2018年05月24日

【日記】割礼

 今日はちょっとシモの話。でもなるべく、お上品に書くので、あっ、お客さん、まだ帰らないでー。

 なにしろ、この記事を書く動機が、とてもお上品な奥様の一言の思い出がきっかけなのである。

 さて、聖書には「割礼」という言葉が何度も出てくる。読み方は「かつれい」ね。アポクリファを含まないプロテスタントの聖書66書をざっと数えてみたら(いや、コンピュータで簡単なんですが)、103節、135個も使われている。

 さてこの「割礼」。なんのことだかわからない人もいらっしゃるかもしれない。えーっとですね。そのですね。
 要するに「割礼」というのは、ざっくばらんに入ってしまえば、「包茎手術」のことでありまする。

 ユダヤ人の決まり事のひとつとして、神さまが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の始祖である「アブラハム」にこう命じたのだ。

あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。(創世記 17:10)


 これは、水が少ない荒れ野の民であるイスラエル民族の衛生的な問題を解決するために、宗教的天才であったモーセが、神の名のもとに命じた風習のひとつであったのかもしれない。と、考察もできるが、要するに――

あなたの家で生まれた奴隷も、買い取った奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。(創世記 17:13)


包皮の部分を切り取らない無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである。」(創世記 17:14)


 なのである。

 えっ、「割礼」の前に、まず「包茎手術」の「ホーケイ」がなんのことかわからないって? いやぁ、中学の頃の自分を思い出すなぁ。わたしも中学一年で、平井和正先生の「超革命的中学生集団」を読むまで「ホーケイ」がなんだか知りませんでしたよ。
 どうやら、男性器のとある形態のことを指す言葉らしい、ということはわかったので、畏友H君に「ホーケイって、チンチンが四角い(方形)ってこと?」と、恥ずかしい質問をして笑われたことを、今でも思い出しますな。

 ここで茶化さず、きちんと答えるのが大人の義務。包茎というのは、男性器を包皮が覆っている状態のことを指していう言葉のこと、である。というか、人間も動物も、包茎が普通の状態。普通でない状態のときに包皮が剥けている。これが正常。

 あー、オレは何を書いているんだか(笑)。

 さて、ここまで前ふりをして(長いよ)いよいよ、冒頭に書いた「とてもお上品な奥様の一言」について書くときがきた。
 あれは、教会での勉強会のときでのこと。見知った仲間が数人。男性は主任司祭とわたしだけ、というメンバー。
 みなで聖書を読み、勉強をするわけですな。当然、上記の「割礼」についての節を読むこともあるわけ。

 新約におけるパウロなんてのは、当時のユダヤ教ナザレ派(つまり後のキリスト教)に割礼の必要はないよ派だったりするので、「割礼」という言葉が頻出してきたりする。

割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。(コリントの信徒への手紙一 7:19)


 司祭「パウロもコリントの信徒への手紙で言っていますが、問題は割礼の有無ではなく、神の掟を守ることなんですねぇ」

 ふむぅ、と、みながうなずく。その中で、洋行帰りのとてもお上品なお若い奥様が、ふと、こんなことをおっしゃったのである。

「でも、神父さまも結城さんも、割礼、うけていらっしゃるんですよね」

 えっ!

 思わず目を泳がせ、主任司祭と視線が合い、二人とも体を固めたまま、二の句が継げずに、互いに無言で答えを押しつけあって数秒。
 そして我々は、同時に意思決定したのであった。

 無視!

 主任司祭「さて、次に進みましょう――」

 お上品な奥様が勉強会の池に投げた小石の波紋はサーッと消えていき、なかったことのように、次の聖句の解き明かしになっていったのであった。

 この洋行帰りの上品な奥様が、どこでそんな誤解を吹き込まれたのかはわからないが、たしかに現在でも、ユダヤ教徒、イスラム教徒は割礼を必要とするという。
 しかし逆にキリスト教は「割礼不要・食事禁忌不要」というパウロの主張がウケて広まったという点が多々あるのである。

 というわけで、こういうことにうといお上品な奥様のみなさま、キリスト教徒は割礼なんぞうけていませんから。タートルネックですから。
 よろしくお願いいたします。ハイ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記