヘ差別用語なので使わない」と書いてある記事にかみついたのだ。「あれは差別用語ではない」と。
 それに乗ってきたのが読者のA君(名前失念。失礼)であった。A君は熱心な祝氏フォロワーで「ある俗称≠ヘ差別用語ではない」という論を、さらに展開して「電脳倶楽部」に投稿し、掲載された、のではなかったかな。

 このあたり、もう、ものすごく記憶が曖昧なので、前後関係とかは全然違っているかもしれない。もう半分、フィクションとして読んでくだされば幸い。

 さて、わたしはその雑誌に書き手として縁があり、また、わたし自身、コンパクトカメラのある俗称≠ヘ差別用語だと思っていたので、祝氏とA君に反論を送った。今だったらそんなことはしない。二人とも莫迦だなぁと心中思って済ませてしまう。わたしも若かったのだ。
 祝氏からは言語明瞭意味不明なFAXが届き、これはまともな相手にならん、と思った。

 A君はパソコン通信をやっていなかったので、お手紙をお送りして反論したと思う。確か、数通やりとりしたのではなかったかな。こちらも議論が成り立たなかったと思う。覚えているのは「結城恭介って誰って感じ」、「飛び道具を使用しますが」などというような挑発的で攻撃的な言葉ばかり。
 そんな彼の主張は「どんな言葉でも差別用語になりうる(だから差別用語は存在しない、というトンデモ理論)」だったと思う。

 おそらく、わたしは一言、こう言えばよかったのだ「どんな言葉でも差別用語になるのなら、コンパクトカメラのある俗称≠煌m実に差別用語になるのではないですか?」と。

 A君とは結局、手紙のやりとりのみで、お互い納得もせずに終わったと思う。まだ、パソコン通信すら黎明期だった時代の、論戦の思い出である。

 今でもときどき、A君のことを思う。彼は絵が抜群にうまく、よく電脳倶楽部に掲載されていた。
 今でも元気にしていらっしゃるだろうか。立場は違えど、あのときうやむやになってしまった論戦≠――それを始めてしまったことを含め――とても残念に思っていることを伝えたい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年05月28日

【日記】ルービックキューブの今

「【昭和の遺伝子】ルービックキューブの思い出」の続き。

 ルービックキューブはその後、パチモンが出たり、それを分解して六面をそろえるなどという邪道な解法や、小さなキーホルダーまで出ていたと思う。
 自分はもう「解法を覚えればできるパズルゲーム」だと思って、手に取ることはなかった。部屋にあったルービックキューブも、いつの間にかなくなってしまっていた。人にあげてしまったのか、捨ててしまったのか、それすらもわからない。

 そして、数十年の月日がたった……。
 先日、ゴールデンウィークに顔なじみのパソ通仲間で集まって、畏友R氏の部屋でオフをしたとき、あったのである。ルービックキューブが。
 しかも古いやつではない。今はルービックキューブブームが再燃しているとのことで、六面をそろえるスピードを競う競技が確立しており、動きが非常になめらかな製品が競技用として販売されていたのであった。

 久しぶりに手にしたルービックキューブ。手が解法を覚えているかと思いきや、まったくそんなことはなく、一面をそろえるのが精いっぱい。昔はそろえられたという細君も挑戦するがダメ。
 唯一、M氏がかなりのところまで追い込んだが「ここから先はパターン覚えてないとダメですよねー」というところで、「結論として、この中ではMさんが一番IQ高いということで」と全員爆笑。R氏のルービックキューブはふぞろいのままオブジェとなってしまった。


(不ぞろいのまま放置されたR氏のルービックキューブ)

 R氏のことだから、次回のオフで行ったときは六面そろっているか、あるいは多種多様なモノの地層のどこかにまぎれてしまっていると思うが(これを学術的に「ラシニアン地層」と命名したい)、久しぶりにいじったルービックキューブが望外に面白かったので、自分でも一個、Amazonで買うことにした。

 届いたら、ネットの解法を見て解こうと思っていたが、今は製品に解法を記した紙が入っていることに、まずびっくり。
 そして知ったのだが、解法にはいくつかあり、LBL法というのがメジャーで、ツクダ式というのがマイナーであるらしい。
 どうやら、わたしが過去に覚えたのはツクダ式のようだ。LBL法は紙を見ながらならできるようになったが、まだ、記憶して、なにも見ないで六面完成できるレベルには到底届いていない。

 R氏の部屋でルービックキューブを回しながら、細君が「頭、固くなりましたねぇ」と嘆いていたが、一人でキューブを回しながら思うのは、数十年を経て頭が固くなったのではなく、今のわれわれは、なにより、時間がなくなってしまったのだなぁ、ということ。
 昔はヒマだった。ネットもなく、マンガだって今ほど隆盛を誇っていなかった。テレビを見るか、ラジオを聞くか、本を読むかくらいしか時間をつぶすモノがなかった(勉強すればよかったのにね)。それこそ、ルービックキューブは暇つぶしに最適だったのだ。
 覚えて、やらなければいけないことも、今より格段に少なかった。

 さて、ルービックキューブ。まだ飽きずに、一日一回は六面ぞろえをやってみているが、LBL法の手順書なしで、記憶のみでできるレベルまでは、まだまだたどり着きそうにない。

 先日、ダイソーで108円でルービックキューブ(*1)が買えることを発見。並んで買った数十年前を思うと、隔世の感を感じてしまった。



 108円だからと買ってみたら、これが硬くてすぐに壊れそう。競技用のルービックキューブも意味があるのだなぁ、と恐れ入った。

(*1)なお、ダイソーのコレは、正確にはルービックキューブではなく「六面立体パズル」である。ルービックキューブは商標・商品名であり、同じような製品を「ルービックキューブ」と呼ぶのは本来ダメ。文章校正支援ツールのJust Right!6でも「六面立体パズルでは?」とアカを入れてくる。なお、特許自体は切れているようで、「パチモン」は現在、存在しないようだ。

 今の目標は、まず記憶だけで六面ぞろえをできるようになること。そうしたら、競技用のルービックキューブを買って、時間短縮に挑んでみるかな、などと思っている。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月27日

【昭和の遺伝子】ルービックキューブの思い出

 年がいもなく、「ルービックキューブ」にハマっている。



 いや、「年がいもなく」という表現は正確ではないな。なぜならわたしは、高校生の頃に日本で始まった「最初のルービックキューブブーム」を体験した世代。むしろ「超久しぶりに」というのが正しい。

 当時の「ルービックキューブ」ブームはすごかった。わたしは最初の購入機会は逃してしまったが、幸い、二次販売の情報を得て、けっこうはやく、ツクダの本物を手にしたのではなかったかな。
 確か、朝早く、百貨店の玩具階に並んで、数千円也を払って購入したのである。当時はまだ、パチモノなどは並んでいなかった。

 買った季節が正確にいつなのかは覚えていないのだが、姉とコタツで交互にやっていた覚えがあるので、寒い時期なのだったと思う。

 一面を作るのは、みなさんご存じの通り、容易である。しかしそこから先、どうやって作っていったらいいのかが見当がつかない。ガチャガチャ、ガチャガチャと、昼も夜も回し続けたと思う。
 一度、なんとか、隣り合う一面同士、つまり二面は並べることができた。こうやって、一面ずつ作っていくのかなぁ? と先行きに気が遠くなったものだ。

 しかし、あとのいろいろな「解法」を見ると、この方法では結局六面全部はできなかったのだな。

 念のため言っておくと、当時はツクダオリジナルのルービックキューブに「解法」などを記した説明書は、一切、入っていなかった。
 ネットもなく、家庭用テレビゲームもない時代、子ども同士のグローバルなコミュニケーションは、少年マンガ誌の投稿ページくらいしかない時代である。

 もうこりゃダメだ。とてもできたもんじゃない。と、放り出して部屋のオブジェと化して数ヶ月後、本当に意外なところから「解法」が出てきた。

「ガチャガチャ」である。カプセルトイだ。
 それの「当たり品」として、ルービックキューブの「解法」が載った紙切れが入っていたのである。
 わたし自身は「ガチャガチャ」はやらず、その紙切れを、当てた友人から適価で譲ってもらったような記憶がある。

 そして、その景品の「解法」どおりに、ちょっとだけ試行錯誤しながらやってみると、なんと、あれほど不可能に思われた、きれいにそろった六面が目の前に現れたのだった。
 その瞬間の感動は今でも覚えて――と書きたいところだが、いやはや、そのモーメントの様子は、わたしの脳のメモリーから見事に欠落しているのである。
 いや、むしろ、感動より、落胆した、という感情が湧いたことが記憶にある。「なんだ、こんな機械的にクルクル回すだけで、六面が完成してしまうのか」という――。

 一度、手順を覚えてしまえば、あとは記憶ゲームである。何回、六面をそろえたかわからない。手が手順を覚え、六面ぞろえをカップラーメンを作る時間くらいでできるようになった頃、もう飽きて、やらなくなってしまった。
 当時は、キューブを増やした「ルービックリベンジ」や、新しいパズルゲーム「テンビリオン」などが続々と発売されていたが、もう、そういったものから興味はうせていた。

 この記事、長くなったので、【昭和の遺伝子】編は終わり、現代編の次回へ続く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子