2018年05月21日

【日記】コンパイル終了のお知らせ

 と言っても、「ノーミソコネコネ」のコンパイルの話ではない。

 その昔、NIFTY-Serveには有名人がたくさんいた。その中に、お名前は失念してしまったが、目の不自由な方がいらっしゃったのである。
 目が不自由なので、NIFTYのログは読み上げソフトでお聞きになって、レスを書かれている――とのことだった。
 と、簡単に言うが、NIFTYのログはツイッターや5ちゃんの短レスとは違う長文である。自分がそれをすることを考えると、ちょっと尋常の努力、理解力ではできそうにない。

 おそらく、彼のNIFTYの書き込みを読んで、十人中十人とも、この方は目が不自由だな、とわかる方はいなかったろう、と断言できる。書き込みの要旨は明快で、論理展開も考察も、いつも見事であった。
 その方は視力を失った代償に(と書いてしまうのはPC的にアレかもしれないが)、脳内に、とてつもない明晰力と構成力を得たのかもしれないな、と思う。

 なにしろ、その方の職業は「プログラマ」だったのである。盲目のプログラマ! プログラムソースも読み上げである。まだDOSの時代だったので、出力がグラフィカルなものではなかったからという面もあるだろうが、目の不自由な方がプログラマをなさっていた、というのは驚異的なことだ。

 で、その方の書き込みの中で、とても印象に残るものがあり、今も覚えているのが、プログラムを書き、コンパイル(メイク)を終了したとき、どう知るか、という話であった。

 ここでちょっと、コンピュータプログラムについて疎い方のために解説を入れておくと、プログラマが書いたコンピュータソースは、通常、人間が理解できる「高級言語」であり、それを「コンパイル」つまり「翻訳」して機械が理解できる機械語にする作業が必要になるのである(もっともコンピュータ黎明期には、皆、機械語を直接書いていた、というのは懐かしい話)。

 その方はラジオを手元に置いて、放送を聞きながら(プログラムソースも聞いているのに)仕事をしているのだが、コンピュータからはわずかにノイズが出ているので、それがラジオの音声に紛れこむ。コンパイルが終わると、わずかにノイズの変調が変わるのでわかる、というのである。

 たしかに、当時のコンピュータはシーリングが甘く、ラジオを近づけようものなら、音声にノイズが乗りまくりではあった。しかしそれで、コンピュータの動作の方を悟る、というのは、まさに目からウロコであった。

 かくいうわたしも、病気で耳をやられる前は、部屋にテレビがついているかを、音声ミュートしていても、すぐに悟ることができた。キーンという高周波の音が聞こえたからである。これはテレビがブラウン管から液晶に変わった今でも、若い人にはわかる感覚ではないだろうか。

 そう言えば、一時、深夜に若者が集まるところに高周波を流して不快にさせ去らせる、という話があったが、あれは実用の域に達したのだろうか。その後の成果はあまり聞いたことがないように思う。

 閑話休題。
 先の、目が不自由なプログラマさん、もうお名前も覚えていないのだが、今でも元気にしていらっしゃればよいが。
 時代が変わって、ツイッターのような短文レスが好まれる今の方が、実は出自を隠して活躍なさっていらっしゃるのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月20日

【書評】3びきのかわいいオオカミ

「3びきの かわいい オオカミ」
文:ユージーン・トリビザス/絵:ヘレン・オクセンバリー/訳:こだまともこ



 5ちゃんのどこかのスレで紹介され、それをまとめサイトで読んで、これは、と通して読んでみたら、気に入ってしまった作品。

 3びきのオオカミが、おかあさんオオカミに、これからは三匹で仲良くやっていくように諭されます



 そこで、3びきのかわいいオオカミは、レンガの家をつくって、そこに住むことにしたのです。

 と・こ・ろ・が――その隣人ときたら!



 見てくださいこの悪い顔!
 なんと、凶悪この上ないブタだったんです。

 このブタときたら、せっかくつくった三匹のかわいいオオカミのレンガの家を――



 ひでぇ(笑)。ハンマーでぶっ壊してしまうのです。
 いや、笑っちゃいけませんね



 三匹のかわいいオオカミたちは、ほうほうの体で逃げ出します。
 そして今度は、もっと丈夫な新しい家を作るのでした。


(新居でバドミントンに興じる三匹。可愛い)

 ところが、隣人の悪いブタときたら――



 今度はコンクリートドリルでぶっ壊しにくるのだからたまりません。第一、なんでそんなもの持ってんだよw
 このブタ、日本ブレイク工業も真っ青の壊し屋です。ケミカルアンカー Da Da Da!

 三匹のかわいいオオカミたちも対抗して、さらに鉄条網まで備えた、ガッチガチの要塞のような鉄筋コンクリート作りの家をつくります。



 さすがのブタもこの鉄条網にはまいったかと思いきや――



 爆破!
 発破している張本人は、ちゃーんと左下の方に――



 ちゃっかり起爆装置を押しているというひどさ。本当に凶悪なブタなんですw

 さて、どうしたものか――。オチはぜひとも、本書を読んでみてくださいな。
 結論を言うと、なんと、三匹のかわいいオオカミは、ついに自分の持っている牙という武器に気づき、凶悪なブタに立ち向かい――などということはなく、かわいいまま。
 そして、凶悪ブタとは、こんな関係に。



 うーん、なんか、それでいいの!? というオチへの流れではあるのだが、なんだろう、童話的な結論としては「隣人との間に壁をつくらないことが、平和な共存関係への第一歩」とかになるのだろうか。

 いやしかし、アレかもね。最近はちょっとアレな人も多いから、引っ越すときにはそういうところにも気をつけようね、という教訓話、なのかも。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2018年05月19日

【日記】電波時計

 寝室のダブルベッド、わたしが寝る側の壁には、セイコー製の目覚まし用電波時計が設置してある。デジタル式で、てっぺんのスイッチを押すと時間を読み上げてくれるものだ。
 わたしは近眼なので、就寝中、裸眼だと、薄明かりの中、時間がわからない。それでこの読み上げ式の目覚まし時計を買ったのである。それ自体は正解で、とても便利に使えている。

 しかしこの時計、これが数年前から、すこぶる調子が悪い。全然、電波を捉まえてくれないのである。

 同じ壁につけてあるカシオ製の大きなアナログ時計は、けっこう正確に電波を捉えてくれるので、純粋に、時計の性能によるものと思われる。細君は目がいいので、夜起きて、時間を確かめるときは、このアナログ時計を見ているようだ。

 それにしても、電波時計でも一応クォーツなので、精度は高いはずなのだが、最近は二分程度も早くなってしまっている。おそらく、電波時計ということで、クォーツの方の精度は落としているのだろう。

 この時計、自分で時間を補正することはまったくできない。東の福島県大鷹鳥谷山か、西の羽金山の送信所から発信される電波を捉まえる以外、時間を直すことができないという仕様である。

 なのでたまに、虫干しのように屋外に出して、電波を捉まえられるところへ置き、時刻を補正している。なんのための電波時計なのだか。
 時計の受信インジケータを見ていると、大鷹鳥谷山から受信するか、羽金山から受信するかを、かなり迷っている様子が見て取れる。
 しかし、わたしの住む地方都市では、福島県の大鷹鳥谷山からの信号の方が強いはずだ。きっと。

 東日本大震災のときは、この福島県からの信号が止まったので、家中の電波時計がクォーツ駆動になってしまった。
 311自体が収束したわけではないが、同年5月に福島県からの信号が復活したとき、ああ、これでやっと、ちょっと日常がもどってくるな、と思ったものであった。

 細君側の目覚まし時計は、かなり酷使されるので(投げられたり、蹴られたり、放り捨てられたり)、すでに何台か世代を重ね、今はカシオのアナログ・デジタル併用の電波時計になっている。こちらは実に良好に電波を捉えてくれて正確だ。
 個人的には、今のセイコーが壊れたら、カシオに買い換えたいと思っている。

 余談だが、わが家では目覚まし時計にちょっとこだわりがある。スヌーズ機能つき。それも、一度、ボタンを押して止めても、一定時間が経つとまた鳴り出す仕様でないとダメなのだ。
 簡単なようだが、これが探してみると、けっこうないのである。スヌーズ機能がついていても、一度、手動で止めると、スヌーズが止まってしまう、という、おせっかい仕様のものが多い。
 これだと、寝ぼけて止めた場合、二度目、三度目の目覚ましアラームが鳴らないので、二度寝してしまい、起きられないのである。
 スヌーズは、止めても一定時間が経つとまた鳴り、スヌーズ機能自体を止めるスイッチを切らない限り鳴り続ける、という仕様でないといけない。
 目覚まし時計は多種あるが、このことをカタログに明記してあることは実にまれで、目覚まし時計を買い換えるときは、細君と二人、目覚まし時計コーナーで実験を繰り返すことになる。

 そんなわけで、一度、アラームを止めるとスヌーズ機能が止まってしまう機種は使えないと思っているが、最近は本当にそういう機種ばかり。おそらく、鳴り続けると周囲の迷惑になると忖度しているのだろうが、これのおせっかい機能のおかげで二度寝してしまい遅刻した、というような人はいないのだろうか。

 閑話休題。
 さすがにセイコーの電波時計も、二分も誤差が出てくるとげんなりである。そろそろ虫干しをしようか、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月18日

【日記】海外旅行で食事が美味い国に行きたかったら

「カトリック国へ行きなさい」これは常識である。

 カトリック国:イタリア、メキシコ、フランス、スペイン、メキシコ等々。
 プロテスタント国:イギリス、アメリカ、ドイツ、カナダ、オランダ等々。

 ほうら、どうでしょう? カトリック国の方が「美味そうだ」と思いませんか?

 これ、実は国だけではないんですよ。例えば、日本の教会のパーティなどで出る食事も、カトリックの方が美味くて、プロテ(ゲホゲッホ、ゲッホ)。ごめんなさい。咳が。いや、今のは忘れてください。ゲホゲホ、ゲッホ。

 ローマ教皇は絶大な権力を持つ歴史があったから、とか、ピューリタンは質素だから、とか、いろいろな考察がなされているが、わたしはこれ、カトリックとプロテスタントの大きな違い、カトリックは毎回ミサで本物のキリストの御体たるご聖体を「食べ物」としていただいているのに対し、プロテスタントは象徴としてパンを食べている違いにあるのではないかな、とも思っている。

 つまり、カトリックの方が、根が「食いしん坊」なんですよ。
 食べることに罪悪感がないの。食べること、イコール、力の源、と思っている。
 例えば、病人に、ご聖体を砕いて水に溶いて飲ませることは意味がない、と、なっている。ちゃんと歯で噛んで飲み込んで食べなきゃダメ、なんだなぁ。
 以前はご聖体は噛んじゃダメ派もいたことはいたが。ご聖体が生けるキリストの御体であり食べ物であるという点では、カトリックは一致していると思う。

 以前「【回想録】余は如何にしてカトリック信徒を選びし乎」で、わたしたち夫婦がカトリックを選んだ(選ばれた)経緯を書いたが、美味しいものに目がない細君的には、カトリックを選んだのは本当に正解であった、と、いろいろなパーティに出るたびに思ったりする。

 対してわたしは、やっぱりこういうところでも、ちょっとプロテスタント派なのだな。食事なんて、とれればいい派。
 立食パーティなどでも、細君は飛び回っていろいろ取ってくるのに、わたしは壁際に立って、細君が取ってきたものをつまみ食いする程度でOK。

 イエス自身は大酒飲みで大食漢だ、と自嘲している。

人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。(ルカによる福音書 7:34)


 しかし同時に、断食もまた奨励はしている。

しかし、この種のものは、祈りと[断食]によらなければ出て行かない。(マタイによる福音書 17:21)


 ところで、日本で一番、クリスチャンが多かったのは、実は戦国時代と言われている。当然、このときのキリスト教はカトリック。日本人に一番合うのはカトリックだと個人的には思っている。

 明治時代になって禁教が解けてから、プロテスタント宣教師が布教を始め、二次大戦後にはプロテスタントのキリスト教ブームが到来したわけだが、結局今は尻すぼみ。これもやはり、日本人にはカトリックが合っている証拠だと思う、のだよなぁ。

 食事の話からずいぶん話題が変わってしまったが、これから、カトリック、プロテスタントを問わず、新しくキリスト教ムーブメントを起こすためには、洗礼なしの未信者の葬式を受け入れる、というようなドラスティックな改革が必要に思う。

 まあ取りあえず、生きている人に言うならば、海外旅行で美味いメシを食べたかったら、カトリック国へ行きなさい、ってことで。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月17日

【日記】DM30への期待と不安

 というわけで、一昨日、2018/05/15に発表された、キングジムのポメラDM30へこめる期待と不安である。

 まず、キングジム公式のDM30広告ページは「こちら」

 6月8日発売予定で43,000円+税とのこと。
 今現在、DM200のヨドバシ価格が、38,520円(税込み)で、3,852ポイントを引くと34,668円。それに比べると、だいぶお高めな値段設定に感じてしまう。

 キーボードは折り畳みで観音開き方式。DM100やDM200のストレートなキーボードに見慣れてしまうとメカメカしいが、まあこれはこれでありかな、という気もする。折り畳み形はDM5を使っているが、使っているうちに、内部フレキシブルケーブルが断線するのが心配だ。しかし今から故障を心配しても仕方がない。

 さて、肝心なのは体積と重さだろう。DM200は580グラム、DM30は450グラム(電池含まず)である。DM30は電池を単三×二本使用。これがエネループだとすると52グラム(実測値)。すると合計で502グラム。うーむ、DM200と比べ、78グラムしか軽くないではないか。
 ちなみに、DM100は399グラム(電池含まず)だから、電池を入れると451グラムとなる。

 軽い順にまとめてみると――

 DM100:451グラム
 DM30:502グラム
 DM200:580グラム

 数字からは、決して、「軽い」という印象は受けない。電池を使っていても、DM100より重いんじゃなぁ……。上には書いていないが、DM5などは300グラム(実測値)なのである。

 次に体積。これはDM100やDM200と比べても仕方ないので、DM5との比較。両者とも、折り畳んだときの大きさである。

 DM30:W156×D126×H33
 DM5:W145×D104×H31

 おっ、これは……。けっこう頑張っている数字なのではないだろうか。
 体積がDM5プラスアルファというのは、ちょっと魅力的である。

 ソフトウェア的には、DM100の延長線上にあり、DM200未満というところのようだ。
 DM30のIMEはDM100のATOKプラスアルファ相当とのこと。辞書から類語辞典が抜かれたようだが、こういうのは、わたし、全然使わないので別にいい。

 無線機能がDM200からバッサリ削られている。
 イヤっぽいのが、どうも「東芝のFlashAIR SDカードを使った無線機能が可能」とうたわれていること。あのク○なEvernoteを使わせる気じゃないだろうなぁ、Evernoteは○ソだから使いたくないのだ。このあたりもDM100相当である。

 さて、ここまでの比較のみなら、わたし的には「こりゃスルーだな」である。
 だがちょっと待ってほしい。ここまでだけならスルーかもしれない。しかし、DM30は、SVGA(800x600)のe-ink(電子ペーパー)を使っているというのだ!

 やってくれるなぁ、キングジムさん。これは予想外だった。

 楽天KoboやAmazon Kindleで、電子ペーパーの素晴らしさはよく知っている。反応性の悪さももちろん承知しているが、そこも工夫してある、とのこと。
 電子ペーパーで、執筆画面をずっと出しておけるなら、バッテリーを使わずに済む。スペックだと「電池寿命:約20時間」となっているが、使い方によっては、もっと長く使用できるのではないか。
 電源オフ時に、執筆画面を出したままにしておく機能も選べるようだ。これは良い。

 このあたりは、実機を時間をかけていじってみないと、本当にわからないところだ。
 電子ペーパーのワープロというのは、わたしはいじったことがない。どれだけ快適なのか、目に優しいのか。反応速度はどうなのか、まったく未知数である。それだけに、とても期待感がある。

 あ、そうだ。ソフトウェアがDM100の延長線上ということで、わたしがDM200で一番感動した「エディタ内でもCtrl-hでバックスペースが効く」機能が削られている可能性もある。
 もしそうだとしたら――導入はないな。うん。

 逆に言えば、エディタ内でCtrl-hでバックスペースが効き、なおかつCtrl-mでEnter、Ctrl-gでカーソル位置一文字消去なんぞが効いたら、もう、即、その場で買ってしまうかもしれない。(「【日記】ポメラDM200とダイヤモンドカーソル」参照)
 さらには禁則や縦書きが完璧だったりすると(DM200でもこのあたりはダメダメ――「【日記】ポメラDM200いらっしゃい・その1」参照)、もう売り場で奇妙な踊りを舞ってしまうかもしれない。

 なんにせよ、実機に触れてみるのが楽しみだ。6月8日は金曜日か。お、「イエスのみ心」の祭日ではないか。
 新しいポメラDM30が、多くの人々の心をつかむことができますように。
タグ:執筆機
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記