2018年05月27日

【昭和の遺伝子】ルービックキューブの思い出

 年がいもなく、「ルービックキューブ」にハマっている。



 いや、「年がいもなく」という表現は正確ではないな。なぜならわたしは、高校生の頃に日本で始まった「最初のルービックキューブブーム」を体験した世代。むしろ「超久しぶりに」というのが正しい。

 当時の「ルービックキューブ」ブームはすごかった。わたしは最初の購入機会は逃してしまったが、幸い、二次販売の情報を得て、けっこうはやく、ツクダの本物を手にしたのではなかったかな。
 確か、朝早く、百貨店の玩具階に並んで、数千円也を払って購入したのである。当時はまだ、パチモノなどは並んでいなかった。

 買った季節が正確にいつなのかは覚えていないのだが、姉とコタツで交互にやっていた覚えがあるので、寒い時期なのだったと思う。

 一面を作るのは、みなさんご存じの通り、容易である。しかしそこから先、どうやって作っていったらいいのかが見当がつかない。ガチャガチャ、ガチャガチャと、昼も夜も回し続けたと思う。
 一度、なんとか、隣り合う一面同士、つまり二面は並べることができた。こうやって、一面ずつ作っていくのかなぁ? と先行きに気が遠くなったものだ。

 しかし、あとのいろいろな「解法」を見ると、この方法では結局六面全部はできなかったのだな。

 念のため言っておくと、当時はツクダオリジナルのルービックキューブに「解法」などを記した説明書は、一切、入っていなかった。
 ネットもなく、家庭用テレビゲームもない時代、子ども同士のグローバルなコミュニケーションは、少年マンガ誌の投稿ページくらいしかない時代である。

 もうこりゃダメだ。とてもできたもんじゃない。と、放り出して部屋のオブジェと化して数ヶ月後、本当に意外なところから「解法」が出てきた。

「ガチャガチャ」である。カプセルトイだ。
 それの「当たり品」として、ルービックキューブの「解法」が載った紙切れが入っていたのである。
 わたし自身は「ガチャガチャ」はやらず、その紙切れを、当てた友人から適価で譲ってもらったような記憶がある。

 そして、その景品の「解法」どおりに、ちょっとだけ試行錯誤しながらやってみると、なんと、あれほど不可能に思われた、きれいにそろった六面が目の前に現れたのだった。
 その瞬間の感動は今でも覚えて――と書きたいところだが、いやはや、そのモーメントの様子は、わたしの脳のメモリーから見事に欠落しているのである。
 いや、むしろ、感動より、落胆した、という感情が湧いたことが記憶にある。「なんだ、こんな機械的にクルクル回すだけで、六面が完成してしまうのか」という――。

 一度、手順を覚えてしまえば、あとは記憶ゲームである。何回、六面をそろえたかわからない。手が手順を覚え、六面ぞろえをカップラーメンを作る時間くらいでできるようになった頃、もう飽きて、やらなくなってしまった。
 当時は、キューブを増やした「ルービックリベンジ」や、新しいパズルゲーム「テンビリオン」などが続々と発売されていたが、もう、そういったものから興味はうせていた。

 この記事、長くなったので、【昭和の遺伝子】編は終わり、現代編の次回へ続く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子