2018年05月06日

【日記】禁酒

 以前、「【日記】禁煙」の記事を書いたので、「禁酒」についてもそろそろ書こう。
 恥ずかしながら、アルコール依存症一歩手前の時期があった。いや、すでにアルコール依存者になっていて、今は断酒しているので、症状が出ていないだけと言ってもいいだろう。

 アルコール依存症患者というものは「否認の病」にかかっており、自分が「アルコール依存症だとは認めない」のだという。
 そして、飲酒を自力でやめることはできないのだとも。
 不思議なことだが、自力でやめることができる人は、まだアルコール依存症ではないのだそうだ。なんだか、箱の中にその箱の鍵が入っているような、妙な感じだが、医者がそう言っているのだから仕方ない。

 そういう意味では、わたしは自力でアルコールをやめられたので本当の意味では「アルコール依存症」ではなかったのかもしれない。しかしアルコール依存症とは上記のとおり「否認の病」なので……と、堂々巡りである。

 しかし、一歩手前であったことは否定しない。できない。
 酒屋の店頭で、少しでもアルコール度数が高くコストパフォーマンスがいい酒を計算して買っていたくらいである。
 夜になると、毎日、手酌で飲んでいた。日本酒は安いが甘い。アルコール度数の高い焼酎から、やがて、もっと度数の高いウイスキーをストレートで飲むようになる。
 最後の方では、ものは試しと、消毒用エタノールまでグイッとやっていたのだから呆れる。これは――さすがにまずくて常飲できなかった。

 やめるきっかけは、ブラックアウトを起こして、転んで足の爪を割る大ケガをしてしまったからであった。
 その日の昼は展示会があり、片足を引きずりながら回っていたのだが、いきなり吐き気がやってきて、身障者用トイレに飛び込んで吐いた。驚くべきことに、ゆうべの酒が翌日の午後まで残っていたのである。
 そこで初めて、自分のケガがかなり重度のものであることに気づいた。酔っていたから、痛みにも耐えられていたのである。初めて、酒の魔力に恐怖したのであった。

 その日から、わたしはピッタリと酒をやめた。半月以上は足の指に包帯を巻いて過ごしたと思う。足に爪がちゃんと生えてくるまでには半年かかった。

 そののち、病気を患い、当時の主治医にこの事件のことを話して「アルコール依存とまではいかないと思うんですが」と言ったら、「ブラックアウトを起こしてもやめられない人は、もう、アルコール依存ですよ」と断言された。耳に痛い人も多いのではないだろうか。

 酒もタバコと同じように、「やめる」と決めたら、それ自体は簡単であった。禁断症状などもなく、手足に震えがくるとか、大名行列が見えるとか、そういったこともない。
 そういった意味でも、わたしが本当の「アルコール依存」であったかどうかは疑問なのだが、なにしろ「否認の病」なので以下略。

 そんなこんなで、お酒をやめてから、もう十年以上の月日が経っている。
 最初、細君は、わたしがお酒をやめたのに、自分は平気で忘年会などで飲んできていたのだが、わたしが「それは俺がつらいからやめられない?」とお願いしたら、自分も禁酒してくれるようになった。
 そんなこんなで、わたしたち夫婦が最後にお酒を舐めたのは、洗礼式のキリストのご聖血だけである。

 洗礼式の前、洗礼者は両形態(ご聖体だけではなくご聖血までいただける)と聞いたとき、正直、自分はちょっと躊躇してしまった。アル依者は酒をどれだけ断っていても、一滴舐めただけでスリップしてしまうなどと聞いていたからだ。
 キリストの御血はあくまでブドウ酒ではなく聖変化したご聖血だが、それでも、自分の飲酒癖が戻ってきてしまうのではないか、と。

 しかし洗礼の恵みはその程度のことでわたしを飲酒者に引き戻すことはなかった。久しぶりに口にしたブドウ酒(ご聖体にひたしたご聖血)は、ブドウ酒であって、ブドウ酒ではなかった。

「禁酒なんで簡単だよ。現に俺は何度もやってる」というジョークが禁煙のように使われないところをみると、この日本においてアルコールはだいぶ甘く見られている危険薬物であるということがよくわかる。

 自分がアルコールをやめてみると、本当にこの世界はアルコール(と飲酒者)に毒されていると思う。
 飲酒運転はもちろん、飲酒が引き起こす事件があとを絶たないことは言を待つまでもない。今の若い方の飲酒離れ、飲み会離れはいい傾向だと思う。こんなものは、たとえ文化と言われても、飲まない方がいいに決まっている。

 今でも、「こんな夜にお酒が飲めたらなぁ」と思う晩はあるが、酒とタバコ、どちらかを選べ、と言われたら、タバコの方を選んでしまう程度には、酒はもう十分だ。

 カトリックには、飲酒、喫煙の禁忌はないが、そのあたりを知らないノンクリに飲酒、喫煙を誘われたときは「自分、クリスチャンなので」で通してしまえるので良い。このあたり、飲酒、喫煙をしないプロテスタントの方をリスペクトして、本稿の筆を置く。

 追記:この記事は、今年の始めに書いたものの(その証拠に「「【日記】禁煙」の記事は2018年01月04日に公開している)公開するのがやはり気恥ずかしく≠クっと後伸ばしにしてきたのであった。
 今回、タレントの山口達也氏がお酒で「やらかした」事件が話題になっており、まあこれもいい機会かと、わたしの失敗譚も時流に乗ってさりげなく(笑)公開したわけだ。
 私見ではあるが、山口達也氏は、間違いなく「アルコール依存症」であると思う。おそらく、「今は≠ィ酒を飲まない」などと甘いことを言っていないで、これ以降一生、一滴もアルコールを飲まないという完全断酒を敢行しないと、また事件を起こすだろうと予言しておく。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月05日

【回想録】冨田勲の思い出

 今日、5月5日は、2年前に他界された、冨田勲氏の命日である。なので、その思い出をひとくさり。

 最初に冨田勲のアルバムで聞いたのは「惑星」であった。そのときの衝撃は、ちょっと言葉にできない。あれは、中学一年の時だったと思う。
 もちろん、それ以前にもオーケストラ版ホルスト「惑星」は聞いたことがあったが、編曲を越えた翻曲とでも言うべき冨田勲の「惑星」は、まだ若く柔らかかったわたしの脳を一挙にトミタ色に染めたのであった。
 だいたい、出だしからしてショッキングである。オルゴールで奏でられる「木星」のテーマからどうやら宇宙飛行士同士の無線通話になり、一挙にロケットで打ち上げられ、おどろおどろしい「火星」が始まる。まるで映像が目に浮かぶようであった。

 それからトミタ・サウンドにハマり、中学、高校と冨田氏のアルバムはすべて買っていたはずだ。

 過去作の「月の光」――美しいドビュッシーの表題作はもちろん、ゴリウォークのケークウォークのようなコメディタッチの曲も楽しかった。
「展覧会の絵」――サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレの音色が逆転していて、労働組合が強かった時代背景を写しており面白い。冨田版のこれも好きな一枚だが、やはり「展覧会の絵」はホロビッツの1951年のカーネギー・ホール版が好きかなぁ。
「冨田勲の世界」――シンセサイザーでの曲の制作過程をレコード二枚分にしたものも購入。これは完全にファン向け。音を重ねるにつれ、「ダフニスとクロエ」の冒頭部がどんどん重厚になっていくのに驚いた。

 冨田勲がモーグシンセサイザをお使いになられていたのは有名な話だが、氏はシンセのみでの音作りにこだわっていらっしゃってはいなかった。「惑星」冒頭のオルゴールも、テープに穴を開けて演奏する本物のオルゴールを用いて、浴室で演奏して録音した、と聞いた覚えがある。
 そのあたりの柔軟さが、お年をめされて「初音ミク」などが出てきたとき、シンセの大御所として否定的どころか大歓迎されていた姿勢につながっているのだと思う。

 そして「宇宙幻想」――ちょうどスターウォーズブームで、そのテーマ曲が入っている。楽しい一枚。良く聞いたが、正直、それほど好きなアルバムではない。
「宇宙幻想」からCDへと変わり、わたしが一番好きなトミタ・サウンドがその頃の「Dawn Chorus」だ。


(レコードからCDに買い換えたものも多数。背景に見えているグラフのようなものが「第一ストリングセクション」の獅子座AD星′度曲線)

「Dawn Chorus」は、それまでのトミタ・サウンドとは違い、ずいぶんシンセのケレン味が薄くなったという感じである。
 冨田氏はこのアルバムの作成にあたって、それまでの単純な波形をシンセでいじるのではなく、いろいろな天体の波形≠音声として使う、ということにチャレンジしていらっしゃった。
 たとえば第一ストリングスには、獅子座AD星≠フ光度曲線を、ハープシコードにははくちょう座SS星の光度曲線≠、という具合。そのチャレンジ精神に脱帽である。
 このアルバムの「三星のカノン」は、もう、何度聞いたかわからない。
 それまでのアルバムの中で、音色などが一番「シンセらしくない」出来栄えだというのに、一番宇宙を感じさせる一枚になっているのが面白い、と、当時、友人にお勧めした記憶を思い出す。

 これほどの大御所となると、自分が作り上げてきたものに固執して、新しい技術やサウンドに否定的になってもおかしくない。いわゆる「老害」である。しかし冨田氏はそういったものとは無縁であった。
 前述したとおりボーカロイド「初音ミク」が登場してきたとき、冨田氏は否定どころか大歓迎で、すぐに自分の音楽に取り入れられたのだった。

「イーハトーヴ交響曲」ではトミタ・サウンドと初音ミクの共演が果たされている。


(『ISAO TOMITA feat. HATSUNE MIKU 世界初演生中継・富田勲「イーハトーヴ交響曲」東京オペラシティコンサートホール』より引用)

 冨田勲の本当に凄いところは、この「気持ちがいつまでも若いところ」なのだろうなあ、と思う。2016年5月5日に亡くなられるまで、穏やかそうなお顔の下に、好奇心という「攻め」の姿勢が常に変わらなかったのだ。

「老害」というのは、要するに「守り」である。「守り」に入ったものが「攻め」てくる相手へつくる城壁が「今の若い者は――」なのだろうと思う。
 わたし自身、そういうところが多々あることを自覚している。これは良くない。

 今夜は久しぶりにトミタ・サウンドの「惑星」を聞いて眠りにつこう。冨田氏の「攻め」の人生を、せめて少しでも我が身にも、と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年05月04日

【日記】真逆(まぎゃく)

「あっ、ついに使ったね、真逆(まぎゃく)」
「――ふっふふ。バレたか、というのもね」

「【日記】「聖書・聖書協会共同訳」の「敗北(*a)」」の記事の中で、本当にごくわずかな人、それも、わたしの書いてきたものをずっと読まれてきた方は、「あれっ?」と思われたかもしれない。
 わたしは上記記事の中で、初めて「真逆(まぎゃく)」という言葉を使ったのである。

 目ざとい細君はそれを見つけて指摘してきたのであった。
 というか、今までも下書きで一度使ったことはあったのだが、細君の校正チェック段階で「やはりまだ現代の日本語として違和感がある」ということで、そこの「真逆(まぎゃく)」は「正反対」と書き直していたのである。

 今回「真逆(まぎゃく)」を使ったのには理由があった。実は、上記記事で使用した、「新翻訳事業翻訳者兼編集委員」である小友聡先生がお書きになったレジュメに、そのまま、「真逆(まぎゃく)」が使われていたのである。

この「呪って」は原文では「祝福して」です。不思議なことに真逆の言葉で表現されているのです。




 ここはまさか、「真逆」の真の読み方「まさか」ではなく、やはり「真逆(まぎゃく)」だろう(まさか、でも意味は通じないでもないが……)。

 そのレジュメ1ページ目には、このようにも記してある。

(新共同訳ができてから)30年の変化は、聖書解釈の知見だけでなく、日本語にも見られます。30年でどれほど変わるだろうかと疑念を持つ人がいるかもしれませんが、一世代変わると、日常的に用いられる日本語のニュアンスが違ってきますし、また古い言葉が次第に使われなくなります。


 そして、聖書読みにはなじみ深い「嗣業」という言葉が、新訳では「受け継ぐべきもの」に変えられたと解説されている。
 少し長くなるが、おそらく、新訳――聖書・聖書協会共同訳――の真の目的が下記になると思うので、引用する。

聖書の言葉はその時代にふさわしい言葉で的確に表現され、とりわけ若い人たちにきちんと届く言葉で書かれなければなりません。年配者には理解できても、若い人たちに伝わらなければ、聖書は敬遠され、図書館に埋没する古典文書の類になってしまいます。聖書は生きた命の言葉です。今の時代に受け入れられる日本語で訳された聖書が必要とされます。新しい翻訳聖書は次の世代に私たちが遺せる最大の福音伝道の手段でもあるのです。


 そして続く解説ページの中で、「真逆(まぎゃく)」という言葉が、てらいなく使われていたのであった。
 ここにわたしは、小友聡先生の、翻訳者と編集委員の、聖書協会の矜持を見たのである。若い世代に受け入れられる聖書をつくるぞ、という。新しい文章で新訳をつくるぞ、という気概を、たった二文字の「真逆(まぎゃく)」から受け取ったのだ。

 調べてみると「真逆(まぎゃく)」は2002年頃から使われ始めた言葉で、2011年の文化庁「国語に関する世論調査」によると「真逆(まぎゃく)」を使う人は22.1パーセント、使わない77.4パーセントと、決して広く認知された言葉ではない。
 だが「使う22.1パーセント」は圧倒的に若い人、となっているようだ。

 わたし自身は「真逆(まぎゃく)」を「正反対」の意味で使うことに抵抗感は少なかった。もともと、新語はけっこう勢いで使ってしまうところがあるタイプである。むしろ、細君の方が(上記のように)抵抗感を持つ。

 というわけで、わたしは聖書協会の「新しい言葉を使っていくぞ」という決意に心動かされたのである。

 もちろん、十一月末に発売される、「聖書・聖書協会共同訳」の本文や注釈に「真逆(まぎゃく)」という言葉が使われているのかどうかはわからない。
 しかし、このレジュメの「真逆(まぎゃく)」表記を見てからというもの、「聖書・聖書協会共同訳」のページを繰れる日が楽しみになった。
 聖書本文にも「真逆(真逆)」が使われていたら、それはかなり議論になるだろうなぁ、と、今から楽しみで仕方がない。

 レジュメはこのように結んである。

2018年、新共同訳を超える次世代の翻訳聖書の時代がもうすぐやって来ます。


 まだ感触に過ぎないが、わたしも、その息吹を感じずにはいられない。

 追記:ちなみにわたしは、書いた文章をジャストシステムの文章校正支援ツールJust Right!を使い、基本的には共同通信社の記者ハンドブックにのっとって語句統一、校正などを行っているのだが、Just Right! 6.0.1.0において「真逆(まぎゃく)」は特に注意される語句ではなかった。記者ハンドブックでは、「真逆(まぎゃく)」はもう「あり」な言葉となっているようである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月03日

【日記】大きなのっぽの古冷蔵庫

 冷蔵庫が壊れたの。
 だけど、すぐ直らなかったの(ぐすん)。

 というわけで、冷蔵庫が壊れたの。そして細君や忌野清志郎さんのように治らなかったの(「【甘味】スシロー「苺すぎるパフェ」」参照)。

 正直、いまこの時期に、いや、実はこの先も、この冷蔵庫が壊れるとは思っていなかった。なにせこの冷蔵庫――わたしたちが結婚したときに買った、26年モノなのである。26年も動けば、もうこの先、ずっと動くと思うじゃないですかぁあぁ。泣いてる子もいるんですよ!

 いやいやいや、まさか、わたしだって常識は知っている。寿命がとっくにきていたのである。普通、冷蔵庫の寿命など10年ちょいというところ。わたしたちが結婚した頃の家電は、いまと違い製品のモチは良かったが、それでも26年は保ちすぎだ。むしろ、いままでよく保ったと誉めてやるべきなのだ。


(ラベルを見ればお分かりのとおり、すごい年代物である)

 それも、まったくいきなり壊れた、というのではない。どうにも、あまり冷えなくなってしまったのである。だんだん、だんだんと冷えなくなっていき、いまも、ちょっと涼しいくらいは冷やしてくれている。
 ゼロイチ的な故障なら、即、買い換えるしかなく未練もなにもないのだが、こういう「ぼく、まだがんばれるよ」的な故障はなんともである。

 それでも、氷も作れないというのはさすがに冷蔵庫とは言えないので、細君に適価な代替機を探してもらった。PDFの説明書なども印刷し、これでいくか、と決め、翌日買おうと同じページを見たら――

「SOLD OUT!」

 ああああ。このネット時代、やっぱり同じことを考えている人は全国にいるんだなぁ。
 再び代替機種を細君に選定してもらうが、当初考えていたご予算よりちょっと高めになってしまう。なにしろ、突然の高額の出費であるから、気分もへこみ気味である。先月は家族の入院もあったし、ヘトヘト状態でこの仕打ち、十字架の道行きで言うなら、「イエス、二度倒れる」あたりである。

 代替機種を選定し、今度は即購入。搬入は4月15日(日)の午後、というメールがきた。日曜日で教会があるが、午後なら大丈夫だ。
 で、4月15日の夕方、古い冷蔵庫から食品を出して待機。


(ドナドナを待つ冷蔵庫。哀愁ただよう……)

 26年も使ったこの冷蔵庫には、もちろん、それだけの思い出がこもっているのである。
 新婚生活のために買って、新居のアパートに搬入してもらったのだが、数年後、引っ越す段になって、細君の嫁入り家具を買った、地域では有名な家具屋に運搬を頼んだのだ。
 というのも、その家具屋、嫁入り家具を買うときに「引っ越すときは家具と冷蔵庫の運搬もしますよ」という約束をしていたのである。これは口約束で、あとで、担当者の「売りたいがためのウソ」とわかった。
 引っ越しのとき、もちろん約束は生きていると思って「冷蔵庫も頼みますよー」と言うと、そのとききた家具屋の運搬業者が「冷蔵庫はできない。別料金を払ってもできない」と言う。なんだよそれ、約束が違うじゃん。

 憤っていても仕方ない。家具屋の担当者は辞めてしまっていた。この地方都市では有名だが、いい加減な商売をしている業者であることが露呈してしまった。

 急遽、親戚から軽トラを借りて、若いわたしたち二人だけで、冷蔵庫を搬出、搬入することにした。若いからこそできた無茶だったなぁ、といまになって思う。
 冷蔵庫は、故障の原因となるので、横にして運んではいけないのだそうだ。しかし、当時ネットもなく、そんな知識もないわたしたちは、大汗をかきながら横にして二人で運び軽トラに載せ、引っ越し先へ搬入した。
 そのときついた傷がコレである。



 いまとなっては、この傷も愛おしい。

 さて、新しい冷蔵庫がくるのを待機、待機、待機……するのだが、一向に業者がこない。
 細君がスマホを確かめるが、わたしが見ても4月15日の夕方、になっている。
 と――細君の顔が青ざめた。なんと、4月15日の夕方までというのは、搬入に関するこちらの情報を入力する期限であったのだ。冷蔵庫というのは、ブラウザの「購入」ボタンを押しておしまいではなく、階段があるとか、廊下の最小幅とか、そういったものを販売店に情報送信して、その上で、搬入の日を決める、というプロトコルになっていたのである。

 あわててリミットまでにPCから該当画面を出し、そういった情報を入力。ウチは階段もなく、玄関からキッチンまで広く、一直線である。問題になるところはなにもない(なにもないからこそ、こんなトラップがあるとは思ってもみなかったのだ)。

 というわけで、日曜日のドナドナは中止。一度出した食材を再び詰めて、業者からの連絡とあいなった。

 その後はトントンと話が進み、翌水曜日には新しい冷蔵庫が搬入された。業者さんは本当に気持ちよく仕事をしてくれた。あまりに爽やかで見事な仕事だったので、わたしにしてはめずらしく、販売店の名を書いてしまう。大手の「上新電気」さんである。もちろん、搬入は下請け業者さんで、すべての下請け業者さんがこれほど見事で気持ちのいい仕事をしてくれるかどうかはわからないが。
 アンケートハガキをいただいたので、全部「とても良い」に丸をして感謝の言葉を書いて「上新電機」に送るつもりだ。

 さて、26年も古い冷蔵庫を使っていると、新しい冷蔵庫はもう、浦島太郎状態である。冷凍庫が下にある。野菜室が真ん中だ。へえ、冷蔵部分は上なのか。氷も自動製氷でできあがる。スイッチ類もタッチパネルになっているし、驚くことばかりだ。
 この子も長く保ってほしいが、最近の家電の寿命は10年程度だという。まあ、そうだろうな、というあきらめもある。

 いま、ウチで一番長保ちしているのは、セイコーの壁掛け時計。これは30年以上、動き続けているはずだ。
 童謡「大きな古時計」は、作者があるイギリスのホテルにとまったとき、そこの主人から「90年間、ときを刻み続けている時計がある」と聞いた逸話から生まれたそうだ。
 現代では、もうこういう歌は生まれないだろうなぁ、と淋しく思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月02日

【回想録】貧乏ゆすり

 10代から20代はじめにかけて、わたしは貧乏ゆすりをする青年であった。将来の細君とつきあいだした頃から、徐々になくなっていき、今は貧乏ゆすりをしたくてもできなくなってしまった。

 たいていは椅子に座ったとき、足を組んで、上に組んだ右の足首をリズミカルに上下させる。周期は0.8秒くらい。一秒よりは短く、0.5秒よりは長いからそのくらいだろうと思う。

 頭の中でいろいろ考え、アイデアが広がっていったり、あるいはまとまってきたりと、いい感じになっているときに、この貧乏ゆすりは自然と出てくる。無意識にやっているので、気づかなければ止められない。
 打ち合わせその他などで、喫茶店や出版社で編集者と会っているときは、この貧乏ゆすりは出していなかったと思う。注意が自分(の頭の中)ではなく外側に向かっているときは出ないのである。たぶん。

 しかし当時は、貧乏ゆすりは、あまりいいこととは見られていなかったのだった。だからこそ「貧乏」ゆすりという名前がつけられているわけで。
 だいたい、貧乏ゆすりをしていると、周りにはいいようにはとられない。イライラしているのかな? 内心、怒っていることがあるのかな? などと思われ、まさかリラックス&ノリノリ状態でいるとは見てくれないものである。

 21世紀の今になって「貧乏ゆすり」が見直され、エコノミークラス症候群対策や、セロトニン分泌によるストレス解消効果、ダイエット効果もあるなどと言われはじめた。
 ダイエット効果はともかく、リズミカルな運動(ガムを噛む)などはセロトニン分泌を促す効果が確かにあるらしいので、貧乏ゆすりも百害あって一利なしという昔の評価から脱せられたようだ。

 人間、自然についたクセには、なにかやはり意味があるものなのである。

 わたしが貧乏ゆすりをするクセをやめたのは、もちろん、意識して、であった。将来の細君に指摘されたから、だったからだと思う。上記の通り、あまりいい性癖には思われていないものだったから、直せるものならばそれに越したことはない、と。
 ゆすり始めると「ああいかん」とやめる。これを数ヶ月もやっていたら、普通の、貧乏ゆすりをしない人になってしまった。

 貧乏ゆすりの復権に乗って、せっかくだから一人でいるとき、この貧乏ゆすりを復活させようと試みているのだが、これができないのである。
 どうしても「意識しないと」リズムが止まってしまう。これでは他の作業中に無意識に貧乏揺すりをするなどはとうてい無理だ。

 今、貧乏ゆすりをできている人は、それはなかなか得がたい「良い才能」かもしれないから、人前でやるのはともかく、一人でいるときに無理に止めることはないかもしれない。
 一度、矯正してしまうと、わたしのように、二度とできなくなってしまうかもしれないから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録