2019年01月30日

【回想録】万歩計(歩数計)

 あれはまだ、わたしが小学二年生だった頃。学校で先生が使うストップウォッチが欲しくてたまらなくなってしまった。
 まあ子どもだから、明確な使用用途を想定して「欲しい」と思ったわけではない。体育の時間に先生がカチッ、カチッとやって計測している姿が格好良く、自分でもやってみたいとか、そんな理由。

 当時のストップウォッチは、当然、クォーツではない針式であった。今のように、百均でデジタルのストップウォッチが買える時代ではない。
 もちろん高額で、小学生の小遣いを貯めてなんとかなるような代物ではなく、わたしは母におねだりしたのであった。

「お母さん、僕、ストップウォッチが欲しい」
「いいよ、買ってあげる」

 ふたつ返事をした母は、当時のストップウォッチがかなり高額なものだとは知らなかったらしい。翌日、すまなそうな表情で「似たようなもの」をわたしにプレゼントしてくれて、言った。

「ごめんね、ストップウォッチは高くて買えなかったから、これで我慢してね」

 それがわたしと万歩計の出会いであった。紺色のボディ。針が二本ついた、時計のような顔。裏のネジを回して針を十二時にセットし、身につけて歩くと、歩いただけの歩数分、針が回る。
 はぇー、すっごい(まさに小並感)。わたしはたちまち、ストップウォッチのことなど忘れ、この万歩計のとりこになってしまったのである。

 ちなみに「万歩計」は、山佐の登録商標で、今は一般には「歩数計」というのが普通だ。が、わたしがこのとき、母からプレゼントされた歩数計は、まごうことなき、山佐の「万歩計」であった。というか、当時は歩数計の競合企業などなかったような気がする。

 さっそくこの万歩計と一緒の生活が始まった。小学生のわたしはバス、電車通学だったが、小学校の最寄り駅からはけっこう歩く(と、子どもの自分は思っていた)。
 一万歩というのはどのくらいのものなのだろう。子どもなのでその感覚はよくわからない。初日、一日、身につけていて、家に戻ってみると、なんと、四千歩しか針が進んでいない。

「一万歩って、なんて途方もない数字なんだ……」

 と、小学生の自分は途方に暮れたことを覚えている。
 それから毎日、朝、リセットしては帰宅して確認する日々を続けたが、やはり、四千歩がいいところ。まあそりゃ、同じルートを通って通学しているのだから当然ではある。

 ある日、どうしても一万歩までチャレンジしてみたくなり、帰宅してランドセルを置き、そのまま再び家を出て、行くあてもなく歩き出してみた。
 太陽はどんどん傾き、日が暮れてくる。家からかなり遠い、送電線のあるグリーンベルトのところまで歩き、そこで初めて、針が一万歩を越えた。このときのうれしさは、送電塔が落とす長い夕日の影の風景とともに、よく覚えている。

 その日はかなり遅く家に帰ったわけだが、母は怒ることもなく、「一万歩歩けたよ」と伝えたわたしと一緒に喜んでくれたのであった。

 この万歩計は、壊れるまで使った覚えがあるが、最後にどうしたかは記憶にない。

 次に歩数計を買ったのは、歳も三十を過ぎ、ちょっと腹に肉がついてきた頃だった。ダイエット目的である。細君と一緒にオムロンのものを購入。当然、デジタル歩数計である。
 しかもこれは、同社の体組成計からデータを拾うことができ、PCと接続していろいろなデータを記録していけるという、高機能な代物であった。

 インターネットを通して、皆で毎日の歩数を競いあったり、歩数で日本一周のシミュレートもできた。確か「ウォーカーズインデックス」という名のサービスで、月額300円だったかな。
 わたしは毎日、マメに歩き、わたしの住む地方都市で上位の常連になり、最後は二位まであがったのだが、どうしても一位にはなれなかった。一位の方は、一日六万歩くらい歩いていたような覚えがある。とにかく、この方だけはずばぬけて数字がすごいので、なにか歩くのに特化した特殊な職業についていらっしゃるのかなぁ? と思わずにはいられなかった。

 この歩数計はお気に入りだったが、ちょうど日本一周シミュレートを完遂した頃、体組成計のデータを転送できないという故障が発生し、ダイエットも成功したので、お蔵入りとなった。

 今はまたダイエットを始めたので、オムロンの一番ベーシックな歩数計を身につけている。違うのは路上を歩くのではなく、ジムのトレッドミル上をウォーキングするときの目安として使っていること。
 それともうひとつ、スマホの歩数計も使っている。これは以前も書いたが、Coke Onアプリというコカ・コーラ社のアプリが入れてあり、歩けば歩いただけスタンプを集められて、貯まるとCoke On対応自販機で飲料をもらえるから。今は「累計250万歩」までもう少し、というところである。

 実はさらにもうひとつ、「アクティビティ・トラッカー」である。XiaomiのMi Band3も身につけている。24時間身につけるのはしんどいかと思っていたが、本体が軽いので、慣れてしまえばどうということはなかった。
 このデバイスはなかなかおもしろいので、機会があれば別記事で。

 そんなこんなで、三台もの歩数計を身につけて歩いている毎日だが、数字がそれぞれまちまちなのがなんとも、である。二千歩くらいの誤差は平気で出てしまう。
 今は日々、オムロンの歩数計で二万歩以上を目標にしている。トレッドミルだと、映画を観たり、読書をしながら歩けるので実に楽だ。

 大人となったわたしに、一万歩は日常のこととなってしまったが、それでも、子どもの頃、あんなに遠いと思っていた一万歩を取れた夕方のあの日の喜びをときたま思いだすと、懐かしさに胸が暖かくなる。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2019年01月26日

【日記】ムンク展

 もう終わってしまったが、一月の中旬に、東京都美術館でやっていた「ムンク展」に行ってきた。



 ムンクと言えば「叫び」。「叫び」と言えばムンク、というくらい、「叫び」は有名な絵だが、それ以外のムンクの絵は巷間ほとんど知られていない。わたしも記憶にない。
 わたしはごく普通の西洋美術好きだが、同時にカトリックでもあるので、芸術をキリスト教のフィルターを通して見るきらいがある。
 逆に言えば、宗教色のない西洋美術には、あまり興味がわかないのであった。

 そういう観点から言えば、ムンクの手による作品からは、まったく「抹香臭」は感じられない。今回の展示では、唯一「マドンナ(聖母)」にその欠片があるような気がしないでもないでもないというくらいで、並べられている作品群からは、信仰という熱情(パッション――同時にキリストの受難という意味もある)はにじんでいないのであった。

 反面、とても、とても人間臭いのである。
 それは、見ているこちらに、心地よさではなく、どこか自分を見透かされているようないたたまれなさを感じる筆使いだ。

 ムンクの家庭の教派はわからないが、出身地がノルウェーであることを考えると、プロテスタント・ルター派であったのだろうか。ルターはキリスト教に音楽の花は咲かせたが、逆に美術からは肉をそぎ取り骨と皮にしてしまった(と、これはわたしの私見)。
 ムンクの父はかなり敬虔でかつ厳格なクリスチャンで、ムンクはそれを反面教師として育ったという資料もあるそうだ。

 自分の思いを宗教画に韜晦させることなく、ただ己のみ、人間のみを見つめ、執拗に描き続けた画家のすごみが「叫び」に集約されているような気がする。

 正直言って、「叫び」を含めて、ムンクの絵は好みではないな、と思う。それでも、ものすごい混雑の中、今回「ムンク展」を見られて良かったと思う。

 それは、こういう形でこそ、ムンクの芸術は完成された、と感じた瞬間があったからだ。

 今回の展覧会の目玉「不安」「叫び」「絶望」の三枚は、観覧者が列を作って、止まることなく眺めることを、展覧会側に強いられていた。わたしも列に並び、長いこと待って三枚の絵の前を「止まらないでください」という係員の声を聞きながら通り過ぎた。
 そして、その列の後ろ、絵からちょっと離れたところからは、この三枚をじっくり(列の人々の頭越しに)見ることができる。
 そこで遠目に「叫び」を見ていて感じた――大勢の人々がこうやって自分≠見つめている状況こそが「叫び」の人物像が耳を塞いでいる原因なのではないだろうか、と。
 ムンクの「叫び」は、大金持ちが自分の部屋に一枚だけ飾っていても完成しないのだ。人々の好奇の目にさらされ、頭の中でいろいろといじられ、ざわめきの中にあって、初めて完成したと言えるのではないか。

 展示会を出て、ミュージアムショップへ入ってみると、「公式グッズ」としてたくさんの「叫び」のパロディ商品が売られ、ここでもレジに長蛇の列ができている。この状況も「叫び」の人物像の叫びを呼ぶものなのではないだろうか。



 こういったことは、おそらくムンクが「叫び」を描いたときに意図したことではないだろうが……。

 ミュージアムショップで「叫び、良かったよねー」「インパクトあったよね」という会話を耳に挟んだ。正気と狂気のはざまの列を通ってきて、自分が正気の側にいるという安心感の吐露なのだろうか。その無邪気な感想に、心が現実に引き戻されたような気がした。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年01月23日

【日記】パンダリベンジ

 一月の中旬、細君と久々に上野遠征である。
 主目的は20日に終わってしまう「ムンク展」と「ルーベンス展」。そして、スケジュールの余裕があれば、上野動物園のパンダを見にいこう、という流れ。

 それぞれの展覧会の感想は、機会があれば別の記事にするとして、本稿はタイトル通り、「パンダリベンジ」である。
 というのも「【回想録】パンダの思い出・その2」の記事にあるとおり、わたしも細君も、今までの人生で一回も「動いている本物のパンダ」を見たことがないのだ。
 わたしは「自分の目で見たものしか信じない」派ではないが(クリスチャンだしね)、こういつも寝ているパンダの尻ばかり見させられていると、動いているパンダ、いや、正面を向いたパンダそのものの存在がフィクションで、マスコミのでっちあげなのではないかと疑いたくもなる(そうか?)

 ムンク展に朝いちで着けたので、ほとんど並ばずに入れたこともあり、「ルーベンス展」との間の時間に、上野動物園へ入ることができた(実際はその前に「下町風俗資料館」へも寄ってみている)。

 まずは腹ごしらえということで、園内のレストランに入って食事をし、デザートにパンダものなどもとったりして。



 満足したところで、さっそく、パンダ観覧の列に並ぶ。前回は猛暑の一日だったが、今回は暖冬。そのせいか、そこそこ人の列ができている。


(50分待ち……)


(先は長い……)

 数日前くらいのニュースで、シャンシャンちゃんの親離れがうまくいかず――という話を聞いていたので、列に並びつつ、細君と「今日、シャンシャンちゃんいるのかな」などと世間話をしていると、親切な列の前の方が「いますよー」と教えてくださった。
 この方、コンパクトカメラにシャンシャンちゃんの写真をたくさん残していらっしゃって、かなりのリピーターである。
 聞けば上野動物園の年間パスポートをお持ちとのこと。ああ、もうちょっと上野に近ければ、時間のあいたときにフラッと寄ってパンダを見られる生活というのもいいなぁ、と思ってしまった。

 列はゆっくりゆっくり進む。50分経ってもまだパンダ舎にたどりつかない。16時を過ぎるともう新しく並ぶこと自体できなくなる、とのこと。
 長く続いた列も、最後の角を曲がると、お、おおおおーっ!



 シャンシャンちゃんだーっ! こっちを向いてお座りをして、しかも、ササを食べているというサービスの良さ!!





 かわいい! かわいい!! 興奮のあまり写真がブレまくりである(ちなみに、パンダ舎はノーフラッシュ厳守)。周囲の列の人々からも喜びの声があがっている。



 やっと一枚、あまりブレずに撮れた。いやぁ、かわいいなぁ。ササを食べているしぐさが本当に愛らしくて、こりゃあ、この瞬間を見るためにリピーターにもなるわー、と納得。

「止まらないでー」という係員の声に皆押されて、列は進んで、隣の母パンダ、シンシンのところへ。ん? いない? いや、いた!



 またお尻!w どうにもやはり、パンダはわたしにお尻を見せたいようである。
 そしてまた隣、父パンダのリーリー舎へ移動していくと、おっ、のそのそと歩いている! シャッターチャーンス!



 またまたお尻!!
 もうこれには細君ともども草生えまくりである。やっぱりパンダのシメはお尻なのねん。

 いやぁー、それでもシャンシャンちゃんの動く姿、しかもお客さまの真っ正面に座ってササを食べてくれるサービス精神にもうメロッメロである。かわいかったなぁ……。


(玖保キリコ「バケツでごはん」1巻より引用。これを地でいってますな)

 というわけで、「パンダリベンジ」。今回は大成功の巻である。

 細君「動物園にくると『バケツでごはん』を読みたくなるよねー」
 わたし「アニメも楽しかったよね」

 などと話しながら、ペンギン舎でまったり。
 次回も上野に来たら、今度は「パンダリベンジ」ではなく「パンダリピート」で記事を書いてみたい。
 そのときは、シンシンやリーリーのお尻以外も見られますように。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年01月19日

【日記】1.4秒の攻防・その3

 いよいよこのシリーズ――

「あけましておめでギャー・その1」
「あけましておめでギャー・その2」
「あけましておめでギャー・その3」
「1.4秒の攻防・その1」
「1.4秒の攻防・その2」

 も、最後の記事である。いやー、引き延ばした引き延ばしたw

 保険会社「結城さんがお止まりになられたとき、こちら側のクルマのバックライトがすでに点灯しているのですよね」
 わたし「はぁ(そこまで気がつかなかった。さすがに見るところは見ているのだなぁ)」
 保険会社「そこで、その分――」
 わたし「(キタキタキタキターッ)」
 保険会社「修理中の代車代は出せない、ということでいかがでしょうか」


 そうきたかーっ!
 これは正直、予想の範囲内でもあり、範囲外でもあった。
 というのは、相手保険会社が代車を出し渋っているという情報を、こちらのディーラーの工場長さんから電話をいただいて、知ってはいたのである。
 ディーラーの工場長さんは良い人で、相手の保険会社からディーラーに確認の電話がきたとき「もし0対10なら修理中の代車を出しますよ」と伝えたら、保険会社が妙に抵抗し(普通は0対10なら代車が出る。というか、0対10でないと代車は出ない)、「0対10でも代車は認められないかもしれない」などとはぐらかされて、心配してわたしに電話をくださっていたのであった。
 そのときは、相手の保険会社はかなりシブチンだな、としか思わず、工場長さんの心配に感謝しつつ、過失相殺の方で削られる覚悟を決めていた。だからこそ想定対応集≠ネどもつくっていたのである。

 修理中の代車が出ない、というのは、それはちょっとは痛いが、うちにはもう一台、コンパクトカーがあり、それをやりくりすればなんとかなる。幸い、編プロの年末の仕事は終わり、年始早々、仕事で大量の荷物を積む予定はない。
 ディーラーに修理の期間が最低限で済む日を設定して集中して修理してもらえば、代車がなくともなんとかなる。
 わたしの頭はめまぐるしく回り、損得勘定を素早く行い、相手保険会社の申し出は「悪くない」と判断していた。
 それは、これが最初の提示であるから、粘ったりゴネたりすれば、相手が0対10を認めたのだから、代車代を出させることも可能かもしれない。しかし、それをやってこじれてしまったら、今度は余計に時間がかかる。その間、クルマのドアはへこんだままだ。
 ここは、もう一台、コンパクトカーがあるという状況を神に感謝して、条件を飲んでもいいのでは。

 横にいる細君に目配せをして、了解を得たが、取りあえずその場では即答せず、明日まで考えさせてくれ、ということで、この電話は切った。

 翌日の朝いちで相手保険会社に電話。その条件、つまり「過失割合0対10。ただし代車代は出ない」ということで了解します、と伝え、保険会社との交渉は終了した。
 当方が契約している保険会社にも連絡し、過失割合ゼロなのだから、今回はまったく関与なし、ということで一件落着。

 その日にディーラーへ行き、修理の日程が一番短くなる期日を設定していただいて、修理は年が明けて(つまり今年2019年)の一月の第二週、と決めた。日曜夜に入庫して、土曜日夕方には修理が済んでできあがってくるという。
 クルマがへこんだまま、平成最後の年越しをしてしまうことになるが、もうそれは仕方ない。

 帰りがけに、事故現場のコンビニに寄り、オーナーさんに顛末をお話しして、USBメモリを返していただいた。事故の動画は、やはりコンプライアンス上、コピーはできない、とのことだった。けっこう厳しいものだ。

 そして先週末、わたしの愛車は修理も済み、以前と同じツルッツルのきれいなドアになって返ってきた。これは板金加工で直したのだろうか。それともドアそのものを取り換えた? なんにしろ、前とまったくかわらない。ディーラーの技術は大したものだ。

 わたしは代車が不要だったから、保険会社の出してきた条件を飲むことができたが、これが、通勤や仕事で毎日クルマを使っている人だと、そういうわけにはいかないだろう。

 わたしもそういう立場だったら、クルマの扉はへこませたまま、もっと粘ったかもしれない。
 だいたい、過失割合0対10なのに代車代が出ない、というのは、本来、理不尽なのである。出て当然ではあるのだ。

 あくまで感触だが、粘って粘って、弁護士特約なども使って、調停までやれば、代車代半額くらいまでは出させることはできたかもしれないな、と思う。
 代車と言っても、ディーラーが出すそれは、要するに系列会社のレンタカーである(そのあたりが、街の修理工場の「余ってるクルマがあるから自由に乗ってっていいよ」とは違うのだなぁ)。このレンタカー代が莫迦にならないほど高いのだろう。おそらく、過失割合を1対9と主張するより、0対10にして「でも代車代はなしね」と取引の材料にする程度には。

 こちらは、自分が契約している保険会社を使わずに済んだので、結果として等級落ちは避けられた。その分が、出させることができなかった代車代分だと思っている。

 今回の事故で得た教訓で、今まで書いていなかったことを記そう。

 教訓その4:ドラレコは大事。現代の道路をクルマで走るなら、もう必須といってもいい。


 今回、ドラレコ動画がなかったら、「止まった」「止まっていない」という水掛け論で、過失割合ゼロは取れなかったかもしれない。一発で「止まっていた」ことを示せたドラレコは、動かぬ、いや、動く証拠である。
 わたしのドラレコもだいぶ調子が悪いことは以前書いた。今回のこの教訓をもとに、そろそろ、新型へリプレースを考えている。

 教訓その5:自分が思っているより、事故の状況は客観的に把握できていないものだ。


 今回、わたしも細君も、止まっている時間は5秒くらいあると思いこんでいたが、実際には1.4秒であった。事故の瞬間は時間が伸長するので、記憶は変質する。自分の記憶もあてにならないのである。それを客観的に見直すためにも、ドラレコは必須アイテムだ。

 教訓その6:代車代は保険会社にとってかなり高負荷な補償らしい。


 逆に言えば、わたしのように使えるクルマが二台あって、代車が不要という方は「代車は不要だから過失割合をゼロにしろ」という交渉の仕方もあるのかもしれない。もちろん、ケース・バイ・ケースだが。

 そんなこんなで、ドアがへこんだクルマでの年越しになってしまったが、こうやってブログのネタにもなってくれたし、いろいろ経験にもなったのでよしとする。

 クルマに乗っている以上、誰しもがいつ加害者、被害者になってもおかしくない。
 同じようなケースの事故に遭った方の参考に少しでもなっていれば幸いである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年01月16日

【日記】1.4秒の攻防・その2

 相手保険会社「0対10でどうですか?」
 わたし「えっ!?」


 思ってもみなかった受話器の向こうからの台詞に、わたしは一瞬、返す言葉を失っていた。

「あけましておめでギャー・その1」
「あけましておめでギャー・その2」
「あけましておめでギャー・その3」
「1.4秒の攻防・その1」

 と続いてきた、昨年末に遭った事故の記録の記事も、いよいよ佳境である。

 ドラレコの動画を相手の保険会社(が契約している事故調査会社)に送ってから、一日半が経っていた。保険会社から電話がきたのは夕刻である。
 話を一分ほど巻き戻そう。

 保険会社「このたびは迅速にドラレコの動画をお送りいただいてありがとうございました」
 わたし「いえいえ(そっちがのんびりしてるだけだって。こっちは年の瀬だから早く解決して修理したいんだよ)」
 保険会社「実は、動画そのものはまだ見ていないのですが――」
 わたし「!?(見ろよ!)」
 保険会社「事故調査会社から、分解写真が届きまして――」


 この言葉には正直、驚いた。保険会社は動画そのものは見ておらず、事故調査会社から送られた分解写真のみを手にしているという。
 たまたま、この損保会社だけが、こんなに時代遅れでのんびりした対応をするところなのかもしれないが、ドラレコ動画が普通になっている昨今、損保会社に動画を届けるのがこんなに面倒なのかと、正直、びっくりしてしまった。
 わたしはわたしで、前回作った対応問答集を右手に、受話器を握りしめ、次の相手の言葉を待った。はたして、1.4秒しか止まっていないことに、どんなイチャモンがつけられてくるか――。

 保険会社「それ(分解写真)を見まして、結城さんが事故の直前に二秒ほど止まられていることがわかりました」
 わたし「はい(おっ、0.6秒オマケしてくれたのか)」
 保険会社「状況は把握しましたので、こちらの契約者にも了解をいただきまして、過失割合ですが、ここは0対10でどうですか?」
 わたし「えっ!?」


 と、冒頭のシーンになるわけだ。
 正直、わたしの頭は混乱していた。もう、1対9とか、2対8とかを言ってくると思いこんでいたのである。
 また、いろいろ検索しているうちに、過失割合は必ずしも合計10にならなくてもいいというケースがあり、0対9という状況もあると知った。その場合、足りない1分はこちらが実費で持つわけである。
 最初、その0対9のケースを言ってきたのかと思い、わたしは瞬間、混乱してしまったのであった。

 わたし「0対10ですか? こちらの過失割合はゼロで、相手に全責任があると。もちろん、異論はありません」
 保険会社「ええ。そういうことです。ただですね――」


 ほぅら、きたきたきた。素直にことが運ぶわけがない。なにかアヤがつけられると思っていたのだ。
 はたして、相手保険会社がつけてきたイチャモンの内容とは? そしてわたしの応酬は? 次回こそ、このシリーズの最終回である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記