2018年05月16日

【日記】ポメラの使い分け

 DM200を導入して「【日記】ポメラDM200いらっしゃい・その1」の記事を書いたのが2017年3月8日。それ以来、DM5、DM100、DM200を併用して書き物をしてきたのだが、DM200を使い始めて、はや一年以上も経っていることに、いまさらながら気がついた。

 ポメラ三台とも、それぞれまだ健在である。特に不具合も発生せず、DM5で心配されるフレキシブルケーブルの損傷、代替機が来る前まで頻発していたDM100のソフトウェア上の不具合、DM200で懸念されるバッテリー寿命なども問題ない。
 この記事では、このポメラ三台の使い分けの試行と現状などを書こうと思っている。
 もう古い機種なので、DM5もDM100も新品は買いにくくなっているだろうが、迷っている方のなにかの参考になれば。

 結論から先に言えば、最新機種のDM200に触れている時間が一番長くなっている。これはやはり、液晶の見やすさと、なんと言っても、ctrl-hがエディタ内でもバックスペースになったことが大きい。ATOKの頭の良さも多少は後押ししているかもしれない。
 DM200に慣れてしまうと、DM100の、エディタ内でctrl-hが効かないこと、ATOKがアホなことがやはり苦痛に感じてしまう。電池駆動ということと、あの軽さは大きなアドバンテージなのだが……。

 正直言うと、できれば、すべての書き物をDM200で行ってしまっても構わない、とさえ思うようにすらなっている。ただひとつの難点、持ち運びの際の「重量」さえなければ、だが……。

 DM200を持参して外出するときは、やはり「外出中にも書くぞ!」という気分で持っていく。外で書かなかったときは「あー、重い思いをして持っていったのにもったいないことをした」という気分になりがちだ。
 逆に、帰宅時に重い荷物になることがわかっている日には、ポメラを持っていかず、カバンにいつも突っ込んである原稿用紙コクヨ「ケ-35N」とプラチナ#3776MSで書き物をするという選択肢を選んでしまっている。

 ここで、「あれ? 軽い荷物にするためにDM5を買ったのでは?」という指摘もあろうかと思う。(「【日記】君の名は?」参照)
 が――、DM5はさすがに使いにくい。液晶画面にバックライトはないし、ctrl-hでバックスペースは効かないし、第一ctrlとcaps lockの交換すらできないのだ。結局、数度、外へ連れ出してはみたものの、これなら原稿用紙と万年筆とそう変わりないなぁ、という結論に落ち着きつつある。
 しかもDM5は、起動しないでおいても、電池をけっこう消費する。いざ持ち出そうとしたら電池が交換が必要なほど減っていることが二、三度あり、ゲンナリしてしまった。
 結局今は、DM5は電池を抜いて、予備機として待機となってしまった。

 さて、一世代前のDM100。本当に惜しい執筆機だと思う。軽く、エネループ駆動で、気軽に持ち歩ける。
 正直、エディタ内でctrl-hのバックスペースが効いてくれるなら――この一点さえクリアしてくれれば、これを常に外出のおともにしたい、と思うくらいなのだ(それだけ、わたしにとって、ctrl-hがバックスペースであるというのは大事なのである)。
 しかし、もう旧機種ということもあって、ファームで対応、ということもなさそうだ。
 あぁ、あと、Evernoteとの連携がク○である。これはもう、本当に○ソ。Evernote自体が○○だから仕方がないが。

 というわけで、DM100は、結局、蟄居房内で毎日の日記を書くためだけに使うようになってしまった。この日記書きもDM200で済ましてもいいのだが、DM200にトラブルが発生していざ使えないとき、すぐDM100をバックアップとして使えるよう、毎日、電源を入れておくためにやっているようなものだ。

 一年以上、DM5、DM100と併用して使い続けた総論として――わたしにとってDM200は、唯一の難点、「重量」さえ除けば、とても良い執筆機である。購入前はバッテリー内蔵であることを心配していたが、一日執筆していても50パーセントも減らない。モバイルバッテリーも持ち歩いているが、世話になったこともない。

「アップロード」機能を使い、メールで原稿を送信できるのも便利である。メモカもUSBコネクタも挿抜回数には寿命がある、原稿をPCに持っていくのに、メールという一番基本的なプロトコルで送信できるというのは便利だ。

 でもねぇ、この唯一の難点「重量」がやっぱりナンなのである。DM100の重さは、持ち出して使わなくても「まっいいか」で済んでしまうが、DM200の重さだと「使わないともったいない」と思ってしまう。
 わたしにとって、DM200はポメラシリーズの中で、圧倒的に「気軽さ」が足りなくなってしまった。そのために専用のキャリングバッグまで買ってみた(「【日記】ポメラDM100 & DM200用キャリングバッグ」)が、やはり持ち出すときは「外でも書くぞ!」という意識が頭の隅どころか真ん真ん中に鎮座ましましている状態。
 少なくとも、ポメラの愛称「ポケット・メモ・ライター」ではなくなってしまったなぁ、というのが正直な感想。

 もし、DM250とか、300とかが出るのなら、性能はもう上げずとも良いから、まずは軽さを目指してほしいと思う。

「重い」「重い」と文句ばっかり言っているが、単一電池を四本も使っていたOASYS Lite K FD20や、単三電池を五本も使って二時間しか駆動できなかったOASYS 30 ADにくらべれば、今のDM200はまるで天使の落とし物のような夢の機種である。

 ワープロが絶滅した時代に、こんなニッチな製品を実現してくれたキングジムには、改めて、大きな感謝の言葉を贈りたい、本当にありがとう! と。

 追記:この記事は例のごとくだいぶ前に書いて、予約投稿にしてあったのだが、その間に、結局、日記もDM200で書くようになってしまい、今はDM100まで予備機扱いになってしまった(汗)。
 そして昨日の2018/05/15、新ポメラのDM30発売予定の報が! 今度は画面がe-inkで折り畳みキーボード仕様。しかも電源は電池とな!? なんとも、うーむ、やってくれるぜキングジムさん。DM30への期待は、明日の記事で!
タグ:執筆機
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月15日

【甘味】タリーズ「パフェバートストロベリー」

 年度初めの資金移動のため、五月だというのに氷雨の街に出て、ひと仕事終わらせ、ホッと一息。
 スタバにでも寄るかと、タッチ・ザ・ドリップの残金をスマホで見ようとすると、「アクセス負荷が多く現在利用できません。しばらく時間をおいて再度アクセスしてください」。なんと間が悪い。

 スイカやEdyはオートチャージ設定にしてあるのだが、なんとなくスタバはオートチャージにしていない。都度、オンラインで入力という吝嗇家のわたしである。
 これは単純に、スタバが自宅や事務所から歩いて行ける距離にない、ということと関係ありそうだ。近所にできてくれないかなぁ。スタバと業務スーパー(なんという意識高低な組み合わせ)。

 さて、雨の中を歩くのも疲れたし、最近は外出中、昼食もほとんどとらなくなりつつあるので、なにか甘いものがほしいな、と、頭を巡らせた。そういえば、タリーズで「T'sパフェバートストロベリー」、「T'sパフェバートクッキー&クリーム」が四月末に発売されていたはず(以前にも発売していた記憶があるのだが、期間限定メニューなのかも)。
 タリーズは駅前にあったな、と、足を向け、早速、初老過ぎの男が「T'sパフェバートストロベリー」を頼みますよ。



 今年はイチゴ系のスイーツを各種各店でいろいろ食べてきたような気がするが、これは正攻法、ストレートど真ん中のパフェである。イチゴは甘さオンリーではなく酸味も入ったもので、各種クリームとまぜて食べる微妙な味変えができて楽しい。



「君なんか写真と違わない?」こともなく、タリーズはまっとう真面目、メニュー通りの商品を出してくるのがいい。



 ごちそうさまでした。外を見ると、まだ小雨。今年は梅雨入りが早かった。天気予報によると、五月にして三月中旬の寒さだという。こんな時期にパフェを食べている自分にもあきれるが――



 あれっ? 新しいメニューが目の前に。
 もうひとつの「T'sパフェバートクッキー&クリーム」もとってしまった(笑)。



 こちらもド直球のチョコパフェである。チョコの味がわりと濃厚だ。クッキーとアイスの取り合わせもよい。



 と、ここで、ある「悲報」が携帯(スマホじゃない方)に届き、ショックでチョコを少しスラックスにこぼしてしまった。あぅー。
 外は氷雨がポツポツ続く……。うぅ、寒い。甘い。美味い。



 少し元気を取り戻して、午後の銀行回りへ。曇り空も晴れてきて、気分も上向いてきたかな。お、スタバのオンラインチャージも回復している。
 日も落ちてきて、最後にスタバで一服するかとなじみの店でCODを頼むと――

「すいませーん。今日、機械が壊れててCODをお出しできないんです」

 マジですか!?
 あーなんか、今日はいろいろ、間が悪い日だ。
 実を言うと、さっき書いた「悲報」は、細君のスマホが壊れたという報告なのだった。本当に今日は、いろいろと間が悪い。

 代わりに頼んだ、コールドブリューアイスコーヒー、これが存外に美味かった。
 これで厄落としなってくれればよいが。

 さて、細君の壊れたスマホ問題はどう解決するかねぇ……。

 追記:上記の問題は、当日のうちにsimフリー機を買うことでサクッと解決。細君がお財布ケータイ機能のヘビーユーザーなので、選択肢が少なかったことも結果的にはよかったようだ。

 そして帰宅すると、今日届くはずのAmazonからの荷物が届いていない。オンラインで調べてみると、不在で持ち帰りとなっているが、不在票すら入っていない。
 配送業者に連絡すると、なんと、近所の「結城さん」に間違って不在票を入れていたという。この近所の「結城さん」。以前も、ウチに届くはずだった角川からのお歳暮のお酒を誤配されたことがあり、それを承知で∴んでしまったといういわくつきのアレなお宅。あちらも不在でよかったよ、もう。

 本当に今日は、間の悪い日だ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 甘味

2018年05月14日

【日記】天気の話

 わたしが私淑しているカウンセリング心理学者の國分康孝先生は、新幹線の中で、見知らぬ人の隣に座り、天気の話だけで、東京、大阪間を楽しくお喋りして過ごしたそうである。そのコミュニケーション能力に感服するとともに、隣に座られた方が、実は迷惑ではなかったかなぁ、などと苦笑したりも。

 というわけで、わたしも天気の話だけでブログ記事一本くらい書けないと、國分先生に私淑しているなどとはとても言えないのである。

 わたしが小学校の頃は、今は信じられないだろうが、学校指定の傘やレインコートというものがあり、それに校章がきちんと印刷されていた。まあこれは、わたしが通っていた学校だけかもしれないが。
 全体がオレンジ色だったのは、子どもだから目立つように、だからだろうか。校章の部分だけは紺色で白抜きだったような憶えがある。この小学校は、別記事でも触れた、校歌が「黒い煙に街は栄え」というとんでもない高度成長期まっただ中の時代にあり、そんなところにもカネを回せるほど、イケイケドンドンの時代であった。
 ただ、制服はアルマーニではなかった。というか、制服はなかった(笑)。制帽はあったけれどね。

 もしかしたら、長靴も学校指定だったかもしれない。そんなこんなで、子どもの頃、みなでおそろいの傘、レインコート、長靴で登校できる雨の日はちょっと楽しみであった。

 この風習も、わたしが高学年になるにつれてなくなっていたような気がする。現在の、個人情報云々が原因ではなく、たんに学校側が面倒になったとか、そんな理由ではないかと。わたしはちょうど過渡期にいたわけだ。

 中学の時、二階の自室で、初めて買った聖書を読んで眠くなり、ウトウトしていると、額に、ピチョン、と水滴が落ちてきた。
 えっ? と思って手で拭うと、たしかに濡れている。しかし、天井に水滴などはない。
 階下に降りていって、家族に「雨漏りしているみたいなんだけど?」というと、「雨なんて降ってないよ」という。たしかに外は晴天だった。
 わたしは、本当に狐につままれたような気分で自室にもどり、すぐにグッスリと寝た。
 もう何十年前にもなるのに覚えている、不思議な思い出である。

 キリスト信者になった今になって思うと、あれが、本当の自分の、神からの洗礼≠ナはなかったかなぁ、と思うことがある。

 話は飛んで、未来の細君とのデートの話になる。未来の細君とデートをすると、いつも雨、雨、雨なのであった。
 その年の夏が、特に雨が多かった、というのもあるのかもしれないが、前日にいい天気でも、デートの日には雨なのである。
 お互い「雨男」「雨女」だと思っていたのが懐かしい。

 若いわたしたちは、お互いの友人を集めて、ディズニーランドで「私的な婚約式」をしたのだが、このときも大雨であった。どうしてこんなハレノヒまで雨にするかなあ、と神さまを恨んだものだ。
 あのとき、ずぶ濡れで「私的な婚約式」に参加してくださった皆様、本当にありがとう。おかげさまで、わたしたちも今年で結婚26年目を無事超えました。

 その間、雨の日も、風の日も、いい天気の日も、暑い日もあったけれども、よい半生を送れたと思っている。

 國分先生の弟子を気取って、天気の話など書き始めてしまったが、どうにも東京、大阪間はもちそうにない話題ばかりである。ま、そんなもんだ。

 わたしはやっぱり、晴れの日が好きだ。陽光さんさんで、ちょっと暑いくらいがいい。上段では細君のことを「雨女」と書いたが、振り返れば、陽光の下、ワンピースに麦わら帽の似合う細君の若い頃の笑顔を思い出せる。

 これからの天気がどんな荒天であろうとも、彼女の笑顔があれば、きっと耐えていけると――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月13日

【日記】シシトウ

 食道と胃関係の持病を持っているくせに、シシトウが好きだ。いや、シシトウのような辛いものは、病気になる以前から好きだったのだ。それゆえ、この持病のひとつを患ってしまったのかもしれず。

 シシトウは、わたしが子どもの頃は、家庭の食卓に上らなかったように思う。調べてみると、日本で一般に広まったのは二次大戦後、となっているが、実際に、多くの人の口に入るようになったのは、もっとあとなのではないだろうか。

 Wikipediaを読むと「食べるロシアンルーレット」と書いてあって、笑ってしまった。たしかにアレは、食べるロシアンルーレットだ。
 わたしは「当たり」を引き当てると、けっこううれしい方(変わってる?)。舌が激痛に襲われ、氷を舐めてしばらく我慢する。なぜ好きかって? だって、日常生活でこんなに刺激的なことって、そうそうないでしょう? それが舌への物理的な辛みであっても。

 一度、ファミリー・レストランで、この「当たり」に当たってしまった。このときの「当たり」はものすごく、ウェイトレスのお嬢さんに氷入りの水を持ってきてもらって、しばらくモゴモゴしていた。
 ウェイトレスのお嬢さんは平謝りであったが、別に彼女や厨房のせいではない。シシトウというのはそういうものだから、と、笑って済ませた覚えがある。
 それにしても、あのシシトウの当たりはすごかった。30分くらいは、氷をモゴモゴやっていたのではないかなあ(笑)。

 今は、飲み屋はともかくファミレスレベルだと、シシトウは出さなくなったかもしれない。とにかく、なんにでもクレームをつける客というのはいるものだから。
 ファミレスに勤めていた友人から聞いた話だが、チキンにカラシを塗った「小悪魔風」メニューを自分で取っておいて、「こんなカラシを塗りたくったもんが食えるか!」とクレームをつけてきた客もいるそうである。

 自分で料理を作るようになってからは、頭をもぎ半分に切って種を取って、皮を油でざっと炒め、醤油を振りかけたものを出す。これで「当たり」がだいぶ減った感じがしていたが、実は最近は品種改良により、激烈に辛いシシトウは市場にでることはなくなったのだそうだ。なぁんだ、寂しい話である。

 それでも、たまに、激烈とは言わないまでも「当たり」を引くことがあるのは、みなさまご存じのとおり。さて、そういうときどうするか、わたしは回避方法を発明してしまったのである。それを知ったからこそこの記事を書いていたり。

「辛ッ!」ときたら吐き出す? ノン、ノン。逆にもう、すぐ飲み込んでしまうのである。舌の上に乗せず、一気呵成に食道へ送り込んでしまう。
 するとそのうち、ほんのり、胃が温かくなってくるが(笑)、舌が氷を必要なほどの辛さは回避できる、と、こういうわけ。

 細君「ちょっとー、ただでさえ食道と胃に持病があるんだから、それはまずいんじゃない?」

 と、細君には不評だが、自分はこの回避法を気に入っている。少なくとも「ロシアン・ルーレット」で負けたりしない必勝法である。

 みなさまも「当たり」を引いたときは、お試しくだされば。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月12日

【日記】アラビヤン焼きそば

 細君と、いつもは行かないスーパーを歩いていると、おや、これは――



 細君「アラビヤン焼きそば!」
 わたし「な、懐かしい」
 細君「昔食べたよねー」
 わたし「まだ売ってるんだ」

 というわけで、早速購入。このアラビヤーンな人形のパッケージがなんとも懐かしい。



 子どもの頃は、よく食べたものだったが、最後に食べたのがいつだったかはもう覚えていないほど。

 アラビヤン焼きそばを巡る数奇な運命話はあとの方に回すとして、取りあえず、食べてみよう。
 今日は料理上手な細君がフライパンをふるってくれた。



 まずは野菜をたっぷりと炒めまして――



 アラビヤーンな麺を投入。



 麺を混ぜ混ぜして、「あとは粉を混ぜるだけだから待っててね」、「りょ」。
 そして、できあがりー。



 懐かしい香りの中、箸を取って、一口。あれ? たしかにアラビヤーンな味なのだが、薄い……。

 わたし「あれ、これ……」
 細君「わかっちゃった?」
 わたし「うん。粉少なくしたね」

 そう、わが家ではインスタント麺のスープの類いは、健康のため、量を少なく入れて調理しているのだ。
 せっかくのアラビヤーンな味、久々に強烈に味わいたい気持ちもあるが、細君の心遣いもわかるので、これはこれでよし。薄味だが、本当に懐かしい、味蕾が少年時代を思い出す。うーん、アラビヤン。

 Wikipediaのコピペになるが、アラビヤン焼きそばは、当初、全国発売されていたが、なぜか売れ行きがわたしの住む地方都市だけ安定しており、以降、ご当地食品として売られていたのだそうだ。
 しかしそれも昔のこと、2009年より、再び全国で店頭発売されているそうである(それにしては、わたしの住む地方都市でも、今回のように、ほとんど見かけないのだが……)。

 ところで、その昔、インスタントラーメンしか手元になく、それでもインスタント焼きそばをつくりたいときがあって、ラーメンを焼きそばの作り方でつくってみたことがあった。名付けて「無理焼き」。
 そのときは「わりといける」と思った味だったのだが、数ヶ月前に思い出してつくってみたら、今度はまずくて食えたものではなかった。

 この二年間、厨房に立ってフライパンを振るようになって、少しは味音痴も治ってきたのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記